史跡 藤ノ木古墳 (ふじのきこふん)


 住   所   〒636−0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目1795番地
        法隆寺南大門前より西へ徒歩5分
     藤ノ木古墳は整備工事が完了し、墳丘表面にコグマザサを植え、周辺
 には、解説板やベンチが設置されるなど一新しました。
 
 石室内に入ることはできませんが、石室入口に設置された鉄扉のガラス
 窓越しに、石室内の様子や、玄室の石棺(実物)を見ることができます。

(2008・05・07)

藤ノ木古墳は、法隆寺に残る記録には、「ミササキ」「ミササキ山」と記されており、
崇峻天皇陵と記すものもあります。その後、発掘調査が進むに従い、斑鳩地方に
勢力を持ったと思われる物部氏、蘇我氏、平群氏等の諸説が提示されていますが、
定説化したものはありません。
古墳は円墳で直径50m以上、高さ9mの円墳で、出土品から、六世紀後半に築造
された古墳であると考えられています。
1985年(昭和60年)の調査まで藤ノ木古墳は考古学の世界でもほとんど注目され
ることはありませんでしたが、この第1次調査以降、墳丘の測量や横穴式石室内の
調査が行われ、玄室内は奥壁に接近して、奥壁と並行する形で、長辺を東西にして
家形石棺がおかれており、未盗掘でした。石棺は二上山白色凝灰岩を使った刳抜式
で、箱形の身と屋根型の蓋を別々に造りあわせたものでした。石棺の全面には朱が
塗布されていました。石室内には石棺北側から馬具などが発見され、又、埋葬後、
攪乱を受けていない東枕にした2体の被葬者が確認され、そのそばには、鏡や刀な
ど豪華な副葬品が確認されました。東アジアでもまれにみる優れた意匠や彫金技術
を施したもので、金具などにパルメット文など共通の文様を用い、鞍金具には竜・鳳凰・
象・などの禽獣文や鬼神像などを透かし彫りし、東アジアの様々な文様が集合したも
ので、仏教的要素・四神思想などの呪術的な世界の影響をみることができます。
   
          出土した金銅装鞍金具などの馬具類、金銅製の冠や沓(くつ)、銀製塗金空(うつろ)丸玉や
        ガラス小玉などの玉類などおびただしい量の副葬品は、現在 橿原考古学研究所附属博物館
          で常設展示されています。
        なお、これら出土した副葬品の複製品(レプリカ)は「斑鳩文化財センター」で常設展示しています。

藤ノ木古墳の副葬品・・・・国宝に指定

藤ノ木古墳の被葬者は誰?
昭和60年(1985年)に発掘調査が始まってから、考古学ファンでなくとも、関心の的である
藤ノ木古墳の被葬者。6回の調査のなかでも、決定づける発見はありませんが、その候補と
して、皇族、膳氏、蘇我氏、物部氏など、いろいろな説が考えられています。
現在、「穴穂部皇子(あなほべのみこ)と宅部皇子(やかべのみこ)の合葬説」が有力とされています。
その主な理由は、古墳の造営年代が蘇我氏により暗殺された時期とほぼ合っていることや、これだけ
の大規模な古墳であるのに、石室や墳丘の一部が雑なつくりであることや、本来ならば一人用の石棺
に窮屈な状態で2体が埋葬されていること等から造営が急がれたと考えられること、そして、他に類の
ない金銅製の馬具や冠などから当時かなりの権力を有した人物であったと考えられることからです。
しかし、今なお、決定的な遺物が出土していないため、結論は出ていません。
古代ロマンたっぷりの史跡藤ノ木古墳。みなさんも被葬者について想像してみてはいかがでしょうか。
(斑鳩町「広報いかるが」平成20年4月号より転載)
                                              
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