猿沢池と龍


 昔、蔵人得業恵印という僧がいた。鼻が人並みはずれて大きく、さらに先が赤かったので、
みんなから鼻蔵とというあだ名で呼ばれていた鼻蔵はそれがしゃくにさわり、腹が立って仕
方なかった。何とかみんなに仕返しをしてやりたいと考え、ある日、猿沢池のほとりに、
「5月5日、この池より、竜のぽらんずるなり」と書いた立札を立てた。当時都は奈良にあった
ので、竜のうわさはたちまち都中の評判になった
 いよいよ5月5日、鼻蔵は猿沢池の周りに集まった人だかりを見て大笑いし、日ごろのうっ
ぷんをはらしていたが、だんだん恐ろしくなり、もしやと思ってこっそり見物に行った。干後
になって空は暗くなり、雷も鳴り出し、今にも竜がのぽりそうだったが、結局竜はのばらず、
人々はみな帰ってしまった。
 後に芥川竜之介がこの話を「竜」という題名で著している。今ではちょっと考えられない、
人騒がせな話である。


戻る