
月明かり (26.5×21.0)
ここでは、拙作「月明かり」の制作過程を例に取り、
描法の一例をお示しします。

〔図: 過程1〕
ここでの顕色材(色料)は、粒子が微細である顔料(※)を基本とする。
展色材(絵具の定着材)は、すべて膠とする。
上図〔過程1〕は鉛筆による骨描き。
陰影もつけておく。
※)旧来、「顔料」は不溶性の鉱物を中心とする絵具を指してきたため、
広義においては粒子が可視的な程に大きい岩絵具もその範疇に含める。
但し、一部では 例えば流通業などの便宜上、
テンペラなどで使われる微細な粒子のピグメントを顔料と呼び、
狭義でその語を使っていることも認められる。

〔図: 過程2〕
黄系統から二種類の色を選ぶ。
ここでは原色に近いカドミウムイエローライトと、
イエローオーカー(※)に定める。
カドミウムイエローライトを
花の影の部分・葉・茎などに一通り塗る。
次に、発色を良くするために
ディープゴールドアフレアを混ぜたイエローオーカーを塗る。
アフレアは雲母であるため、オーカーよりも比重が軽い。
従って水分をたっぷりさせた中では、
アフレアがオーカーの上面に浮いてきて、
そのまま乾燥して定着する。
このような条件下では、
混合するアフレアは微量でなければならない。
というのも、光を反射する性質を持つアフレアが輝きすぎると、
色調としては落ち着かなくなるからだ。
下塗りではあるが、
対象の色味を見ながら黄系統の色料を用い、
鉛筆の濃淡も活かしながら描いてみる。
※)イエローオーカーは、泥絵具。
※)オーカーは、日本画でも古くから使われている
黄土に相当する。

〔図: 過程3〕
赤系統から色料を選ぶ。
まず、原色と比較して彩度は低いが明度の高い
ブリリアントカーマインを適所に塗る。
この段階で、塗られた絵具の粒子に水分が滲み出し、
塗りにくくなってきた。
ドウサ(明礬と膠の水溶液)を噴霧する。
ドウサをコートする主な目的は、
滲み止めと顔料の定着を確実にすることにある。
次に原色と比較して明度は低いが、
彩度が非常によく保たれている
ルビアンレッドを適所に塗る。

〔図: 過程4〕
青系統から色料を選ぶ。
比較的原色に近いコバルトブルーを適所に塗る。
花びらの部分にも、僅かずつこの青色で陰影をつける。
次に明度の低いウルトラマリンディープを塗る。
上図〔過程4〕では表葉が紫色に見えるが、
これは、それぞれの絵の具の濃度を希薄にして
透明度を上げながら塗ってきたため、
下塗りの赤と新たに塗った青が、
紫色に見えることに因る。
この紫色は、今後 表葉を深緑色に塗りすすめていくとき、
深みを醸し出す助けとなるはずだ。
雲母を例外として、
ここまで使用した色は、
黄・赤・青の系統からそれぞれ二色ずつ、
合計6色。
作者はこの〔過程4〕までを下塗りと見なしたい。

〔図: 過程5〕
様々な色が用意されている親和箔を用い、
砂子を蒔くことにする。
花の部分にはマスキングを施す。
砂子筒は、細目を使用する。
ここで使う箔は、主に黒箔であるが、
金茶色・茶色・赤色・青竹色・新橋色それぞれの箔も
微量に混ぜておく。
カドミウムイエローライトを噴霧する。
主成分の硫化カドミウムは毒性が強いので、
噴霧の際は細心の注意が必要とされる。
使用上の注意書きでは、噴霧が禁じられている。
一般には勧められない方法である。
噴霧後、マスキングを取り除く。
下塗りに使ったカドミウムイエローライトとコバルトブルーで
若草の色を、
イエローオーカーとウルトラマリンディープで
群緑(ぐんろく)の色をそれぞれ作り、適所に塗る。
なるべく下塗りに使った色を基本として混ぜながら、
色を作っていく。
これは、画面全体の色調に、
不調和を起こさないことを目的としている。
白色である胡粉(ごふん)を、
蕾の苞の隙間から僅かに見えている花びらに塗る。

〔図: 過程6〕
花の部分に再びマスキングを施し、
下塗りに使ったルビアンレッドを噴霧する。
噴霧後、マスキングを取り除く。
同じくルビアンレッドを、茎の適所に塗る。
〔過程5〕で作った若草の色に胡粉を加え、
白緑(びゃくろく)の色を作る。
それを蕾や小さい表葉・裏葉などを主に塗っていく。
カドミウムイエローライトとウルトラマリンディープで
草緑(そうろく)の色を作り、
若い表葉や花の陰影にも僅かながら加えていく。

〔図: 過程7〕
花の部分に再びマスキングを施し、
下塗りに使ったウルトラマリンディープを噴霧する。
噴霧後、マスキングを取り除く。
〔過程6〕で彩色した蕾や葉の部分は、
噴霧したウルトラマリンディープに覆われて
不明瞭になった。
もう一度蕾や葉の部分に同じ白緑と草緑の色を塗る。
ルビアンレッドの濃度を希薄にし、
花に赤みを加える。
陰の部分を主に塗っていく。
同時に背景にも同じ色で赤みを加える。
この段階に至って、空間的厚みの乏しさが気になってきた。
これは、花が一様に白く見えることと、
背景で青みが平面的に拡がり、
色彩的深みに乏しいことに主な原因があるようだ。
仕上げの段階に入る。

再び花の部分にマスキングを施し、
ルビアンレッドを噴霧する。
花のマスキングを取り除いた後、
練り消しゴムを団子状にして10個作り、
それぞれを雄しべ雌しべの部分10カ所に載せる。
これをマスキングとして、
花の部分を中心に白色顔料の亜鉛華(あえんか)を噴霧する。
また適所にコバルトブルーを噴霧して奥行きの表現を助ける。
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後記1
この頁の作例では、
画面が小さいこともあり、
粒子が微細で、テンペラでもよく使われる顔料によって
賦彩しました。
使用した顔料は、重ね塗り・混合いずれも容易ですので、
上例では混色・重ね塗りのいずれも活用しました。
いずれにしても、
色調に偏りが生じないよう
腐心は尽きないものです。
後記2
比較的画面の大きい作品では、
発色の良さから、粒子の粗い岩絵具を多用します。
岩絵具を使った場合、
各々の絵具の持つ特性を知った上で、
塗る度ごとにとても神経を使います。
混色・重ね塗りのずれの場合も、
諸条件に配慮しながら作業を進め、
制約も多々あります。
上記の作例では岩絵具を使っていませんので、
比較的簡明に典型的な彩色手順を
お示しできたと思います。
仮に、より一般的な方法に準じながら、
岩絵具を賦彩すれば、
より複雑な項目が加わり、
込み入った手順になります。
後記3
日頃慣れ親しんでいる岩絵具の色は、
小生の色選びの基本となっているようです。
古くは色遣いなどが、
画派の特性を示す重要な要素となっていたので、
古来、彩色手順が派内で
固定化・定法化する傾向があったようです。
小生も、京都画壇の流れをくむ
日本画科に在籍していた経緯から、
色選びの際にも、
少なからぬ影響を受けていることになります。
岩絵具は、粒子が粗く、その発色には、
とても充実感があります。
ところが、岩絵具が発する色を、
微細な粒子の絵の具を混ぜることによって再現しようとしても
まず不可能といえるでしょう。
にもかかわらず、
微細な顔料を混ぜて色を作るときでも、
岩絵具の白緑(びゃくろく)・草緑(そうろく)・群緑(ぐんろく)など、
普段から恰も基本色のように使っている色を基準にして、
皿上で混合しそれらに近づけようとしている自分に、
あらためて気付かされるのです。
後記4
上例の制作過程で使用したマスキングの材料は、
画材店で簡単に購入できる
透明で粘着性のあるシートですが、
古くから蒔絵師が、
和紙を使ってマスキングをしてきたことに
小生も影響され、
その方法をしばしば応用します。
小生は多くの場合、
和紙の中でも安価な裏打紙を使います。
その紙にジェッソを染み込ませることで、
強度を保つと同時に、
水分を加えたときの紙の伸縮を抑えます。
この紙を適する形に切り取り、
生麩糊(しょうふのり)で直接画面に貼り付けたり、
あるいはまた、
ただ文鎮で押さえたりして、
マスキングとしての機能を持たせます。
制作過程の初期に貼り付けたりすることもありますし、
かなり絵の具が塗り重ねられているところに貼ったりと
様々です。
後記5
絵の具を噴霧させる際には、
一般に普及しているエアブラシを使います。
絵の具を噴霧させる行為は、
旧石器時代に描かれた洞窟壁画にも
認められています。
これらは、顔料を口に含み吹き付けたものと
推測されています。
他にも旧石器時代の壁画には、
砂子を蒔く手順にも似て、
予め脂を壁面に塗っておき、
乾燥した粉末状の顔料を吹きかける等の
工夫も窺えるようです。
これらのことを鑑みると、
筆などを画面に触れさせることなく、
絵の具を画面上に吹きかけることは、
絵師達の作画作業における基本的行為の一つであると
見なせるでしょう。
より良いものを遺そうとした先人の気概や、
腐心の末に育まれた知恵を尊び、
それらに心から敬意を表し、
日々筆を執り、志を新たに致したいと思います。
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