おすすめ観光スポット


三塔いにしえの道(約5km)

三塔とは、法隆寺五重塔、法輪寺三重塔、法起寺三重塔のいわゆる斑鳩三塔の呼称です。
斑鳩ならではの塔のある風景、今に息づくいにしえを歩くコース。
聖徳太子ゆかりの古寺やその歴史と深く関わってきた里人の集落、これらが点在する道をたどれば、文化の香りと野のたたずまいが一体となった、斑鳩を代表する風景に次々と出会えます。

法隆寺iセンター

徒歩4分(約300m)

法隆寺

法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として今なお飛鳥の時代を伝えています。1400年もの伝統を誇り、仏教文化の研究の宝庫として人々の注目を集めています。また、1993年に日本で最初に世界文化遺産に登録され、世界的に見てもその地位は高まっています。

境内は国の指定史跡、南大門・五重塔・金堂をはじめとする19棟の建造物が国宝に指定されています。もはや風情や情緒といったものではなく、非日常の神秘的な雰囲気が漂っているスポットです。当時の栄華が伺えます。

徒歩9分(約700m)

斑鳩神社

菅原道真公を祀る旧法隆寺村(西里・東里・三町・五丁・並松)の氏神様。
法隆寺とも関係があり、平安時代(938年)当時の法隆寺別当湛照僧都が
道真公の後裔であったことから、境内に祀られた後に現在の場所に移されたそうです。
毎年10月の中頃には秋祭りが行われ、お祭りの日には、法隆寺境内の妻室前に
お旅所が設けられ、そこにお渡りがあります。

徒歩8分(約600m)

法輪寺

法起寺とともに斑鳩三塔と呼ばれているのが、この法輪寺の三重塔である。
創建については、2つの説があり、一説には622年に聖徳太子が自らの病気平癒を祈願し建立を発願、その子山背大兄皇子と孫の由義王が建立したという説で、もう1つは、670年(天智9年)の斑鳩寺の炎上後に百済の開法師・円明法師・下氷新物が合力して建立したという説である。
創建当初の三重塔は、1944年(昭和19年)に落雷により焼失し、現在の塔は、作家幸田 文氏らの尽力により、1975(昭和50年)に再建されたものである。
創建当初の法輪寺は、法隆寺西院伽藍と同じ伽藍配置で、約3分の2の規模であることが、発掘の結果明らかになった。平安時代の仏像、仏具が多数残っていることからそのころが隆盛期であったことが推測される。1645年(正保2年)大風のために金堂をはじめ、諸堂が倒壊したが、元文年間(1736~41年)に再興され、現在に至っている。
境内には会津 八一の歌碑がある。  
「観音の しろきひたいに やうらくの かげうごかして かぜわたるみゆ」
 ※注 会津 八一(1881-1956)
  歌人・美術史家・書家。新潟市の生まれ。早大英文科卒、早大教授。             
  歌壇の外に立ち、万葉調・良寛調の歌集「南京新唱」「[鹿鳴集」などを刊行。         
  「法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究」で学位を得た。
法輪寺の塔は昭和の再建の塔であるため、世界文化遺産には登録されていない。
講堂の本尊は、十一面観音立像で、高さが5m近い一木彫りの像である。

徒歩3分(約250m)

史跡三井

法輪寺旧境内の範囲に含まれ、聖徳太子が開掘した三基のうちのひとつだと伝えられており、法輪寺の別名である「三井寺」や「御井寺」についても、この井戸に由来しているようです。
この井戸は、明治年間には埋没していましたが、昭和7年に発掘調査が実施され、深さ約4.25m、上部直径約91cmであることがわかりました。
構造としては、底部に4個の石を方形に組み合わせて、その内外の隙間より水が湧き出るようになっており、側壁は中膨れの筒状を呈してあり、底面より約1.15mの高さまでは乱石積みで構築し、その上約3mを長弧長約29cm、短弧長約23cm、長さ約23cm、厚さ約7.6cm扇形の「せん」を積んでありました。
法輪寺より出土する瓦には「王井」の文字を刻印した瓦が出土しており、せん積みというその特異な構造ということからも、法輪寺とこの井戸とはかなり密接な関係があったと推察されます。

徒歩5分(約400m)

岡ノ原

聖徳太子の皇子・山背大兄王の墓所と伝えらている墓で直径200mほどの丘の上に所在する。直径20mほどの円墳「富郷陵墓地(とみさとりょうぼち)」と呼ばれている。法輪寺から法起寺に向かう道の中程で右手に見える小さな丘陵。

徒歩4分(約300m)

史跡三井瓦窯跡

三井瓦窯跡は、法起寺西側の尾根丘陵に立地する瓦塚2号墳後円部の西側斜面に所在します。
昭和6年に果樹園を開墾中に偶然に発見され、奈良県による第1次調査が実施され、天井部のア-チの残存状況がよい約40度の勾配をもつ「地下式有階有段登窯」(1号窯)であることが明らかとなり、窯内からは丸瓦と平瓦が出土しました。
瓦窯の操業時期としては、出土瓦と窯近くで採集された軒丸瓦が法輪寺や法起寺出土の八弁複弁蓮華文軒丸瓦と同范瓦であることなどから、七世紀後半から八世紀初め頃と考えられています。
窯体の規模の規模としては、残存する窯体の水平長は約4.9mで、高さは約3.8mを測る。また燃焼部の最大径は約1.8mで、焼成部の第1段目から天井までの高さ約1.3mであり、第1段は燃焼部底より高さ約79cmであり、それより上段の第2段から現存する第10段までの段の高さ36.4~45.5cmで、各段の幅は約30cmを測ります。
なお、平成7年度には、災害復旧工事に伴い第2次調査が実施され、1号窯に先行する天井部の崩落した2号窯を検出しています。また1号窯の焚口前面の平坦部において丸瓦を管として利用した排水溝や柱穴を検出するとともに、二面の灰原が検出されています。
三井瓦窯跡は、斑鳩における7世紀の斑鳩古代寺院の成立に関連する生産遺跡として重要といえるでしょう。

徒歩8分(約600m)

法起寺

法起寺は、太子の岡本宮を太子の遺言により、その子山背大兄皇子が寺に変えたもので、地名から岡本宮、池のそばにあったので池尻寺ともいわれる。
三重塔は、706年に完成したとされ、高さ24mの塔は最古のもので、法隆寺伽藍と共に世界文化遺産に登録されている。創建当時のものは、三重塔だけで、三重塔としては、最古最大であり飛鳥時代の建築様式を伝えている。

徒歩8分(約600m)

中宮寺跡

現在の中宮寺は法隆寺東院の東側にありますが、元は400m東方に所在していました。現在の中宮寺と区別するため創建中宮寺を中宮寺跡と呼んでいます。現在でも塔、金堂の基壇が土壇状の高まりとなり残っています。これまで数度に渡り発掘調査が実施されていて、調査の結果から、塔、金堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置をしていたことが明らかとなっています。これは聖徳太子が建立した斑鳩寺(若草伽藍)と同じ建物配置をしています。ただし、講堂や回廊は見つかっていないことから未完の寺であったようです。中宮寺跡は我が国における貴重な遺跡であることから平成2年と平成13年に国史跡の指定を受けました。

徒歩8分(約600m)

中宮寺

中宮寺は現在の場所から東へ約500mあまりの付近にあったが、中世室町時代に現在の夢殿の東側に移りました。聖徳太子が母の穴穂部間人皇后のために建立したと伝えられています。太子の斑鳩宮・岡本宮・葦垣宮の中間にあたるところから中宮寺と呼ばれたといわれています。
室町時代に尊智女王が入寺以来、代々門跡尼が住職となり、その法灯が守られてきました。
本堂には“三大微笑像”といわれる国宝の木造菩薩半跏像が安置されています。右足を左膝の上にかけ、左手は右足首に添え、右手は肘を右膝の上について指先で軽く右頬にふれる形で座っている像で、この像の形を半跏思惟の相といい、寺伝では如意輪観音と称するが、もともとは弥勒菩薩として造立されたと思われています。
また、聖徳太子の妃であった橘大郎女が、622年(推古30年)に亡くなられた太子が、天寿国に往生した様子を釆女らに刺繍させた国宝の天寿国繍帳も有名です。

徒歩1分(約80m)

法隆寺 夢殿

法隆寺東院伽藍の中心をなす八角円堂の建物。739年(天平11年)ころに創建され、1230年(寛喜2年)に大修理が加えられた。
聖徳太子の住まいであった「斑鳩の宮」の跡に、行信僧都(ぎょうしんそうず)が、太子の遺徳を偲び建てたのが上宮王院、その中心が夢殿。内部には、本尊の国宝救世観音像(聖徳太子等身の像と伝えられている)とともに、行信僧都と、平安時代初めに東院を修理した道詮律師(どうせんりっし)の座像があり、いずれも国宝に指定されている。
聖徳太子が住まわれた「斑鳩の宮」にも夢殿と呼ばれる建物があったと伝えられ、太子はその建物の中で思索にふけり、東方から来た金人(仏)のお告げを聞いたという。
『聖徳太子伝暦』

徒歩5分(約400m)

法隆寺

法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として今なお飛鳥の時代を伝えています。1400年もの伝統を誇り、仏教文化の研究の宝庫として人々の注目を集めています。また、1993年に日本で最初に世界文化遺産に登録され、世界的に見てもその地位は高まっています。

境内は国の指定史跡、南大門・五重塔・金堂をはじめとする19棟の建造物が国宝に指定されています。もはや風情や情緒といったものではなく、非日常の神秘的な雰囲気が漂っているスポットです。当時の栄華が伺えます。

徒歩4分(約300m)

斑鳩の里 観光案内所 法隆寺iセンター

奈良法隆寺をはじめとする斑鳩の里を案内します。
また、歴史街道の情報や、奈良大和路の観光情報を提供します。

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