歴史都市の 防災

      −今井町伝統的建造物群保存地区における事例−


                   奈良まちづくりセンター理事
                   今井町並保存整備事務所 米村博昭


 歴史都市が現在まで持続しつづけてきた要因には、いくつかあると思われますが、その一つには、災害や戦争に会わなかったか、もしくは会っても、その都市を放棄するほどの被害を受けなかったことがあげられます。その都市に、危機管理の仕組みがありそれが継続されてきたからだと思います。
 まちの遺伝子として、この危機管理の思想と仕組みがどのように継承されているかを、奈良県橿原市今井町(伝統的建造物群保存地区)の事例で報告します。
 今井町は、室町時代末期戦国時代に、浄土真宗の門徒が集まって形成された『寺内町』です。周囲に堀をめぐらし土居を築いた武装都市でした。実際に織田信長率いる戦国大名と対時し、一歩も町に入れなかったと言われています。江戸時代には、南大和最大の在郷町として商業が発展しました。町民自治の気風が強く、幕府より大幅に認められていました。町民の代表である惣年寄を中心に町民による『町掟』が定められ、すべての町民が押印した古文書が残されています。
 明和元年の町中掟書家持借家印形帳(今西家所蔵)には、町民生活についての規制が書かれていますが、特に詳細なものは消防の規定です。出火時には、予め定められた役道具を持ち、直ちに火元へ馳せ集まり、惣年寄・町年寄の指図をうけることとなっていました。また、火事場には「馳着札収役」なる者が先着して、到着する火消役等の出欠状況や時刻等を記録しました。寛政七年の火消役附諸印帳(天理大学所蔵)には、東町の町民の火消役が記されています。このように江戸時代の今井は防災意識が高く、火事のないまちとして知られていました。
 平成五年に今井町は伝統的建造物群保存地区として指定され、平成七年には、「今井町総合防災計画」が策定されました。この計画では、災害から今井町の地区住民の生命・財産を守り、かつ、歴史的資産を後世へ伝えることを目的としています。これにより、ソフト面及びハード面の両面における・防災対策事業計画がつくられ、現在、地域住民と行政が協働して取り組んでいます。
 平成8年1月には、自主防災組織として「今井町防災会」が発足し、地域での防災活動を進めています。防災拠点として地区内に6カ所の生活広場を整備し、そこに、防火水槽や防災小屋(防災備品及び備蓄倉庫)を建設しています。また、旧環濠を、洪水・浸水対策としての遊水池として整備されました。防災小屋や遊水池は、今井町防災会をはじめ地元住民組織によって、防災訓練や日常管理がされています。