更新日 2018年10月


日帰りバスの思い出

平成30年10月12日(金)


日帰りバス旅行をしました。 たちくい焼きのお茶碗と 三田のフルーツフラワーパーク 宝塚の日本最大のサービスエリアの思い出
今日は、楽しい一日でした。 文化部と高齢部の合同の日帰りバス旅行をしました。 最初 丹波のたちくい焼きは、見えていた頃 作品をろくろで作ったことがあるので 期待していなかったのですが  今回は、 登りがまを説明してもらい 触ってみました。 三日かかり 焼き物をまきで焼いてゆくそうです。
作ったものをさわると 形がきれいで 欲しくなりました。
そのあと 焼いたもの 特に この間 割ってしまった お茶碗が欲しかったので Oガイドさんにお願いして 探してもらいました。 少し大きめですが 薄い緑色でうずまきの模様のものを買いました。
これから 使うたびに 楽しかった思い出をよみがえらせることができたら いいなあ。
それから兵庫県 三田(さんだ) にある フルーツフラワーパークの一番奥のホテルの中 カトレアの間というところで おいしいお弁当をいただき 飲み物がフリードリンクだったので コーヒー 抹茶オーレなど 楽しみました。
それから 道の駅があるというので 往復40分ぐらい歩きました。 歩いている時は一所懸命だったのですが 家に帰ると足が痛くて困りました。
それから   コスモスを触ったり 萩やススキを触ったりしました。 背の高くない品種だったみたいです。 白やピンクが咲いていました。 山口百恵さんが歌っていた 秋桜を口ずさみました。
それから バスに乗り 次の 宝塚にある 日本最大のサービスエリアというところに行きました。
Oガイドさんは、ご家族と一緒に一度行ったそうです。 そこには タカラヅカの衣装や手塚修虫さんの漫画のアトムのも立体像やリボンの騎士のサファイアが展示されていて アトムの足だけ 触ることができました。
食料品を見て回り お土産を買いました。 栗の入ったおまんじゅうやみたらしだんごなど。 森のパン屋さんのところで モンブランのパンを買い コーヒータイム 食べてばかりですね。
午後6時前には、家にたどりつきました。
この間は 嫌なことがありましたが 今日は、最高に楽しかったです。 生きていればいろんなことがありますが 母と柴犬の雑種 フクちゃんと しあわせな日々だと思います。
父の老人ホームにも週1回はお見舞いに行っています。、
365歩のマーチの三番目の歌詞に 「しあわせの隣にいてもわからない日があるんだよ」というのがあります。 実感です。 認知症の母と小さなけんかをしたりしても 相手はすぐ忘れるのに こちらは覚えているので なんともいえない思いをすることがありますが 母がいるから 家に帰り さびしくないのだと思いました。
今が しあわせならば それでいいのです。 毎日を 大切に暮らしてゆきたいものです。


平成30年10月8日(体育の日)


今日 とてもショックな一言を聞きました。 義理の兄と姉と姪二人が 以前からお願いしていた アパートの入り口のネコヤナギを処分してくれたのですが 気持ちだけ 4人の昼食代を渡したのですが 義理の兄 私が聴いていないと思い 「○○じゃ やってられんな」と言いました。
姉たち 結婚も新婚旅行も親がかり 姪たちの大学の学費も出してもらっているのに 欲深いと思いました。 親孝行と思わずに ボランティアの気持ちなのです。
姉から もし 母が入院することになれば 犬と私を神戸の一部屋に住んでみないかと 言ってくれていました。 でも 姉も 一部屋貸すのに ただでは、ないはずです。 それはわかっていましたが 他人の家族の中に一人暮らしするなら できるだけ この母の家で 暮らそうと決意しました。 わたしもわがままですから もし うまくいかなくなり 移動できなかったら 後悔すると思いました。
健康寿命をのばすにも 一人暮らしのほうが 社交的にがんばらないといけないので のびるという 統計が出ているそうです。 悲しいけれど おひとりさま がんばる決意できました。
甘えたい 気持ちを絶った 本音聞く 康子

再発 脳幹に小さな出血


平成30年8月 最近 食欲がなくて からだの動きも悪かった ドクターは、大きな症状がないとMRIは、勧めない方針なので 腎臓の数値が悪いことだけで 毎月の通院が終わった。
しかし、 翌週 背中の痛みや足の重さを感じるので 受診しました。 MRIでは、造影剤をつかっても 新たな再発部分が見つからず、 タクシーで帰りました。
しかし 日曜日には、舌の左半分の味覚が亡くなり ほっぺたの内側の感覚がないのが自覚しました。 母のことがるので ホームヘルパーさんの依頼をすませて 鍵を預けて 水曜日 受診しましたら、 頭のMRIをしてくださいました。 脳幹に小さな出血があり、そのせいで いろんな症状が起こっていることを知りました。
ルンバールを受けて 個室に10日間 入院しました。 もちろん パルス治療(副腎皮質ステロイドホルモン剤の大量点滴)で症状を改善する目的です。 8月31日に退院しました。
それにしても 今回は、脳幹という 大切なところなので リハビリや作業療法もしてくださり、 からだのための動き方を習いました。 足は、力のあるほうから上げて 階段をのぼること。 降りる時は 力の弱い方から降りること これだけでも 段差が多い家の中で暮らすためには、必要な知識です。 作業療法士のかたからは、 洗濯バサミをつかうと指のちからが入るなど クッションボール サイコロ ひっぱる動き など 道具を使って 訓練を受けました。
今度 百円均一のお店で 探します。 倒れても 何かをつかむ 五十代 平成30年9月12日記す


川柳始めました。


 彼女が天国にいってしまい 3年が過ぎました。
ボランティアの女性に勧められて川柳を始めたと聞きました。
新聞の時事川柳に投稿してよく掲載されていました。
その頃は自分にはつくれないと思っていたのに 最近 ネット川柳の会に入れていただきました。
彼女だったら どんな川柳を作るかしら? 料理の得意な人でした。 病気にめげない人でした。 思いやりのある人でした。 最初の一歩を踏み出しましたよ。
ねねたん。天国からみていてくれますね。 あなたとのつながりができそうです。
2016年4月記す


2015年をふりかえって


今年は 6月から3か月間 耳鼻咽頭科に通院して 蓄膿症を治してもらいました。
毎週 土曜日 片道30分歩くのが大変でしたが 3か月後レントゲン写真で 治っているのを確認して やれやれとおもいました。
そうしたら 8月10日に母が転倒して 右大腿骨骨折して 入院手術 リハビリのため 面会と洗濯物を交換のために何回か行きました。
今まで ゴミだしも食事の用意もしたことのない父が 犬の散歩の夜も加わり 風邪症状が治らなくて 午後からも微熱が出ていました。
9月のシルバーウイークという連休の前に 今度は父が 自転車で犬の散歩をしようとして みぎに転倒 同じ病院に 入院しました。
連休があったので 手術は連休後ということで 改めて 微熱の原因をしらべてもらったら 肺炎になっていたそうです。
家では 朝の散歩をしたら ほとんど 外出もしない父が 早く治りたい一心でリハビリして 1か月半ぐらいで 退院しました。 その間に 玄関と居間のところを広くする改装工事をしてもらいました。 植木もたまり水で蚊が多かったので 処分してもらい 物置になっている部屋の片づけ 台所の片づけを姉家族がしてくれて 私は 手伝ってもらいながら 妹の 昔の洋服を片付けました。
今年は 10月23日に父が帰ってくるまで 怒涛の日々でした。
帰ってきてからも 犬の散歩は 叔父さんに頼むため 毎朝5時に 準備するため起きました。 早起きすると眠たくて 昼寝もしたりしながら 早寝 早起きしています。
いつまでも頼めないので 年末からは 時間をずらして 両親が犬の散歩をします。 まだ7歳と6か月で 元気なんです。 散歩が好きで 誰でも連れていってくれるなら 行きたいと犬が動きます。 こちらは 見えないので 家に連れて帰ってくれない犬なので まったくタッチしていませんが たまにくしをかけたり 母が餌をやるのを忘れていると あげたりしています。
母は、今まで野菜作りや花の手入れが趣味だったのですが 道具も肥料もすべて処分しました。 犬を処分したり 里子に出すことも相談しましたが 孫のようにかわいがっているので それに 運動もしないといけないので 犬の命はつながっています。
さてさて 来年は どんな年になるのでしょうか。 1月に岸和田のボランティアサークルのイベントでオカリナを吹くために練習をがんばっています。
12月13日 記す


2015年1月17日(土曜日)


今日は、 阪神大震災のあった日から20年後です。 あの朝 高槻市で 生まれて5か月の息子の上にかぶさりながら 元だんなと手を握り 私は震えていました。
幸い 家具を固定していたので 家具が倒れることはなかったのですが 借りていた家の玄関がゆがんでいました。
テレビをつけると とんでもないことがおこっていることを知りました。 大きな道路の橋がこわれたり 火事があったり、ヘリコプターが飛んでいる映像でした。
あれから もう20年たったのに 心の傷を負った人々がおられます。 両親をうしなったり 子供をうしなったり 家やマンションがこわれたり、 男性が 孤独死したり。 そういう 体験は、忘れられないものです。
昨年は おんたけ山が噴火して たくさんの 健康な人がなくなられたり、 人生は、 いつ 何が起こるかわからない。
大切な日を 自分なりに 生活できることが幸せなのだと思います。
実は、 メルトモの広島のハンドルネーム  bさんから 返信がないので 心配しているのです。
いつも お誕生日にメールを出すのですが、 彼女は 前向きで明るいメールを返信してくださり、 お互いの 無事を喜ぶのです。 それが 返信がないので 体調に変化があるのだろうか? 入院されているのだろうか? などと よくないことを考えてしまいます。 電話番号も わからないので ただ 祈る気持ちで待っています。
二年前 心の友が天国にいかれた時も とても さびしく 悲しく しばらく 食事も 作るのも 食べるのも おっくうでした。 でも 心の友の病状は 感染症で 高熱がおさまらないで苦しまれたので 「これで 彼女は 天国で 歩けて 笑っている よかったんだ。」と思えるようになりました。
毎日のように メール交換していたので 本当に さびしくて さびしくて たまりませんでした。
「どうか 神様 ハンドルネームBさんから 返信がありますように。 お願いします。」
人との出会いは、いつかは別れがくるのだと わかっていても 両親の老いを そばでみていても それが 別れの日に近づいているとは、思いたくないものです。
 


今年も 半年過ぎました。



しばらく 日記に ご無沙汰していました。 この間にあったことを列記すると
1、 父の入院騒ぎ。 2、母のアパートの入居者とのトラブル 3、 わたしの免疫が落ちていて、 また腸炎をおこして 15日間入院しました。
プライベートなことばかりですが 年々 日が過ぎるのが早くて、 目の前のことを 対応することだけで精いっぱいの私です。
息子が 中国の上海 (シャンハイ)のに 交換留学を1年間できることになり、 今 行っています。
来年の2月末には、 帰ってこれるのですが。 元気で 会えるまで 心配しています。
それから Y鍼灸学校でおせわになった  i先生に 5月に 18年ぶりに おあいできて 治療を受けました。 それは なつかしく また 優しい先生の気持ち良い治療にうっとりしてきました。
生きているうちに やっておきたいこと。 会いたい人に あっておくこと。 それが できればいいなあ。
2014年 6月記す


メガサイトウィルス


10月22日から11月28日まで入院してました。
10月の初めに出かけたのですが その三日後 のどが痛くて 風邪をひいたと思いました。
耳鼻科にも受信しましたが風邪には抗生物質は、きかないから PLという感冒症状をおさえる薬しか出ませんでした。
神経内科のSドクターも白血球が少ないけれど、、、 というだけでした。
22日の夜中 水を飲んでも吐き気がして 背中も痛くて 再発と思いました。
そして 日赤病院に 朝一番に行きました。 しんどいのでベッドに横になり 診察を待っているうちに 高熱が出てきて 点滴を入れてもらいました。
脊髄液の検査や胸部のレントゲンなどを受けて 午後に病室に入りました。
大部屋がなかったので とりあえずの個室ということでしたが 17日間いました。 少し症状が軽くなったので 大部屋に移り 20日間 リハビリのほうも2週間受けました。
階段に上がれるようにお願いしました。 家では、二階がわたしの部屋です。 二階に あがれないと 生活ができないのです。 ホームさんは、わたしの部屋しか お願いできません。
症状は、気管支炎ということでしたが 夜中になると 39℃の高熱が出て眠れません。 ロキソニンという解熱剤を飲むと汗が出ます。 こうりまくらをしてもらい、 朝型微熱まで下がりますが翌日も続き、 その後お腹がキリキリと痛み出し 腸炎もおこしました。
点滴と抗生物質の点滴を受けながら 高熱が9日間続きました。
感染症 メガサイトウィルスとわかり メガサイトウィルスに効く点滴を加えてもらい 白血球が増える皮下注射も してもらいました。
個室代金は、かかりましたが今回も命をたすけてもらい感謝しています。
わたしの悪いくせで 大部屋に入ると 他人のことが気になるのです。 それが退院したい気持ちのめどです。
まだ微熱がありましたが 白血球が増えてきたので 退院の許可が出ました。
家に帰ると たたみの生活です。 いったん座って 立ち上がるのに なにかにつかまらないと 立ち上がれなくて 2 3日 痛かったです。
今年は クリスマスもお正月も家で過ごせるよう 部屋を暖かくして暮らしています。
うがい 手洗いマスクもしています。 免疫力をおとす薬を飲んでいるので 感染症に弱いのだと 今回 自覚しました。
高熱のつらさ。 忘れません。
12月11日記す

 

2013年8月の再燃から10月までのこと


今年の夏も暑いから 食欲がないと思っていたら また 夏風邪をひいて 大きな 再燃をおこしてしまいました。 日赤病院に16日間入院しました。
ちょうど 暑い時だったので 病院の冷房完備は、ありがたかったのですが 更年期に入り 思うほど 回復力がなくて、 家に帰っても しばらくは 疲れがとれなかったです。
その後 歯がうずいて 神経をぬくために歯医者さんに通院したり、 膀胱炎をおこしたり、 坐骨神経痛が出て歩くのがつらかったです。 次から次と苦労しました。
やっと パソコンに日記をつけようという気持ちになれたので、 書いています。
同じ病気で首から下の麻痺をおこしている お友達が 9月25日に 旅だ足られました。
長く お互い励ましあっていたので とても寂しいですが
彼女が苦痛から解放されたことを今では 良かったねと思っています。 わたしと同じ食いしん坊で がんばりやさん。 いや 彼女のほうが 苦労人でした。 まだ わたしのほうが 両親に甘えています。
視力をなくした私と 見えるけど 自由がきかなくなった友人。 お互い なぐさめ励ましあっていました。 この友人だけが もう10年ぐらい メールやスカイプ 電話でつながっていました。 11歳年上の彼女とのつきあいは、 いつかは わたしもなるのかな? という不安と 彼女が泣きごとを書かない 心の強さに 尊敬の念を抱いていました 今でも 彼女の思い出は、わたしの胸の中にあります。 がんばるからね。見守ってね。
hpのメール返信を置いていないわたしですが 友人からオカリーナの音色がいいと言ってもらったので 歌声喫茶は、閉店してオカリーナの音源を入れようと ただいま準備してます。
2013年10月9日記す


開き直って生きてます。


自分の部屋で自炊を始めて 半年たちました。
レパートリは、少しずつ 増やしています。 今は、 hpで検索すると 作り方がわかるのでありがたいです。
味付けも薄味にしたので 血圧も下がりました。 夏で血管が拡張しているというのもあるのだと思いますが 努力は、むくわれる。
それから、 久しぶりに 高校生の時の友人とも会えて 楽しいひとときを過ごせました。
「やせたね」というのが うれしい年頃です。 おなかのだぶつきや お尻の下がったのは、 みんな同じ。 体力も若いころに比べるとないよね。 なんて 話しましたよ。
高校生の時は、 相手の事情なんて わからないのに 「ちゃんと学校こないと 卒業できへんよ」なんていっていて、 あの頃 彼女たちは、 悩んでいたのを知って、 自分ながら 自己中心だったと反省したのでした。
あれから30年。 ああ 年がばれるね。(笑い)
息子が 大学生になり、 まだまだ 見届けたいので 開き直って 生きるのだ。 (笑い)
おせっかいやきの自分の性格は、母親似だったのを知りました。
2013年7月記す

15年と5カ月 愛猫が永眠しました。


2012年11月22日 ちまたでは、いい夫婦の日でした。
老衰で愛猫のしまちゃんが永眠しました。
なんだか とってもさびしくて その後風邪ひいて 再発です。 今回は、入院して治してきました。
しまちゃん。あんた 今までありがとうね。 おかげで男がいなくても寂しくなかった。(苦笑)
心に ぽっかり穴があいたみたいです。 しばらくは さびしいと思います。 月日がきずを癒してくれるでしょう。
老衰だと思いますが わたしに 死に方をみせてくれました。 薬も使わなかったら ああいう風に 人間も老衰するのでしょう。

今年もあと二か月


しりもちをついたあと 坐骨神経痛がきつくなり、痛くて歩けない状態になりました。 レントゲン写真を撮ってもらいました。 仙骨は、大丈夫だったのですが なんと 第5腰椎がすりへっていて「変形性脊椎症」と診断されました。 ああ 病名が増えました。
ステロイドの薬を飲んでいるので 骨密度は、気にしていたんですが 老化現象は、確実にきていたみたい。
それから このステッキ型の白杖のありがたさを再確認して、 福祉事務所に行ってみました。 東大阪市では、 ステッキ型は、肢体不自由の部で 日常生活用品に なっていません。 そういう 福祉事務所の応えに なんとか ならないものかと支部の会長さんに相談しました。 また、 府視今日のU様に相談して、お知恵を借りました。 やはり 文書で 陳情書を書かないといけなくて、 その様式のワードのファイルをいただきました。 こういう時 パソコンクラブに行き、 他の市のことを情報交換できて 良かったと思いました。
困ったときは、 一人で悩まないこと。 相談できる仲間がいることが心強いです。
また、 さくら会でお世話になったk保健師さんにも相談しました。 洋服の色を識別する機械も できれば日常生活用品に入れていただきたいと 陳情するつもりです。
そのための視覚障害者の会に入っています。 それから、来年のことになると思いますが 東大阪市も点字教室をひらいていただきたいと 点字は、視覚障碍者にとって 必要なものですので 是非 開いていただきたいとお願いしています。 人数集めが まず必要みたいです。 競技会に出なくても 最初は、いいと思います。 自分のものを管理できる。 選挙で 点字投票できる。 年賀状を出せる。 それだけでも 自信につながると思うのです。

 

両親のこと


バツイチになり、 両親の家に 戻り もう18年が過ぎようとしている。 何度も 入退院を繰り返し、父の運転で 助けてもらいました。
しかし、 両親も 後期高齢者に なり、 やっと わたしの 病気がステロイドを切らなければ 重症にならないものと わかってきたので 外来パルスで 入院しなくなりました。
今度は、 母の難聴とメニエール。 父の老作成狭心症と最近 軽い認知症がわかり、 介護の問題が出てきました。
わたしたちは、 コウケントーがしたいし、、 動物を飼っていますので なるべく 離れ離れになりたくないのです。
わたしが もっと しっかりしなければと思いながらも 両親の老化や愚痴を聴くことが苦痛になりつつあります。
そういう時は、 オカリナや歌が気晴らしになってくれています。 趣味を持っていて良かったです。

9月25日から30日におこったこと


25日に 神経内科を受診して、プレドニンを交互に2錠と4錠になりました。 これは 15mgになったということです。
26日は、 料理教室で 永和の青少年婦人会館に行きました。 進行係をひきうけてしまったので、緊張しました。 その日 大きなリュクサックで 足の持ち上がりが悪くて 後ろに店頭してしまいました。 しりもちをついて 頭にこぶができました。 頭のほうは、 冷やしていたら こぶもひいたので、おしりの痛みだけと思ったら これが なかなかひかなくて 整形外科で 湿布をもらいました。
ひびが入っていたら 痛みが増強するので そうでないので 打撲だろうということになります。
28日は、 docomoの携帯電話セブンの活用方法を聴きに出かけました。 3に比べると 漢字変換やコピー、インターネットの利用も良くて、 今度 購入しようと思います。
世間は、スマートホンですが、視覚障碍者には、タッチパネルで 使えないそうです。
東京から 5人のグループで 来られました。 中に 全盲の男性がいて 晴れ眼者の女性と交互に実演と操作ガイドをしてくれました。 また数人に一人 画面をみてくださるスタッフがいて、 操作が間違っていたら修正してもらえました。 いろいろ 要望も出て、 視覚障碍者には、 携帯電話を残してほしいと思いました。
29日は、 私は、 ディジー図書を聴いたりして 元気だったのですが 両親が食欲がなくて 心配しました。 30日 母が弟君からもらった新薬のために 胃腸が動かなかったと 言うので 電話で やめてもいいかと 聴いて やめることになり、 安心したのか? 食欲がもどり、 ほっとしました。
アリセプト5という新薬で 認知症の予防薬です。 脳に効くものは、胃腸が動かなくなる 副作用がでるみたいです。 ひとつ 勉強に、なりました。

再発のその後

 

6月5日(火) 今日は、 消化器内科のO先生の受信日でした。 胆嚢の袋がぶあつくなっていて 1年ぐらい前から 定期的に 腹部エコーを受けています。 今日も 腹部エコーのあと診察を受けました。 腹部の痛み。吐き気 食欲不振。を聴かれました。 「あー そういう 症状があれば 危険信号なんだ。」と思いました。 結果は、変わりなし。脂肪肝も 以前に比べれば 軽くなっているようです。 腎臓も腹部大動脈もみてもらえるので また 経過観察します。 今度は、6カ月後の12月。 年末の予定が入りました。 (笑い)

6月11日(月)



また 視力が落ちて 背中が痛くて 腹筋が弱ったみたいなので 予定を変更して 日赤病院に行きました。 採血 MRIの造影検査 眼科受診の後 パルスを受けました。 ドクターからは 入院を勧められましたが 猫がいるので 今回も 外来パルスをお願いしました。 帰ったら 大汗をかいていました。 簡単に シャワーをして寝ると 翌日は、 くしゃみ 鼻水で感冒症状が 出ました。 微熱も ありました。 パルス 二日目だったので 感冒薬と抗生物質 解熱の 処方箋をもらい 飲んだら くしゃみ 鼻水がおさまり 睡眠がとれました。 パルス三日目を終えて まだ 頭の回転は、いけるようですが 明日から 飲み薬になるので おとなしくします。
見え方は、 蛍光灯がついているか? 消えているか? わかる程度です。 光の感度は、落ちているのでス。
背中から腰にかけて 自発通がありますが パルスをいれているので 我慢できる程度です。 抗てんかん薬の リボドリールを昼 2錠追加してもらいました。 痛いのが ストレスになるので これで 楽になればいいのですが。

7月11日(水)


てんかん薬を増やしてから 昼間 眠たい。 これは 副作用とのこと。 まあ 気持ちをのんびりと持たないといけないから いいのかも知れない。 腹筋の弱りも だんだん 元に戻るよう 努力している。 ザクロベルトという 腰ベルトをして ズボンをはくと なんとか歩けます。
下半身が重たいのが 楽になったら 歩きやすくなるはず。 がんばるしかない。

7月30日


免疫抑制剤の血液濃度が良かったので ステロイド剤のプレドニンを減量する方向に なりました。
31日は、3錠 8月1日は、4錠と 隔日にして 減らします。 むくみがあるので 少しでも 副作用をとりたいです。 先日 近畿ロウビジョンサービスの会を Kさんから紹介されて 西磐田のK様と兵庫県に住んでおられる F様と会いました。 独り歩きのできるかたで、 仕事をもっておられて お二人とも前向きで 刺激に なりました。 私は、 ガイドさんと一緒でないと交通事故に遭いそうなので 今の状態では 出歩けません。 でも 世の中では 中途で 視覚障害になり、 いろんなことを考えている 同世代のかたがいることを知り、 いろんな情報を欲しがっておられることを知りました。 いろんな 不便なことを のりこえていかないといけません。
私は、 ほぼ 全盲に近くなりました。 さて これから 家事援助をお願いすることにしました。 週1回 1時間30分 来てもらいます。 15年文の 貯まった不要なものを捨てて、 使えるものをきちんとした場所に置きます。 自分が暮らしやすいように 両親に 負担をかけないように がんばります。
それから 8月3日は、 息子の誕生日です。 メールをします。 これが 今の楽しみです。

8月5日(日)



また 気をつけていたのに コウケントーのふたで低温火傷をしてしまいました。 感覚がにぶいので 背中のきずは、 何回か経験しています。 それにしても 夏は、 治りにくいので それに 化膿しやすいので 大変です。
母上に頼んで 消毒の必要な材料を買ってきてもらいました。 以前のは、使い果たしていました。 ドクターからもらった 軟膏は、持っているので なんとか 自力で 治したいです。
プレドニンを2.5ぐらい減らしていますが 今のところ しんどくはないです。
でも 背中の痛みの強い時は、 ロキソニンを使っています。
我慢すると ストレスで また再発になるので。それが一番困ります。
今年の夏は、 湿度が高くて 雨は 降らないし 風も少なくて エアコンがなければ 暮らせないです。
のどが渇いていなくても 水分をとるようにしました。 アイスノンも ありがたいです。

9月17日 息子に会いに行きました


 中学生から 落語の繁盛鄭が天満宮の近くにできたので 息子と会う日は、チケットをとって、 落語を楽しみ、食事して 帰るということにしています。
その時によって、 昼食をすませてから おちあったり、 遭ってから 昼食を一緒に食べるときがあります。
今回は、 受験のために 年末に会えないので、 遭ってから 昼食を食べながら 話をしました。
わたしに似て、 胃腸が丈夫みたいで、 恰幅がよすぎるみたい。 成長ホルモンがまだ でているので がんばって 縦に伸びてほしいなあ。 わたしが 小さいので 余計 そう思います。 見た目が良いほうがいいもんね。 はっぱかけましたが 今は、受験なので 運動不足みたいです。
遭うと ほっとするのですが 帰ると さびしいです。
今度 会えるのは、4月。 彼の 行きたいところへ 合格していますように 願っています。

2012年6月


再発の記録を残すことにしました。
1月1日の正月から病院へ 2012年の初めから 今回は、再発がおこったのでパルスを受けました。 3日間 1月4日からは、外来が始まったので MRIを受けました。 東部で、やはり目のあたりにうつっているものがあったそうです。 10日には、頸椎と胸椎のMRIを受けました。 症状としては、左の脱力感や反射高進があるように思いましたが 造影したものには、はっきり映っていないとのことでした。 握力系は、下がっていましたし、痛覚などの位置がかわっていたようです。 見え方は、 以前が10として  6ぐらいに落ちました。 手さぐりで生活をしています。 プレドニンは、40mgから始まり 4日間 その後 30mgを1月24日まで。 25日から2月22日まで25mgです。 そのあいだ 免疫抑制剤 プログラフを続けています。 首が太くなっていることに気がつきました。 ステロイドの副作用のバッファロー肩のせいです。 ステロイドの副作用は、こわいけれど 再発があるたびに機能が落ちるのがつらいです。
2月4日 首と顔と感覚が違うことに気がつきました。 やはり、頸髄のところも再発があったようです。
2月6日(月) 眼科受診しました。 A先生に変わりました。 「 所見は、1月4日と変わらない、だいぶ神経がやられていますね。」 と言われました。 障害年金の診断書を出す年だと思っていたら あと2年後の2014年でいいと 年金事務所で教えてもらいました。 視力がないと、郵便物の管理が大変です。 大切なものは、管理したいのですが家族と一緒なので 両親の目をかりています。  
2月22日に神経内科受診。 障害者センター内のリハビリに通うため 「意見書」を ドクターに書いてもらいました。 ステロイドを20mgに明日から減量。 不眠のため 睡眠薬アモバンをもらいました。 足の中に違和感があって 歩きにくいです。 ゴリラみたいになってしまいます。 だいぶ 感覚がにぶっているように感じます。 ckという酵素が上がっていて 弟君にきいたら ステロイドを飲んでいて 筋肉が少なくなっているから低値でふつう。 上がっていたら炎症がるとのこと。 少し あがっていました。 貧血とコレステロールは、改善されていました。 最近 食べ過ぎると 胃袋が働いて背中がいたくてしんどくなります。 食べ過ぎに注意をします。
3月12日は、雪が降りました。 午後から リハビリに行きました。 手だけを動かすのに からだごと緊張していると 教えてもらって からだの使い方を覚えないといけないと思いました。 自分では、気がつかないことがあると思いました。 睡眠薬を飲むと 朝まで1回おきるぐらいで眠れます。 飲まないといつま夜になり、あおむけになると わきから 胸にワイヤーがはいったみたいに痛くて眠れません。 朝は、にぶい痛みは、ありますが 呼吸法や 作業をしているので 忘れています。
4月24日火曜日の受診で T先生に代わりました。 女医さんです。 プログラフの濃度も安定しているので プレドニンを15mgに減量してもらえました。 25日から 減らしました。 体重がまた 戻ってきていたのですが プレドニンを減らすと 食べ物を変えていないのに 少し 体重が落ちたようです。 これは、むくんでいたのではないかと考えられます。 正月は、食欲不振で体重減少しましたが 元気になると 増えます。 今度は、 食欲を維持したまま 量を減らして食べて。 運動で やせないといけないと思います。
5月1日 プレドニンを減らしてから 一週間ぐらいです。 顔に発疹ができて からだがだるく感じます。 これは、 副腎皮質のホルモンが減らしたための症状と考えました。 三日ぐらいして やっと 顔の発疹がとまり、かゆみがなくなりました。 コウケントーを赤と緑を合わせて照射しました。
6月3日 自主リハビリは、月1回ですが リハビリのプログラムをたててもらい、 家で 思い出したら するようにこころがけています。 なかなか 筋肉量は、増えませんが 疲れやすさがすこしだけましではないかと思います。 昨日 岸和田市に出かけましたが いつもより 疲れがすくないです。 いつもなら ぐったりしているのです。 (笑い)

二度目の人生


他人に今までの人生を話したら
「天国から地獄やな」って、言われたけど
わたし 二度目の人生やと思ってる。
普通の人は こんな苦労しないで
すむんやろか?
私みたいに 二度目の人生を
にやにや笑いながら 過ごせる人も
おるんやないかと思ってる。
だって 自分を卑下しても なあんにもいいことあらへんやん。
そりゃあ 見えていた人間が見えなくなると
こんなに不便かと 思うけど
見える人では 味わえない
楽しさ 喜び
感謝の気持ちをもてたもん。
病気しなかったら もっと 厭な人間に なっていたと思う。
親からは 半人前って 言われるけど
私は もともと半人前だもん。
これから 一人前に なる未来を
神様が残してくれたんやわ。
ほんと ほんと。
よっぽど 楽天家でないと 生きておられへんやん。

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また再発 さくら会の会長を辞退しました。


今回7月に
 また真っ黒になり、 大急ぎで日赤病院に連絡をとり
、 父に車で連れて行ってもらいました。
外来でパルス療法をうけました。
左の力が落ちていて
視力もほとんど見えなくなりました。
だんだん 左側の力は、戻ってきましたが
視力は、うすい光がわかる程度で
食事やお風呂、
歩くと見えていません。
それで、 今回は、決心して、以前から両親から言われていたこと
「ボランティアもほどほどに、負担になるなら、辞めなさい。」という意見に納得しました。
自分がボロボロになって困るのは、自分です。
それに家族です。
それで さくら会の会長を辞退したいと、相談しました。
予定は、来年3月まで講師の先生方にお願いしていますので
保健センター保健師さんと相談します。来年3月まで 会長をがんばります。
  引き受けてくださるかたがいなければ、解散になりますが
今まで 続けてこれたのは、
ひとえに 保健師さん。むつみ会さん。
Oガイドさんのサポートのおかげです。
 会員さんも 熱心にきてくださるかたがいて、その存在が力になりました。
がんばれた要因です。
ありがとうございました。

2011年3月11日 東北 関東大震災 津波 福島県の原発故障


この日は、大阪では、軽い地震を感じただけでしたが、
テレビやラジオで 津波警報が出て、約3万人のかたが亡くなられました。
ん98年前も津波があったそうです。
そのころの事情は、わからないですが
今回は、メディアの放送など たくさんの情報があります。
こんなことは、二度と起こってほしくないですが、
人間 いつ 何が起こるか わからない。という
教訓のように感じました。
いろんなところで 義援金の募金箱が開始されて、
日本の3分の2がヒ害がありました。
風評被害も起こっています。
日本人が 今まで 原発で 安い電気を使っていたこと。
そして 原発は、故障すると 放射能がもれて、大変なことなど
今まで知らなかったことが 表に出て
それに まだ余震が続いています。
復興ができるまで 日本国民全体で応援しなければ
いけないと思いました。

血漿交換療法


11月の末ごろ 風邪をひきました。
いつもは 漢方薬のごおうで治っていたのに
全然よくならない。
ちょうど 11月30日が部長先生の診察日でした。
受信して 検査を受けて パルスを受けました。
「明日 入院の用意して おいで」と言われ
翌日 また タクシーで行きました。
今回は、 1クール3回のパルスの後
初めて 血漿交換療法を受けました。
右の頸部の静脈にルートをとり、
3時間かけて 血漿交換療法を受けました。
つらかったのは 2時間すぎると 排尿がしたくて たまらないこと
でも ベットの上では 尿器をあててもらっても 出ないものです。
耐えました。
3回の治療で 手足の力が戻ってきました。
視力は、まっくらだったのが また 窓の光が見える程度に戻りました。
パルスだけでは 効かなくなっていたんです。
保険が効いて 入院費用もかからなかったです。
10日間 入院して
帰宅できました。

2010年5月11日 再発


今 思えば 前兆がありました。
まだ若いのに 尿失禁なんて。
それに 大切にしていたコーヒーカップをわってしまったり
なんだか注意力散漫でした。
オカリナの演奏の練習もあり、気持ちがはっていたのかも。
でも とうとう再発です。
みんな キャンセルしました。
あてにならない人間と思われてもいい。
私は 歩いて 息子に会いに行きたい。
その一念です。
いつも お世話になっている大阪赤十字病院のドクターが休職中なんて
どうしよう。
思いついたのが
以前 お世話になったS先生
難波のクリニックでMSの患者さんを診察しておられること。
携帯電話番号を教えてもらっていました。
「すぐ 来なさい。」
タクシーで行きました。
診察を受けて パルスして 家に戻れば
もう夜8時でした。
3日間 パルスに通いました。
それから 10日間は家で なるべく安静にしました。
おかげで 歩くのは 以前に戻りつつあります。
免疫抑制剤を始めたので
人ごみにこれから 出る機会を減らさないといけないですが
気持ちは「 歩ける なんとか がんばれる。」
と 思えるようになりました。
パルスでベットで横になりながら
10歳下のMSの女性と話しました。
小さいお子さんが二人。 ご主人と4人暮らし
ご両親が健在で助けてもらっているとのこと。
家族が支えになってくれます。
自分にいい聞かせながら そんな話をしました。

2010年春


桜が咲きました。
一人息子が高校に入学できました。
私にとっては、とても うれしいことです。
あの子がいるから 長生きしたいし、
あの子ががんばっているから 私もなにか がんばりたい。
そんな 15年でした。
これから 両親も衰えてきて、視力が乏しくなった私が
役に立てるか?不安でもあります。
でも、家族だから いろんなところに相談しながら
両親と暮らして行きたいです。
そのためには、 脊髄の再発がないこと。
自分に言い聞かせながら暮らしています。

2009年9月


今年は、 まだ 脊髄炎で外来パルスをしないで
自宅で 過ごせています。
自分なりに 趣味をもったりオカリーナと パソコンです。
他人 健常者とも 関わりをもち
さくら会のこともがんばっています。
でも いつ どうなるか?
先々の不安感は、拭い去れません。
ただ ありがたいのは、
両親が がんばってくれていること。
コウケントーという 治療器があることで
苦痛が 内服薬だけでなく コウケントーでとれるので
症状の悪化が怒っていないことです。

いつまでも 元気でいたい。


春先 また脊髄炎の再発がありました。
両足がだるくて 怖くなって 月曜日を待って 主治医に連絡をとりました。
すぐ MRIの検査をしてもらいパルスの点滴を受けました。 ステロイドの多量点滴なので、効果は早いです。 あとは 副作用との戦い
でも おかげさまで また杖をついて 歩けるようになりました。 主治医に感謝です。
最近は 外来で パルスをしてもらえるので 入院のストレスがありません。
家の猫の世話もできますし なにより 入院すると 見舞いに 来てくれる家族に負担をかけるので それがないだけでも ありがたいです。
3日間 車で 送迎と付き添いをしてくれた 父には とても感謝しています。
でも父も高齢になりました。 いつまでも 甘えられません。
再発がないように なれば一番いいのですが 私の病気は 疲れたり 風邪をひくと 出てきます。
いつまでも 元気でいたい。 両親も元気でいてほしい。 今の願いです。

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