耳マークです、お見知りおきを!

耳の障害は外見でわかりませんので困る事多く、全日本難聴者、中途失聴者団体連合会(略称 全難聴)がこのマークを制定し、広く知って貰い、耳の手助けをして頂ければの願いをこめて作成されたバッジ等のマークです。

3.★★★三人の星物語・・・聖夜に寄せて

聞こえぬ世界は宇宙や深海に似ているのではと話しておりましたら、夫が興味深い天文学の研究者達の事が次々と書いてあると「ビックバン宇宙論」サイモン・シン著(新潮社)を見せてくれました。研究内容は難しく判りませんが、この研究者の事に感動致しましたので書かせて頂きます。

ジョン・グドリック
彼は聴覚と発声に障害を持っておりましたが、1976年イギリス最初の聴覚障害者の学校を出て、10代で天文学者エドワード・ピコットと知り合い、他の例を見ない高い視力と鋭い感覚を発揮、変光星の明るさの変化解析で「セファイド」の発見と言う天文学史上の大発見をし、弱冠21歳で英王立協会のフェローに選ばれました。 しかし4日後冷え込みのきつい長い夜星を見つめて過ごしてかかった肺炎で亡くなりました。

●20世紀に入り天文学に写真が入りました。ハーバート・カレッジ天文台では膨大な写真と星の解析を大々的に進めるためにデーターの操作を行い、計算を行う人達(この言葉がコンピュウターの意味を指すとか)が必要で当時の慣例通り男性チームを作りましたが、集中力、注意力に欠け、台長のピッカリングはカンカンに怒り、我慢ならず「内のメイドの方がずっとましな仕事する」と言い放ちその言通り女性コンピュウターチームを作りました。その中から独自の成果を上げる女性が出てきました。

アニー・ジャンプ・キャノン
彼女もグドリックと同様殆ど耳が聞こえませんでしたが女性チームで、1911年から1915年にかけておよそ五千の星をカタログにし、これから星を七つのタイプに分ける分類体系の構築に貢献しました。女性として初めてオックスフォード大学から名誉博士号を授与されております。

ヘンリエッタ・リーヴィット
彼女も重い難聴でしたが、ハーバート天文台で無給ボランティアから出発、二千四百以上もの変光星を発見し二十世紀の天文学で最も重要な進展のひとつを成し遂げました。
1924年ノーベル賞にノミネートすべく調べはじめた所、1921年53歳で亡くなっておりました。写真の感光板を黙々と調べていく地味な研究者だったので、余り知られず、受けるべき評価を受けないばかりか、星雲の本性をめぐる大論争に決定的な影響をあたえるのをみることもなく亡くなりました。
・・3人はともに、聴覚を埋め合わせるように鋭い視覚を持ち、他の人達ならば見落としたであろう細部に気づく事が出来、何よりこの人達の持つ静寂の世界でのびのびと聡明な力を発揮された人達に尊敬と親しみを感じております。      

私の耳のプロフィール