魚養塚


 昔、日本から中国へ文化や学問を修める為に選ばれた人々が遺唐便として唐代中国に出か
けて行った。そのうちの一人が、中国に滞在中、地元の女性と恋に落ち、夫婦の契りを結び、
そのうちに一子授かって幸せな日々を過ごしていた。その遣唐便も日本へ帰るときがやってきて、
「手紙を出す、子供をたのむ」と言い残して日本に帰ったきり、何の便りもしなかった。
母親は腹を立てて、子供の首に『遣唐使の子』という札をつけて海へ流してしまった。子供は
大魚に助けられ難波までたどり着き、不思議な縁で父と対面した。魚に養われたので魚養と名
付けられたこの子供は、後に成長して」立派なお坊さんになり、医術、書道に名を成し、人々の
信望を集め、十輪院を建立するに至った。現在も十輪院に残る魚養塚は、魚養の墓だというこ
とだ。
 単身赴任中の浮気というのは悲劇になりがちだが、この話はサクセスストーリーになってい
る。


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