げ。と思った時にはもう遅かった。
 きっと半笑いのおかしな表情をしていたに違いない。自分にほとほと呆れた表情。一瞬後にはしる痛みを覚悟しながら、俺は両手を地面についた。

「ぎゃあー。痛ぇー」



【癒えない】



 なるべく何事もなかったよな顔をして、コンバースのつま先で更衣室の扉を開けた。中には先客が2人いて、バスケ部の小姑の方はこちらをちらりと一瞥しただけで、また着替えに戻る。白い背中が眩しいぜべいべー。奥の幼馴染のダチンコがいなければ茶化してでも言っていただろう。

「リョータ。遅かったな」
「んー、ちょっとな」

 無駄にふわりと笑ってごまかした。聡いヤスに気づかれないようにするには厚いオブラートが必要だ。ロッカーに鞄を押し込んで視線を横に投げると、小姑こと三井サンがからす色のシャツにもう着替え終わっていた。小姑とは言ったものの、別にウザいとか嫌いとかじゃない。なんとなく…仲良く馴れ合うのを他人に見せるのが気まずいだけだ。俺と三井サンが実はラブラブなんてこたぁー当人達だけが知っていればいいんだ。精神衛生上の理由で。それだけというわけでもなく。

「…お前も早く着替えろよ。結構練習時間少ねぇぞ。バレー部も明日試合らしいからな」
「え、そうなの。じゃあ2分の1でシェアすればいいんじゃねぇの?」
 三井サンの低い声に驚いて振り向いた俺に、ヤスの声も届く。
「キャプテン会議で言ってたじゃん。後シェアはできないよ。卓球部もバド部も公式試合近いし」
 言外に主将は君なのに聞いてなかったの?という非難が混じっているような気もする。
「俺らがインハイ行ったから、他の奴らも燃えてんだよ。身近に実例があると目指しやすいだろ?」
 けけけと得意そうに三井サンが笑って、それにヤスが「柔道部も行きましたしね。うちって結構凄いですよ」と反応していた。親しげな会話に入り込めないのがむかつく。
「まぁ、うちも練習試合だけど気合いれねぇとな。陵南とやんだからここで勝って景気あげとかねーと」
「よく考えれば俺達だけでシュートの練習するのって初めてかもしれませんね」
「もっと前からやるべきだったんだよなレイアップ以外のシュート練。なまじ点取る奴がいるからまかせっきりでおろそかに…」

 耳の端で聴き取りながら、真剣な会話にドキドキする。隠していることの後ろめたさで。どうもアレだ。最悪だ。こんなことならドア開けて入ったときに「いやー、今さっき原チャですっころんじゃったんだよね〜!手のひらエグちゃってちょっと練習とか試合とか無理かも!ハハッめんごめんご」とか笑い飛ばしておくべきだった。うーんまいった。三井サンがつきっきりで3Pシュート教えてくれるって言うから、浮かれていた俺がバカだった。ええー。マンツーマンじゃなくヤスもいるのー?って昨日言っちゃったからバチがあたったんだ。神様と親友よごめん。

「聞いてんのか宮城?気合入ってねーぞ。フリースロースカタンなてめぇが一番心配なのによー」
 ああっ、三井サンが俺の(バスケの腕の)心配を…でもスカタンってなんだ。きぇー!
 急転直下のトラブルによる手のひらからの流血は止まらず、応急で巻いた包帯をじくじく濡らしていくのがわかる。でも言い出せる雰囲気じゃないんだ。俺はキャプテンなのですから。部員にめーわく掛けれないでしょ。へたれのレッテルも貼られたくないんだ。赤木のダンナよりもかっこよくなりたい。
 もうちょっと出血が少なくなってくれたら、びたびたエイドを貼ってでも練習するのになー。痛覚が消えてくれるわけじゃあないんだが。
「聞いてますよもちろん。気合入れて練習しますよ。別所でコート借りてやってる花道とか流川とかに茶化されたくないですからね。」
「そうだ!今度の1年対2年の対抗試合ではアイツら完璧に負かすぞ!」
「だからその前に陵南と試合なんですってば」
 学年対抗練習試合のたびに、花いちもんめ状態の三井サン(3年だから)だが、やっぱり俺らの方に愛着とかあるみたいでちょっと嬉しい。でもずっと三井サンとバスケが出来るわけじゃないんだから、阿呆な怪我はなるべく避けたほうが良かったに違いない。本気で時間が勿体無い。
 彼らに背を向けて手元が死角になるように、苦労して着替えた俺は、すばやく朱に染まった包帯をロッカーに突っ込むと、来る途中の薬局で買ったデカバンを切り取って両手に貼り付けた。肌の色と交わってこれなら目立たないだろう。

「お、着替えたか。んじゃ行くべーヤロウども」
 三井サンの鬨の声にヤスが控えめにおーと声を上げた。そのヤスを先に体育館に通し、俺と三井サンだけ残したところで唯一の先輩はがしょんと扉を閉めてしまう。俺も三井サンに続いて出ようとしたところだったので、驚いて眼前の背中に顔を打ってしまった。
「あたっ。三井サン?」
「ヘンな隠し事はするもんじゃねーな。ダーリン」
 映画の字幕に出てきそうな台詞を吐いて、三井サンは細身を翻し俺をちょい高めの位置からねめつけた。真正面からみる美人な顔は、一生見慣れることはないだろう。
「なんのことっスカ?全然わからないっスヨ」
「アヤコのことといいマジお前隠し事下手だな。日本語の発音がおかしい」
「なっ!あ、アヤちゃんは今でも好きだけど、俺はもうアンタが…」
 思わず抗議してしまう。コレを隠すのは巧いと不本意ながら自負していたので。三井サンにもそのまんまに取られて、隠されたきもちを疑われてしまうとちょっとショックだ。
 しかし失敬なことをずけずけ放った三井サンは、意にも介さず小首をかしげて俺の手を取った。うっそ待ってよー。
「ははぁん。おめぇ盛大にこけたな?原チャのくせに遅ぇからなんかあったと思ってたんだ」
 がーん。ばれてらー。いつかばれるとは思っていたのだが、今日一日さえ乗り切れば若いんだからある程度は回復はするわけで。やーいやーいばーかと失態への罵声をテノールで囁かれる幻聴を聞きながら、俺は彼の機嫌を損ねまいと上目遣いで伺ってみた。
「そ、そんなことでバレたんすか?」
「いやぁ、てめーが入ってきたとき血の匂いがしたからな」
 ううっ、ヤンキーあがりって怖ぇなぁ…百戦錬磨の彼との道連れ人生に於いて、さめざめとこれから尻にひかれまくるだろうことを覚悟しながら、ベッドの上ではなんとなく有利でありたい男心。しかし今はそんなもんは関係なく、三井サンは勢いをつけて俺の手のバンドエードを剥ぎ取った。
「ぎ!」
 叫び声は外で待っているだろうヤスに届く前に、三井サンの片手によって防がれ、そんな場合じゃないのに2人きりの部屋での接触にくらくらしてしまう。長い指はこんなときでもエロティックで、ああっダメなキャプテンだなー俺。と理想との隔離に自沈しつつ。
「うっわー。痛そー。よりによって一番痛いところに怪我するか普通?」
「画家や漫画家や小説家なら手をガードするもんでしょうけど、俺はついつい顔を庇っちゃいましてね」
 三井サンの前では可愛くありたいの。としなをつくって寄ってみたら問答無用で殴られた。
「あてっ」
「バカヤロウ!これから何百回と同じことがあろうと、顔が変形しても手ぇ庇えよ。手ぇ!」
「顔はどうでもいいって言われてるようで傷つくんですが…」
「顔はどーでも、バスケできるだろうが」
 本当になんでもないことのように三井サンは言って、腕をとられたままの俺にひざまずくようにして視線を傷口に這わせた。
「消毒したか?」
「一応、たぶん」
「舐めてもいいか?」
「え、あ…」
 何を言われたのかわからず、硬直した俺の身体は、傷口に触れられる柔らかい熱によってほぐされた。やっ、待って。心の準備が!
 ―――うっうわ〜。なんてことするんだ。止まったはずの血液がまた溢れるじゃないか。
「たぶん、なんて言うから!砂とか入ってたらどーすんだ」
 俺の手に触れた直後の赤い舌をべぇとだして苦い顔をする。バカにされて罵られるかと思ったのに、なんか心配されてんなぁと自惚れてしまう。何をしてもらうのも申し訳なくまた気恥ずかしく、ヤスみたいに殊勝になった主将は、三井サンの手を取り返して告げようとした。
「直りにくいんだぞココはー。バカヤロ…」
「も、もう治ったんで。早くやりましょう。いろいろ教えてくれるんだろ?」
 も一度ふわりと笑って無茶な台詞を吐いて、立ち上がった三井サンを視界から逃がさないようにする。三井サンは俺のロッカーからみつけた包帯を俺に投げてよこして、巻けという合図をくれた。
「見栄なんかはるな。どうせお前がドジったことはかわらねぇし、それは誰にでもあることなんだから。おとなしく全員に心配されて恥ずかしく思っとけよキャプテン」
 ズバッと射抜かれ俺は息を呑んだ。全てが看破されてるようで悔しい。アンタやっぱバスケサイドの俺から見ると小姑だわ。でも、やっぱそれしかないんでしょうかね。アンタとかみんなとかに常に余裕でいたいのに。俺は先代のような理想的な主将を目指すのは無理とわかっていても目指したかったのに。
「…ダンナみたいに試合中の名誉の負傷なら、ここまでへこまなかったのになぁ〜」
「はぁ?なんで赤木が出て来るんだよ。言うだろ?男はドジと愛嬌って」
 フォローのつもり?言いませんよ。作らないでよ勝手に。
 でも三井サンは俺とダンナのキャプテンとしての在り方を、比べないでいてくれるのかな?

「おぉい。2人ともー。なんかしてんの?」
 ドアを隔てた先からヤスの声がして、俺はやましいこともないのにドキッてなってしまった。ドキって。
「お前の手がそれなら、今日は安田だな…」
 声を潜めて三井サンは思案した。
「な、何がっすか」
「練習だよ。遠距離シュートの。俺並みに3Pシュートが入るまであいつしごくぞコラ。どうせ来年は奴がガードの主戦力なんだ」
「あの…三井サン俺は…」
「てめぇは早く怪我治せよ。桜木とかには黙っておいてやるから」
 ああ…やっぱ手ぇかばって顔を変形させとくべきだったなー。俺めっちゃないがしろですもん。バスケバスケって、2人きりのはばかることない時は、単なるアンタに惚れてる男としての俺のことも見てよ三井サン。心配してくれんのはバスケのできるできないじゃないって信じてるけどさー。
「うははは。ぞくぞくするねぇポイントガードの安田を俺色に染め上げるのは」
「…それってシューティングガードに仕立て上げるつもりなんすかっ?」
「あたりめーだろ。俺SGなんだから」
 や、綺麗な笑顔で言わないでくれる?俺のこれからの主将としてのプランが…頭いてぇ。

 …自分の身体に傷を負うということは。要するに俺にとって貴重な体験だったわけで、三井サンが2年かそこいらか前に足を負傷して混乱したわけが少しわかった。心配されるのは悪い気はしないが、しんどくても元気に走り回れる方がずっといい。これからも何時何処にも関わらず俺達は怪我したりするんだろうけど、それでも仲間と三井サンが健やかにあればいいなと思うよ。

 …まぁ捻くれた俺には、そんなことそのまま言えないけどな。





ミャーギの一人称は結構書いてきたはずなのに下手やなー(笑)
これもやっぱり三井サンがあまり凶暴じゃなくてごめんなさい(どういうイメージだ)