奈良は清酒発祥の地。

奈良には大きな酒造メーカーはありませんが、ていねいに醸す小さな蔵が多いのが特色です。
個性豊かな美味い酒がたくさんあります。
重厚な蔵は、大和の歴史風土に溶け込んで風情を深めています。

『かぎろひの大和路』誌上では、特集地域にあわせてシリーズで藏元を訪ねています。HPでもUPしていきます。

① 安川酒造(奈良市)
(現在は廃業)
② 八木酒造(奈良市)
③ 今西酒造(桜井市)
④ 奈良豊澤酒造(奈良市)
⑤ 脇本酒造(明日香村)
⑥ 中谷酒造(大和郡山市)
⑦ 菊司醸造(生駒市)
⑧ 油長酒造(御所市)
⑨ 今西清兵衛商店(奈良市)
⑩ 喜多酒造(橿原市)
⑪ 金剛力酒造(高取町)
⑫ 稲田酒造(天理市)
⑬ 五條酒造(五條市)

⑭  中本酒造店(生駒市)
⑮ 葛城酒造(御所市)
⑯  西内酒造(桜井市)
⑰  長龍酒造(北葛城郡広陵町)
⑱ 上田酒造(生駒市)
⑲ 増田酒造(天理市)
⑳ 梅乃宿酒造(葛城市)
21 倉本酒造(奈良市都祁)
22  河合酒造(橿原市今井町)


■蔵めぐり22  河合酒造(復刊34号掲載 2018.4)
       河合酒造「出世男」

 女性杜氏が醸す「出世男」

  重要伝統的建造物群保存地区、橿原市今井町。そのなかでも、河合酒造は重要文化財指定を受ける豪壮な家屋のひとつ。十八世紀中頃の建築だが、酒造業の歴史はもっと古い。江戸時代初期にこの地に移住してきた時には造り酒屋を営んでいた。屋号は「上品寺屋」。

 主要銘柄「出世男」は重厚な建物によく似合う。白漆喰塗籠に虫籠窓と丸窓の意匠に目を奪われつつ訪ねて驚いた。取材に応じてくれた蔵元社長は、たおやかな風情の若い女性だったのだ。そばに生後三か月の赤ちゃんが寝ていた。

 河合家に生まれた姉妹の長女、西川暁子さんが蔵を継いで十七年。「思いもよらなかった。文系だし」と笑うが、酒蔵で産まれ育ったDNAもあるのだろう、努力を重ねて杜氏に成長、妥協を許さない姿勢で丁寧な酒造りを続ける。
 帰り際に、燗にしておいしいお酒をと求めたら、迷わず選んでくれたのが「宗久」だった。平成二十九年度大阪国税局清酒鑑評会燗酒の部で奈良から唯一優秀賞に選ばれた。宗久の文字は今井町町並み保存会会長で書家でもある若林梅香氏の手になるもの。
 主婦、母、社長、杜氏…、いくつものわらじをはきながら、なんというさわやかな自然体! 芯の強さを秘めた女性が醸す「出世男」。味わいの幅も広がりそうだ。






河合酒造株式会社
橿原市今井町1-7-8
TEL 0744-22-2154

https://www.facebook.com/syusseotoko/






■蔵めぐり 21 倉本酒造(復刊33号掲載 2017.4)

        倉本酒造「金嶽」

 酒造りは米造りから


 住所表記は奈良市だが、ここは標高五百㍍の大和高原、かつての都祁村である。独特の形をした山々が連なり、その麓に軒を並べる集落のたたずまいはどこか懐かしい。

 冷涼で澄んだ空気、裏山の湧き水など、恵まれた環境を活かして明治四年(一八七一)創業。陽を浴びて黄金色に輝く山々から「金嶽」という名前が生まれた。

 現在の倉本嘉文社長は五代目。杜氏でもある。
「酒造りは米作りから」を信念に、自らが酒米作りにも携わる。

「純米酒 倉本」をふくむと口の中に広がる清々しい香と米の旨みが、蔵人の心意気を伝える。
五十%精白の渾身の逸品だ。いわゆる「純米大吟醸」なのに、さらりと純米酒と謳うあたり、蔵人の自負が感じられはしまいか。そして特定名称酒の名前に惑わされることなく「まずは自分で確かめよ」とガツンと言われた気がしたのだった。はい。

個性的な酒も。清酒発祥の地、正暦寺で蘇った五百年前の菩提酛清酒「つげのひむろ」。三輪のササユリ酵母で醸した「山乃かみ」は、有機米コシヒカリをたった五%だけ磨いた純米酒。お肉や中華料理にも合う!
 
 最近、長男の隆司さんが蔵へ戻り、さらにパワーアップ。小さな蔵だからこそできることに挑戦しながら、質の高い酒造りをめざす。


倉本酒造株式会社
奈良市都祁吐山町2501
TEL 0743-82-0008
http://kuramoto-sake.weebly.com/





■蔵めぐり⑳ 梅乃宿酒造(復刊32号掲載 2016.4)

      梅乃宿酒造「梅乃宿」

伝統と革新をコンセプトに

 西に葛城、二上の連山をのぞむこの地で創業百二十余年。葛城市では唯一の酒蔵。
 旨口の酒は定評があるが、日本酒をベースにしたスパークリングや、果肉(もも、ゆず、みかん、りんご、梅など)も楽しめる「あらごし」シリーズのリキュールも人気が高い。
 二〇一三年、長女の吉田佳代さんが、三十四歳の若さで五代目社長に就任。フレッシュな感性と行動力が蔵を活気づかせている。
 若い人に日本酒のおいしさを知ってほしいと、大学で勉強会を始めたのもその一つ。奈良女子大学や帝塚山大学を始め、京都や大阪の大学にも。「おいしい」と驚かれることも多く、手応え十分。
 輸出にも力を注ぐ。アメリカ・香港・台湾を中心に世界二十か国へ出荷。その売上は全体の二割を占めるまでに。まだまだ伸ばしていくと意気盛んだ。
 伝統の技を大切にしながら、新しい酒文化を創造する蔵をめざす。[スーパー歌舞伎][友禅染めのアロハシャツ]があるように、と佳代社長。
 若い人たちに受け入れられる新しい日本酒の研究開発にも余念がない。平均年齢三十五歳という蔵人の若さも強みだ。 
 佳代さんは今年一月に二人目の子どもを出産。妻、母、社長の三役をパワフルにしなやかにこなす姿に、酒蔵の新しい姿が重なった。

梅乃宿酒造株式会社
葛城市東室27

TEL 0745-69-2121
http://umenoyado.com/





■蔵めぐり⑲ 増田酒造(復刊31号掲載 2015.4)

       増田酒造「都姫」「神韻」

 「神韻」にかける伝統の蔵

JR万葉まほろば線櫟本駅から東へ道はゆるやかに上り、やがて岩屋の集落に達する。重厚な民家が軒を連ね、伊勢街道の面影を残す風情のなかに、ひときわどしりと増田酒造の蔵が建つ。


 江戸時代の寛永二年(一六二四)創業。現在の蔵元、増田和義社長は十九代目。
 「都姫」のブランドで知られるが、最近では「神韻」の人気が高い。二〇〇九年、増田善洋常務が黒瀬弘康杜氏と出会って、「特定名称酒」へ方向転換。純米にこだわる丁寧な酒づくりがじわじわと評価を得ている。

 黒瀬杜氏は「酒は食文化の一つに過ぎない。主役でも脇役でもなく、どちらかが突出してはならない」とキッパリ。九州、四国、近畿各地の焼酎蔵、日本酒蔵で積んださまざまな経験がもたらした揺るぎない一つの信念。黒瀬杜氏の真摯なまなざしに接し、そんなことを思った。





 蔵で求めた「無濾過生原酒」を夕食に開けた。図らずも「一本筋が通っているな」と夫。大国見山の秀麗な山容と、夏に登った樹根の張り出した山道が甦る。
仕込み水は大国見山の伏流水だ。

厳かな中に音楽や文学の香りが漂うネーミング 「神韻」。いいお酒ができたら付けようと、社長がずいぶん前から温めていた名前だとか。
 居酒屋三店を直営。奈良市に「樽八」「立ち呑み亭都姫」、橿原市に「蔵」。


※増田酒造株式会社
天理市岩屋町42番地
TEL 0743-65-0002

http://masuda-shuzou.co.jp/




■蔵めぐり⑱ 上田酒造(復刊30号掲載 2014.4)

      上田酒造「生長」「嬉長」

  古式を大切に今様をさぐる

 近鉄生駒線一分駅すぐ東の高台、石垣の上にそびえるように蔵が建つ。西の生駒山とともに、生駒谷に暮らす人々を見守っているかのようだ。



 主要銘柄の「生長」「嬉長」は、生駒の長ならん、嬉しい事が長く続くように、という思いをこめて名づけられたというのがスッと納得できる立地。
 往馬大社御神酒はもちろん、取材中、生駒市内の店でもよく見かけた。地元の酒を信頼し誇りにする市民気質に乾杯!
 吟醸酒、純米酒、普通酒はもとより梅酒、焼酎(米・芋)、ノンアルコールの甘酒、凍結酒に至るまで多種。
室町時代の製法を復活させた正暦寺の「菩提酛」を醸す蔵の一 つでもある。



 長年にわたる努力が実り、独自のルートを開拓、ほとんどの酒が蔵から消費者へ直通に運ばれている。種類が多いのも、さまざまなリクエストに応えた結果のようだ。きめ細かに対応しているんだなあという印象を受けた。もちろん、お酒そのものがおいしいからファンが増えていくのであろう。
 こういう柔軟なスタンスを聞くと、若い蔵かと思いがちだが、実は一五五〇年代の創業、四百有余年の歴史をもつ老舗蔵。現在の蔵元は十八代目。
 「現代の名工」受賞(平成二十年度)「黄綬褒章」受章(平成二十四年度)の山根貞雄杜氏を筆頭に但馬杜氏が四人。全幅の信頼をおいて委ねる。

※上田酒造株式会社
生駒市壱分町866-1
TEL 0743-77-8122
http://ueda-syuzou.co.jp/




■蔵めぐり⑰ 長龍酒造(復刊29号掲載 2013.2)

       長龍酒造「長龍(ちょうりょう)」

      ビンテージ純米酒で新提案

のどかな田園風景が残 る近鉄田原本線箸尾駅に降り立つと、ほのかに麹の 香りが感じられた。北葛 城郡広陵町とはいえ、今回特集した磯城郡にほど近い地。

CMなどでもひときわ有名な「長龍」は、大正十二年(一九二三)、天理市の蔵元「飯田本店」から独立して大阪に小売店を開業したのが出発。

やがて、ここ広陵蔵で醸造を開始、大和の風土にこだわった酒造りに力を入れている。

その一つが、奈良県唯一の酒造好適米奨励品種「露葉風」を使った「稲の国の稲の酒」。米の栽培に適した山添村で委託栽培し、「露葉風を楽しむ会」では田植えや稲刈り体験、蔵見学などをして長龍ファンを増やしている。

また、日本酒業界ではまだ珍しいビンテージもこの蔵の主要商品の一つ。地下の低温貯蔵庫で三十か月以上、瓶のままじっくりと熟成させる。いわゆる古酒とはまた違う深みと余韻が印象的。雄町米で醸した「ふた穂」は瓶のデザインもおしゃれ。日本酒の新しい楽しみ方の提案は、特に女性の心をとらえている。

「吉野杉の樽酒」は定番商品。昭和三十九年(一九六四)、瓶詰めの樽酒を日本で初めて開発した。樹齢八十年を経た吉野杉の甲付樽、熟練した樽添師、急冷装置パストライザーが上質の樽酒を安定して供給できる秘密。森林浴やヒノキ風呂と同様の郷愁を感じるのだろう、樽酒人気は根強い。


※長龍酒造株式会社
 北葛城郡広陵町南4
 ℡ 0745-56ー2026

http://www.choryo.jp/



蔵めぐり⑯ 西内酒造(復刊28号掲載 2011.12)

      西内酒造「談山(だんざん)

     小さな蔵で醸すこだわりの酒

談山神社一の鳥居のそば、多武峰街道のなだらかな坂道に酒蔵はよく似合う。平成十七年に放映されたテレビドラマ「ダイヤモンドの恋」のロケ地に選ばれたのも、その風情ゆえだろう。

 明治の初めに創業して、現在の西内康雄当主は5代目。醸造学科に学び、灘の大手で研鑽を積んだ蔵元当主自らが造り手。米選びから麹造り、もろみ管理、しぼり…全ての行程に厳しい目を向けつつも、優しい愛情を注ぐ。どこか子育てに似ているなあ、と感じた蔵見学だった。

 実に多種の酒を造っていることで知られる。

  毎年大和の一番米で仕込む「大名庄屋酒」はフツフツと酵母の活きた濁り酒。仕込み水のかわりに純米酒を使った「貴醸酒」の、とろりとした濃厚な味わいは、食前酒か食後酒に。また、身体を温めてくれる旨い滋養薬みたいと女性に人気。さらに「貴醸酒」で仕込む「三累醸酒」という超ぜいたくなお酒まで造る蔵は全国にも珍しいのではないだろうか。

 古代米(黒米)を使った「卑弥呼の里」も注目を集める(詳しくは21ページ)。もちろん、談山神社の御神酒もつくる。

 国宝十一面観音をまつる聖林寺にもほど近い静かな里で、ひたすらコツコツと真面目に醸す小さな蔵。何度も訪ねて、当主の誠実な人柄に触れるたび、この蔵の酒にも全幅の信頼がおける気がしてくる。


※西内酒造
桜井市下3番地
TEL:0744-42-2284 FAX:0744-45-1015
http://homepage3.nifty.com/nara-sake/kuramoto/nisiuti.html



■蔵めぐり⑮ 葛城酒造(復刊27号掲載 2010.11)

     葛城酒造 「百楽門(ひゃくらくもん)」

      「備前雄町」にこだわった酒づくり


 金剛山と葛城山の鞍部・水越峠からゆるやかに下ってくる道が、山麓を南北に縫ういわゆる「葛城古道」と出合う、ちょうどその分岐点の地にどっしりとした蔵を構える。

 自然の恵みを生かし、仕込み水は金剛・葛城山系の伏流水。100mの地下から汲み上げる水は、自然に濾過されて汚染の心配がないうえに、有用なミネラル分が溶け出している。

 酒造好適米「備前雄町」に出合った感動を酒造りに生かす。
 備前雄町の心白(酒米の中の白い部分)は、他とは違って丸くなく、ギザギザになっているので、割れやすく水の吸収度合いも違う。当然、高度な技術や丁寧な作業が必要で、手間もかかるということになる。


 
「備前雄町」は現在出回っているあらゆる酒米の元祖のような存在。ただ1種残された混血のない米とも言われているのだそう。あの山田錦も、五百万石も、雄町の子孫なのだ。

「備前雄町」で作った酒は、味わいがはっきりしていてコクがあると酒通の間で語られる。
 もちろん他の酒米を使ったお酒もある。現在注目を浴びる「露葉風」にいち早く注目して醸したのもこの蔵だ。
 お酒の世界は深くて素人には難しい点が多いといつも思う。
 だが、ほんとのところは、美味い酒があって、楽しい仲間がいる、心の門を開く、それだけで十分。まさに「百楽門」という名前はそんな思いから名づけられたのではあるまいか。


※葛城酒造株式会社
御所市名柄347-2
TEL0745・66・1141/FAX0745・66・1548
http://homepage3.nifty.com/nara-sake/kuramoto/katuragi.html



■蔵めぐり⑭ 中本酒造店(復刊26号掲載 2009.10)

    中本酒造店「山鶴(やまつる)」
                
        純米のみ、平均精米歩合49.6%


奈良に住むずっと前から、酒好きの人に「奈良には山鶴があるぞ」と聞いていたので、楽しみに訪ねた。

大阪と奈良を限る生駒山地の西北端の地で、江戸時代から酒造業を営む。創業は享保12年(1727)。あの「暴れん坊将軍」の時代である。

酒蔵の歴史は約280余年。同じほどの深さを感じさせる大和棟の重厚な座敷で、12代目当主の中本彰彦氏から話を聞いた。

昔の話はさておき、日本酒不振の時代に先代からのバトンの引き継ぎは、中本氏にさまざまな苦労と課題をもたらすことになった。
酒造りをやめようかと思った時期もあったという。

文字にはできないような多くの試練を経て、「山鶴」は一つの方向を見いだし、邁進している。

それは「純米吟醸酒」のみを醸す蔵にすること。周りの反対を押し切って吟醸専用蔵を建設したのが昭和62年。最新設備を供えるとともに、人の技やチームワークもいい酒造りには欠かせないという。

米の産地を、種類を選び、研く徹底ぶりは頑固なまでのごだわりぶりだ。

この蔵の平均精米歩合は49.6%(全国平均72%)。年間500石。

小さい蔵だからこそできること、小さい蔵にしかできないことをめざす。山鶴ファンはこれがたまらないのだ、きっと。

蔵に併設して小売店の「与左衛門」がある。



中本酒造店
生駒市上町1067番地 TEL0743-78-0005/FAX0743-79-0360 

http://www1.kcn.ne.jp/~yozaemon/




■蔵めぐり⑬(復刊25号掲載 2008・11)

  五條酒造  「五神(ごしん)

                     ドラマチックに発展する五條の地酒

JR和歌山線五条駅から徒歩3分。初代の中元藤吉氏が金鉱脈を掘り当てて財をなし、多角経営を行ったその一つが酒造りだったという。

金剛山から吹き下ろす冷風とやや軟水の伏流水が酒造りに最適なこの地を選んで、大正13年創業した。

 ドラマチックな歩みはその後も続き「酒造りに携わることなど思いもよらなかった」という現在の3代目中元英嗣社長(2代目次男)が誕生したのは50歳を目の前にしたとき。橋梁やトンネル設計士からの転身であった。


「五神」の名が、大阪のホテルや料亭、百貨店などでもよく目にするようになるのは、この頃からである。

 手づくりの良さを大事にしながらの近代設備の充実。種類に応じての適正な熟成。出荷後の温度管理などもこまめにチェックして回る。少量生産だからこそのきめの細かさがあらゆるところに感じられる。

伝統の「五神・金ラベル」に加えて、最近は純米酒や吟醸酒にも力を入れる。

清水と太陽の恵みを存分に受ける金剛山の南斜面は良質の米がとれることで有名。この地の農家と契約、有機栽培米を酒造りに用いる試みも軌道にのってきた。 

テーブルに置いてもおしゃれにと考えた純米吟醸スリムボトルや、パッケージは何度も奈良グッドデザイン賞に輝き、設計士の面目躍如たる一面も。

社員は全員蔵人であり営業マンという姿勢。少数精鋭のチームワークが蔵を支え業績を伸ばしている。



五條酒造株式会社
五條市今井1丁目1-31 TEL0747-22-2079 /FAX0747-25-3646
http://www.sake-goshin.com/




■蔵めぐり⑫(復刊24号掲載 2007・8)

  稲田酒造  「黒松稲天(くろまついなてん)

                         天理教とともに歩み続ける

5月、奈良県酒造組合連合会が主催する「大和撫子麗しの宴」に参加した。女性300人が集い、大和の地酒を楽しんだ。

趣向の一つに、乾杯したお酒はどの蔵のどの酒でしょう? というゲームがあった。約60種の酒の中から1つを当てるというもの。

稲田酒造外観大和の地酒を愛する仲間がいて味わう機会も多いが当日、乾杯のお酒を口にした時、初めての出合いを感じた。すっきりした透明感のあるさわやかな味わい。それがこの蔵の大吟醸「黒松稲天」だった。

長いアーケードが続く天理本通りに蔵と店がある。ほとんどを直営店で売り上げると言う(なるほど、小売店で目にすることがないわけだ)。

しかし、天理市内の飲食店に入ると飲める所が多い。旅行者には特に地酒を楽しんでほしいと、専務の稲田光守さんが開拓してきた結果である。

天理教の御神酒。と言うよりも、天理教創始者の向かいに居住していた豪農の稲田家が御神酒をつくるために酒造業を始めたということらしい。以後、天理教とともに発展してきた。

天理教が年10数回催す祭典には世界中から信者が集まる。人口は何倍にも膨らみ、特に天理教本部に通じる本通りは活気づく。ある意味で、世界に最も流通する大和の地酒と言ってもいいだろう。上質の酒粕で作る奈良漬のファンも多い。

現在、専務の光守さん自らが酒造責任者として蔵へ入る。柔道で鍛え上げた体力と精神力、若い行動力が新たな魅力を広げている。


稲田酒造合名会社
 天理市三島町379 TEL0743・62・0040 / FAX0743・62・6668




■蔵めぐり⑪(復刊23号掲載 2006・12)

代菊金剛力酒造   「金剛力(こんごうりき)」

                       やや辛口に〃古城趣〃

高取町の土佐の町並みはゆるやかに南へのぼり、その頂上に名城の誉れたかかった高取城跡を仰ぎ、中腹には古刹壷坂寺を戴く。

この街道筋に軒を連ねる城下町の中程やや山寄りに金剛力酒造は店と酒蔵を構える。高取城が健在であった幕末までは、金剛力酒造は伊勢屋とよばれ高取藩の貨(金品)、人、文書(手紙)の逓送を業とする伝馬役で、同時に町の大年寄(村では大庄屋)でもあった。

浄瑠璃『壷坂霊験記』では目の不自由な沢一を優しく励ます伊勢屋の旦那として登場。当時の茅葺きの重厚な屋敷は国重文として、大和郡山にある県立民俗博物館へ移築公開されている。

ところで、「金剛力」の由来は、酒蔵の主体は御所市小殿ー大和青垣の最高峰金剛山麓にあり、その伏流水を酒水とするかららしい。

酒は素直だが、一本筋の通ったやや辛口が特徴。大和路では隠れたファンが多い。銘柄は金剛力の名を冠する純米大吟醸(精米度50%)から普通酒と、軽くて爽やかさが売りの鬼ごろし、古酒法四段仕込みの、にごり酒明日香がそろう。一本携えて古城跡の石垣を相手に…と頭をよぎる。 

ちなみに、城跡からは南は吉野群山の青い連なりが一望。目を北へ転じると大和盆地が眼下に広がる。
この土佐の町並みは今回紹介した桧隈の南隣。江戸中期の明和9年(安永元年ー1772)に本居宣長は逆に、土佐から桧隈へと辿っている。幕末には吉田松陰もこの里を訪れ、「高取はここを距る一里、山上の城楼眼中に在り。而れども君侯の居る所は即ち土佐なり、ここを距る半里」とその日記『癸丑遊暦日録』に記す。


金剛力酒造株式会社
高取町上土佐28番地   TEL 0744・52・2073   



■蔵めぐり⑩
(復刊22号掲載 2006・3)

代菊喜多酒造 「御代菊(みよきく)」

                伝統を守りつつ進化する

 
大和三山の一つ、畝傍山の南麓に橿原神宮が鎮座。そして東麓には御神酒を醸す喜多酒造が重厚なたたずまいを見せている。享保3年( 1718)の創業。現在の喜多一嘉社長は八代目となる。
 

  初代の酒屋利兵衛は米と水にこだわり、自分の納得する酒ができるまで酒屋の看板を揚げなかったという。

 
その精神を今も貫く。機械任せにせず、手造りの部分は頑固なまでにこだわる。信頼をおかれた越後杜氏がその伝統技術をいかんなく発揮している。

伝統を守るいっぽうで、時代の流れや変化へのしなやかな対応も心がける。モットーは「守りと進化」。


そんな努力は「全国新酒鑑評会」で、平成15年から3年連続金賞受賞という快挙として結実している。山田錦を40%精白、長期低温発酵させた大吟醸「白檮」(はくじゅ)である。フルーティで華やかな香りとうまみは、杯を重ねるほどに、造り手と対話するかのような酔い心地。

「白檮」の檮は『日本書紀』に甘檮岡とあり、また折口信夫の歌「畝傍山白檮の尾の上にいる鳥の…」(橿原神宮内に歌碑)に因んでいる。ラベルの字は、橿原神宮宮司の書。宮司が代わると書も変わるという凝りようだが、字体に人柄もしのべる気がしてこちらも興味深い。

より多くの人に味わってもらいたいと藏元自らが販路を広げてきた。今では、橿原市内の多くのホテルや明日香村などでも、この蔵の酒が楽しめるまでになっている。


喜多酒造株式会社
橿原市御坊町8番地 TEL0744・22・2419 / FAX0744・22・3588
http://www.za.ztv.ne.jp/miyokiku1718/info.html

■蔵めぐり⑨(復刊21号掲載 2005・7)

 西清兵衛商店  「春鹿(はるしか)」

               世界十数カ国へ輸出

元興寺から東へゆるやかに上る道沿いに、どっしりと風格を漂わせて建つ。東へ道路をまたぐと福智院、北東に春日大社、北に興福寺という立地。

醸造元の今西家は代々、神職として春日大社に仕え、御神酒の醸造に携わる。銘柄の「春鹿」は春日大社と神獣である鹿から命名。春日祭に供御される御神酒は、大社の酒殿に出張してのご奉仕が現在も続いている。

 県外で、奈良のお酒を話題にすると、一番先に名前が挙がるのが「春鹿」。
伝統の蔵ということもあるだろうが、若社長の今西清隆氏の功績が大きい。酒造りの現場は杜氏、蔵人に全幅の信頼をおき、氏自身は国内外を駆け回る。

甲斐あって、今や「春鹿」は、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツなど世界十数カ国へ輸出するまでに。
 ニューヨークでは常時、300種の日本酒が飲まれているのだとか。「ブームから定着の時期にきています」と今西社長は語る。

長い歴史によって培われた上質の日本酒こそ日本の文化なり、とその裾野を広げることにも力を注ぐ。

酒蔵ショップのオープンもその一つ。底に鹿が彫られたおしゃれなオリジナルグラス(400円)を購入すると季節限定など5種類のきき酒ができるとあって、気軽に楽しく試飲していく女性の姿もここでは珍しくない。毎年2月土、日に行われる酒蔵見学や、キッズルームも設ける9月の酒蔵まつりは大勢のファンで賑わう。

「伝統とは革新にあり」という家訓が生きる蔵は常に前向き。日本酒は苦手という人にも大好評の発泡性純米酒「ときめき」や、新たに挑戦した「木桶仕込み」も好調だ。


株式会社 今西清兵衛商店
奈良市福智院町24の1  TEL0742・23・2255 / FAX0742・27・3585
http://www.harushika.com/


■蔵めぐり⑧(復刊20号掲載 2004・12)

  油長酒造  「鷹長(たかちょう)」

          無濾過無加水、純米、斗瓶取りの「風の森」

 金剛・葛城の山麓に酒蔵が多いのは、豊穣な風土の証しでもあろう。名柄の街道筋に葛城酒造、櫛羅に千代酒造、室宮山古墳すぐそばの堤酒造など、いずれも美味い酒で定評がある。今後、御所の特集の都度、紹介していきたい。

油長酒造は、古いたたずまいの「御所まち」にある。酒蔵の、ひときわ高い屋根のてっぺんには、享保4年(1719)の創業時から歴史を見守る鬼瓦が今も健在。酒樽の形をした珍しい鬼瓦だ。

仕込み水は、葛城山の伏流水。地下百メートルの井戸から汲み上げる水は、自然に濾過されて、大敵の鉄分や有機物がすっかり取り除かれている。
米は、山田錦も雄町も使いつつ、地元のアキツホにもこだわる。地の水と米、気候、風土が個性ある地酒を育てるという思いがあるからだ。

伝統の銘柄は「鷹長」だが、最近は「風の森」の人気が高い。全て、無濾過で火入れしない生原酒、アルコールの添加がない純米酒。それを袋吊りし、自然に落ちたしずく酒を斗瓶取りする。

香りがたち、さわやかな飲み口なのに豊かに広がる味わい。御所から五條へ抜ける峠に因んだ酒は、その名の響きと同じように一編の物語を紡ぐかのようだ。杜氏とともに自らも酒造りに情熱を燃やす山本長兵衛社長の信念と自負を感じないわけにはいかない。  

500年前の技法を甦らせた「菩提もと清酒」も好評。年明けの正月六日から、13の藏元とともに、日本酒発祥の地、正暦寺で仕込みに入る。


油長酒造株式会社
御所市中本町1160 TEL0745・62・2047 / FAX0745・62・3400
http://www.takatyou.com/


■蔵めぐり⑦(復刊19号掲載)

  菊司醸造  「菊司(きくつかさ)」

                新体制でめざすこだわりの酒

奈良と大阪を結ぶ最短コースとして、古くから多くの人が行き交った暗(くらがり)越え奈良街道。松尾芭蕉は晩年、この道を歩き「菊の香にくらがり登る…」と詠んでいる。

その10年後の宝永2年(1705)、竜田川を西に控える街道筋に菊司醸造は創業した。蔵の後ろにある住居も、歴史を感じさせるどっしりとした茅葺きだ。

作業の合間を見計らって取材に応じてくれたのは、専務であり、杜氏も務める駒井大さん。米が蒸し上がれば釜へ急ぎテキパキと作業をこなし、蔵人に指示を与える。

アメフトで鍛えた屈強な身体と精神、緻密な頭脳、柔軟な若さが蔵を維持しているのだろうと感じさせた。

実際、駒井専務が蔵をあずかってから、体制はがらりと変わっている。大手メーカーへの桶売りをやめて規模を縮小し、吟醸、大吟醸、純米などの特定名称酒を中心に据えた。

「往馬(いこま)」は、新体制後に生まれたブランドで、地酒専門の特約店のみへ直売。好調な売れ行きで、通の間で話題になることも多いと聞く。

個性のある味わい深い酒づくりをめざす。そのためには手間を惜しまない。

自動もろみ圧搾機は使わず、伝統の木槽(きふね)で搾る。また、圧力をかけずに酒袋からポタポタ落ちる雫だけを集めた「斗瓶取り」。労力も時間もかかるが、酒の香りや味わいはより深く豊かに。酒米の研究にも取り組んだ結果、高品質な酒の低価格化も実現している。


菊司醸造株式会社
生駒市小瀬町555 TEL0743・77・8005 / FAX 0743-77-8420


■蔵めぐり⑥(復刊18号掲載 2003・12)

 中谷酒造  「萬穣(ばんじょう)」

                   伝統の蔵で画期的な挑戦

清酒が初めて造られたのは室町時代。奈良市の東山中にある正暦寺が発祥の地とされる。僧坊酒として江戸時代まで酒造りは続く。境内を流れる清冽な菩提仙川は山を下り、大和盆地を横断して、佐保川に注ぎ込み、大和川へ。正暦寺で造られた酒は、船で商業都市堺まで運ばれたとみられる。

中谷酒造は菩提仙川と佐保川の合流点に位置する。正暦寺と堺を結ぶまさにその拠点だ。江戸期に酒造業を始めた中谷家には室町時代の酒壺がいくつか伝わっている。正暦寺の酒造りの技も伝えられたのだろう。

伝統あるこの蔵が現在、画期的な挑戦で、酒造業界を揺るがし注目を集めている。

その一つは他社に先がけての中国進出。1995年、天津で純米吟醸酒「朝香」を醸造、中国全土に独自の販売網を張りめぐらした。中国で「朝香」が飲める日本料理店は八百に及ぶという。大手メーカーが中国で安い酒を造ろうとしたのとは逆に、高品質の酒を手がけたことも成功につながったようだ。元商社マンの若社長、中谷正人さんの視点と手腕によるところが大きい。

その二、技術革新。杜氏の熟練技や勘に頼らず、徹底した数値管理とマニュアル化で吟醸酒を作ってしまったのだ。しかも今年、全国新酒鑑評会で最高の金賞を受賞するに至った。
 
次々と常識を破って前進する中谷酒造。次はいったい何を? 各界から熱いまなざしを浴びる。


中谷酒造株式会社
大和郡山市番条町561 TEL0743・56・2296 / FAX0743・56・2646
http://www.sake-asaka.co.jp/

■蔵めぐり⑤(復刊17号掲載 2003・6)

 脇本酒造  右近橘(うこんたちばな)

             明日香の風土が溶け込む酒

明日香村で一軒の造り酒屋。ユーモラスな表情の亀石のすぐ近くにある。「明日香の蔵元できき酒をどうぞ」の伸びやかな文字に誘われて道をたどる。

ひなびた大らかなたたずまい。ふらりと故郷へ帰ったような懐かしさのなかで味わう酒の数々。純米「右近橘」、大吟醸「飛鳥京」、純米吟醸「倭のうたげ」、三年貯蔵吟醸「たぶれ心」、にごり酒「酒船石」…。口にふくむと、今しがた歩いてきた飛鳥路の風景がよみがえる。

そう、この蔵で醸される酒もまた、明日香の風土と切り離すことのできない個性をもつ。

酒の仕込みに使うのは、飛鳥川の源流水。厳寒期、山深い源流の水を汲みに行くことから酒造りは始まる。そして明日香に合った酵母と米。

脇本元靖社長自らが蔵人と一緒に、酒造りに携わる。小さな蔵だからこそできる細部までのこだわりとていねいな手法。加えて、研究心と新しいことへの挑戦。明日香村には、村外の人も農家の指導を受けて米や野菜、果物を育てることのできるオーナー制度がある。脇本酒造もこれに協力、オーナーが田植えから稲刈りまで携わった米を大吟醸酒に仕上げている。

大阪に直営店。一階が小売りと立ち飲み、二階が居酒屋の「旭屋」(大阪市淀川区西宮原1丁目4ー8 TEL06・6392・6758、新幹線新大阪北側)。


脇本酒造株式会社
高市郡明日香村野口5の1 TEL0744・54・2025 / FAX0744・54・3825

http://www.j-nara.com/eat/foods/fd06d401.html



蔵めぐり④(復刊16号掲載 2002・11)

 奈良豊澤酒造  「豊祝(ほうしゅく)」

                8割が純米、吟醸、大吟醸

奈良の地酒が飲める店で、いちばんよく出合うのがおそらく、この藏元の「豊祝」だろう。

日本酒の等級が廃止される以前から、その頃まだ珍しかった純米酒や大吟醸酒にいち早く取り組んだ。

現社長の、4代目豊澤安男氏と、日本の名工に選ばれている但馬杜氏・藤沢忠治氏のこだわりと努力から生まれた大吟醸酒は、平成2年全国新酒鑑評会で初めて金賞に輝く。その後も5年連続の金賞。ちなみに平成13年、14年も2年連続して金賞を受けている。

受賞を記念して始まった「豊祝会」は、今秋で11回目。多彩なゲストを迎えての講演会、新酒を味わいながら聞く酒つくり唄を楽しみにしている豊祝ファンは多い。年2回発行の会報は、酒に合う料理レシピや器の提案、第一線で活躍する人物インタビューなど、小冊子ながら充実した内容。

年間6000石という製造量は、奈良では最大手の一つだが、その5割を純米酒、3割を吟醸酒が占める。

純米吟醸の無上盃(むしょうはい)は、発酵学と醸造学の権威、小泉武夫東京農業大学教授が発見した酵母を使ってできた酒。命名も「この上ない酒に出合えたらつけようと思っていた」という小泉教授。すっきりした端麗な飲み口が人気を上げている。

杜氏の高齢化、後継者難はどの蔵もかかえる不安。将来を見越して、豊澤酒造では6年前から社員を蔵人に育てる試みを初めている。


奈良豊澤酒造株式会社
奈良市今市町405 TEL0742・61・7636 / FAX0742・61・7658
http://www.nara-cci.or.jp/houshuku/

■蔵めぐり③(復刊15号掲載 2002・4)

 今西酒造  「三諸杉(みむろすぎ)」

              日本酒の将来へ頑張る蔵

 
飲んでもらう人がいないことには、造ることも適わないーをモットーに日本酒の可能性を追い求める奈良でもユニークな藏元。
 
これは旨い、と好評を得た古くて新しい酒造法ー室町時代の僧坊酒の酒母造りーを奈良の若手藏元グループが復元。もちろん今西酒造も主要メンバーとしてこれに参加している。

加えて、テレビでも紹介された、和製シャンパン「雷来(らいらい)」の商品開発など、日本酒の将来と、若い世代へのアピールに余念はない。
 
とは言っても蔵の歴史は浅くない。天平の至宝、聖林寺の十一面観音像の天蓋に、この蔵の江戸時代の蔵主、今西新右衛門・弥右衛門の名が入っていることから創業は江戸中期の寛保2年(1742)としているが、おそらくそれ以前であろう。蔵の代表銘柄は神聖な三輪の地を言う「みむろ」にちなんでいるが、大吟醸酒は全国新酒鑑評会で金賞を受賞。奈良自慢の逸品だ。
 
そんな蔵に新潟の藏元で5年間修行した若い中村祐司さんが蔵人として入った。ゆくゆくは、新しい時代を代表するセンスを持ち合わせた杜氏と、期待は大きい。また、左党には見逃せない計画もある。今、蔵では蔵主の今西謙之さんを中心にこの蔵の酒を四季それぞれに楽しんでもらえる店づくりの構想が進んでいる。一つの蔵の酒が如何なる変化を味わわせてくれるのか、その開店が待たれる。


今西酒造株式会社
桜井市三輪町510 TEL0744・42・6022 / FAX0744・42・3612

http://www.begin.or.jp/~imanishi/

■蔵めぐり②(復刊14号掲載 2001・11)

 八木酒造 「升平(しょうへい)」

                   爽やかな飲み口と光る個性

奈良盆地の東辺をかぎる春日山の麓には春日断層が南の三輪山まで続いている。この断層から酒造りになくてならない硬水が湧き出る。その伏流水の通り道の一つが、柳生街道が奈良市街へ出た所にある清水界隈。「この井水を飲む氏子息災なる」などの話も伝わる。そして道筋に醸造元が点在。八木酒造はまさにその一つで、江戸時代を通じて『横田屋』の看板を掲げた藏元から明治10年(1877)に酒造りを継承した。

『升平』の名前と、飲み口の爽やかさで親しまれる普通清酒はこの八木酒造の代表銘柄。名前の由来は「日が升(のぼ)るが如し」と漢籍にあることによる。「日輪が昇るごとく栄える太平の世」がその心。

大吟醸の「ご香酒」、純米吟醸「大和の清酒」は、まろやかな中に一本筋の通った個性が光る。また、気楽に楽しめる「うめ酒」は梅の名所月ヶ瀬の梅を使い、春の訪れを知らす梅花の風趣を味わわせる。

町並みを縫う清水通りは中世以来奈良町の東西の中心道。蔵のはす向かいにある、有名な頭塔(土塔ーずとう)では白鳳天平時代の石仏がほほえみ、町の古民家はその歴史を伝えるが、中でも八木酒造はひときわ目を引く。気軽に訪れて、蔵直売の清酒を買うもよし、ちょっと試飲というのもよし。前もって連絡していけば、少人数の蔵見学もできるという。


八木酒造株式会社
奈良市高畑915 TEL0742・26・2300 / FAX0742・27・1841
http://homepage2.nifty.com/sho-hei/



■蔵めぐり①復刊13号掲載 2001・6)

 安川酒造 「雪園(ゆきその)                       

               “緑の里”映す風趣と味

                                 
田原の里で創業嘉永6年(1853)以来、約150年酒造りを続ける安川酒造を訪ねた。代表銘柄は清酒「雪園」。もちろん吟醸酒、純米原酒、本醸造、普通酒とそろっており、燗酒でも冷やでも旨くて爽やか。
 
田原は大和高原の一角で、奈良市街地より標高が高く、気温も低い。この自然環境が酒造りに適しているのか「雪園」を磨く、と兵庫県美方町からやってくるベテランの但馬杜氏・藤井好政さんはじめ5人の蔵人が口をそろえる。

藤井杜氏さんのお薦めは、酒造り工程のほとんどを洞蔵でやる大吟醸「夢街道」。そして、ほんのり山吹色をした10年間貯蔵ものの「熱風」、これはロックかお湯割りがよいと。

田原の里は大和路散策でも、その道の「つう」が訪れるコース。その里の中心地域にどっしりした白壁の酒蔵を構える安川酒造は絵になっている。そんなひと味違う里を知る人が蔵を覗いては買って行くらしい。

藤井杜氏さんにはもう一つ自慢がある。蔵特産で個性豊かな「菩提泉」だ。信長の時代に名を馳せた奈良酒・南都諸白がそのルーツ。田原とは峠ひとつ西の菩提山正暦寺に伝わる酒造法で、文献をもとに先代の杜氏が昭和63年に再現。その後も努力を重ね、現杜氏の藤井さんに継承される独自の伝統技術。飲み口はあくまで爽やか、杜氏の腕と田原の清澄な風土が醸すコクを備えている。


安川酒造株式会社
奈良市横田町257 TEL0742・81・0005 / FAX0742・81・0707

http://www1.kcn.ne.jp/~yumiko-y/


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