『まちの遺伝子と奈良町そしてJR奈良駅』

                                        なむ環境創造/宮本孝二郎

(1)タイムリーなテーマ設定
「まちの遺伝子」というテーマ設定は、今日の状況に大変フィットしている。これまでの右肩上がりの経済は行き詰まり、フロー経済ではなくストックに着目せざる得ない今日の時代状況を密かに暗示している。
(2)まちの遺伝子という論点
 地域プランナーの仕事をしている私にとって、「地域や町を如何に捕まえるのか?」ということは永遠のテーマである。ひょっとすると「まちの遭伝子」という考え方は、そこら辺りを解明してくれるのではなかろうかという期待をもつ。又、今でも平然と行われる「スクラップ&ビルド」に対しても、有効な理論武装になるのではなかろうかという期待がある。
(3)まちの遺伝子構造
 生物遺伝子の「二重らせん構造」をヒントに、まちの遺伝子も同様に「場という客体」と「営為という主体」の二本の鎖が螺旋状に絡み、相互に次々と町の履歴を音き込んで行くというのが私の推論である。
(4)奈良町の遺伝子の展開
 この二重の螺旋構造を奈良町に当てはめてみた。寺社の町からスタートした奈良町は、質的な転換を繰り返しながら次々と「まちの遺伝子」を書き込み、模式図のように未来の「姿」までを予感させてくれる。このような奈良町の履歴の中でJR奈良駅の存在は決して小さくない。
(5)JR奈良駅の保全活用がまち再生のスタート
 まちづくり本質論の欠如と行政まかせの無責任さとが、奈良町の貴重なDNAであるJR奈良駅を取り壊そうとしている。この5月までに、JR奈良駅を壊わさず保全活用すると決められるのであれば、奈良町の遺伝子構造及び「まちづくり」は確かな方向を向くものと思われる。


                『まちの遺伝子と奈良町、JR奈良駅』への私的メモ

(1)時代にかなったテーマ投定
 「まちの遺伝子」というテーマ設定は、今日の時代状況に大変フィットしている。これまでの右肩上がりの経済が行き詰まり、改めてフローではないストックに着目せざる得ない今日の状況をいかにも暗示している。
(2)地域や町とは何か
 各地で地域づくりプランナーとして仕事をやらせてもらっている私にとって、「地域あるいは町というものは、何によってつくられているのか?」、「又、地域や町のどこを押さえればその実態が捕まられるのか?」ということは、今でも懸案のテーマである。従って、この15周年記念事業の「まちの遺伝子」という言葉をきっかけに、そこら辺りを解明してみたいというのが私のささやかな試みである。
(3)まちの遺伝子構造
 生物遭伝子の「二重らせん構造」をヒントに、まちの遺伝子も同様に、「場という客体」と「営為という主体」の二本の鎖が螺旋状に絡み、相互に次々と町の履歴を書き込んで行くというのが私の推論である。
(4)奈良町の遺伝子の展開
 この二重の螺旋構造を奈良町にあてはめ、寺社の町からスタートした奈良町が「まちの遺伝子」の展開により今日に至るまでのプロセスを簡単な模式図で示してみた。
(5)過去を見つめる視点からの発想
 真摯に過去を見つめようとしない限り、本来、地域や町の未来は描けない。未来翰だけの軽薄な創造やデザインだけで地域や町を語ってもらっては困る。とかくデザイナーや建築家などにみられる自己満足的な行為や言動には少々苛立ちを覚える。
(6)地域やまちはロングスパン
 現状の物差しだけであるいは一代かぎりの人生スパンで地域やまちをつくってもらっては困る。地域やまちはもっと悠久な宗教性をも含み込んだロングスパンの存在である。少なくても、わが国が経済成長を始める前の先人達の英知などに大いに学ぶ必要がある。
(7)人々の意織の集合
 まちづくりとは、まちを構成する人々の意識の集合である。器としての「まち」だけではなく中身である人々の生活や生業、町の人達の活動こそを問題にしなければならない。
(8)JR奈良駅の保全活用がスタート
 まちづくりの本質給の欠如と行政まかせのまちづくりという今日の現実が、貴重な町のDNAであるJR奈良駅を壊そうとしている。ここでJR奈良駅を取り壊わすことなく、新たに保全活用することができるのならば、21世紀の奈良町のまちづくりは確かな歩みを進めることになる。