「まちの遺伝子」斑鳩町西里による考察 

<遺伝子>
 遺伝子を生命の働きから考えると、自分自身を正確に複製するための「情報」をそれ自身が保持し、あらゆる意味での周辺環境の影響を受けながらも自己同一性を保ち、生き続ける為の固有の能力(性能)を進化と言う手法により獲得している。
 「情報」を保持し、自己同一性を保ち続ける「強い意志」を遺伝子とするなら、ここで言う「まちの遺伝子」の存在が見えてくる。 単純に考えれば、よく言われるように「簡単には書き換え変更出来ないほぼ完成された設計図」と言うことになろう。 
 しかし、まち(情報空間)を構成するあらゆるシステムの中でその設計図は人間の営みの中で存在しているのだろうか。又、過去に存在したのだろうか。 直感するに、その種の個別性や地域性、権力維持や経済原則等、そのシステムを構築するプロセスをいつの時代も「種の保存」を本能に試みていることだけは確かなようである。

<西里>
 ここに町並みとしての自己同一性をかろうじて保ち続け、最も土着的でごく自然に営まれてきた斑鳩町西里の集落の成立過程を一例として研究して行きたいと考えている。 
 西里は、法隆寺の西に位置する周囲300m四方の範囲に50件余りの家があり、築地塀や長屋門、その奥に見える母屋は、平入、煙出し、虫籠窓、格子窓等の構成で狭い意味での「町家」の原型である「民家」が建ち並ぶ良好な町並み景観を維持してきている。
 西里は東里とともに元来、法隆寺の作事を受け持った大工を中心とする職能人の本拠地として法隆寺造営当初より集落を形成したと考えられ、日本における木造文化のオピニオンリーダーであった彼らは、生活の為に農業を兼ね、最も純粋にその住処である家や集落を構成してきたのである。

<職能>
 まちづくりに必要な要素は何かとして考察すると、技術を蓄積し、情報としてのエネルギーを次世代に伝える能力が職能(プロフェッシヨン)であり、前述した「強い意志」そのものであるとあえて言いたい。 又、そのシステムの中で誤りの無いよう客観的に計る尺度を持ち制御しうる職能集団(技術者ネットワーク)の存在が混沌を避ける唯一の方策と確信する。

上嶋晴久