古代朝鮮略史

4世紀初頭から7世紀後半まで朝鮮半島では、高句麗、 新羅、百済の三国が鼎立していました。これら三国間では争乱期、安定期を繰り返していましたが、 7世紀後半から唐、日本を巻き込んでの戦争に発展しました。西暦660年には、新羅・唐連合軍が百済・ 日本連合軍を破り、668年には高句麗を打ち破り、朝鮮半島全体を新羅・唐連合軍が統治することに なりました。
しかし、唐が朝鮮半島を支配する思惑があったので、こんどは唐軍と新羅との間で7年間に及ぶ戦争が ありましたが、西暦676年に唐軍が朝鮮半島から撤退し、新羅が朝鮮半島の統一を果たしました。

古代朝鮮と日本の関係
日本はこれら三国とそれぞれ外交関係がありましたが、最も早く外交関係があったのは百済でした。.
538年に百済の聖明王が国使を日本に遣わし、仏像や経典などを送り届けたのが、日本における仏教の始まりとされています。
660年の新羅・唐軍と百済・日本軍の戦争では、多くの百済の人が日本に移住し、特に 仏教徒や工芸職人が古代日本の仏教の発展に寄与しました。

.