| 法起寺とともに斑鳩三塔と呼ばれているのが、この法輪寺の三重塔である。 |
| 創建については、2つの説があり、一説には622年に聖徳太子が自らの病気平癒を |
| 祈願し建立を発願、その子山背大兄皇子と孫の由義王が建立したという説で、もう |
| 1つは、670年(天智9年)の斑鳩寺の炎上後に百済の開法師・円明法師・下氷新物 |
| が合力して建立したという説である。 |
| 創建当初の三重塔は、1944年(昭和19年)に落雷により焼失し、現在の塔は、作家 |
| 幸田 文氏らの尽力により、1975年(昭和50年)に再建されたものである。 |
| 創建当初の法輪寺は、法隆寺西院伽藍と同じ伽藍配置で、約3分の2の規模であるこ |
| とが、発掘の結果明らかになった。平安時代の仏像、仏具が多数残っていることから |
| そのころが隆盛期であったことが推測される。1645年(正保2年)大風のために金堂 |
| をはじめ、諸堂が倒壊したが、元文年間(1736〜41年)に再興され、現在に至ってい |
| る。境内には会津 八一の歌碑がある。 |
| 「観音の しろきひたいに やうらくの かげうごかして かぜわたるみゆ」 |
| ※注 会津 八一(1881−1956) |
| 歌人・美術史家・書家。新潟市の生まれ。早大英文科卒、早大教授。 |
| 歌壇の外に立ち、万葉調・良寛調の歌集「南京新唱」「[鹿鳴集」などを刊行。 |
| 「法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究」で学位を得た。 |
| 法輪寺の塔は昭和の再建の塔であるため、世界文化遺産には登録されていない。 |
| 講堂の本尊は、十一面観音立像で、高さが5m近い一木彫りの像である。 |