Free ya


  夜も更けた湘南の海。遠くに江ノ島がその巨体を闇に潜め鎮座している。
  海岸はコンクリートとテトラポット、そして僅かな植物に囲まれていて、
  太陽が頭上にある内に見るなら、その風景はなかなか絵になっただろう。
  熱烈な日差しに耐え兼ねて海水浴に来る、まばらな人々もあわせて。
  月明かりのせいでまるで外国の砂漠のように見える砂浜と、平行に走る長い長い
  アスファルトを、今車が一台通過していった。
  こんな時間に。乗っていたのが若い男女だったので、桜木花道はそれを
  目で追いながら、僅かに苦笑した。右手には手垢にまみれたバスケットボール。
  打ち寄せる波の音以外、何も聞こえない―――
  腰掛けていた背の高いコンクリート壁を、宙に遊ばせた長い足で叩くと、
  花道の背後から声が聞こえた。低い、けれどもまだ少年の声。

  「どした?花道」
  「いーや。なんもねー」

  オレンジ色の点と紫煙が夜を割る。極端に光源のない辺りの闇に紛れるように
  立っていた男は、砂を踏む音だけ露わに花道の背後に立った。
  適当なコンクリートに唇で弄んでいたものを押し付け、淡い光を消す。

  「吸ってろよ洋平。無いと落ち着かねーんだろ?」

  どこをみるともなく呟いた花道に、洋平と呼ばれた彼より若干低めの身長の少年は
  少し微笑んだ。

  「いや、最近はそーでもねぇな。老成しそーなくれぇ安定してる・・・どーしてかな?」

  洋平は花道の腰に腕を回し自分の方に正面を向かせると、挑むように唇を吊り上げ
  ながら視線を彼のそれに合わせた。しばらく見詰め合ってから花道がそっぽを向く。

  「・・・んなこと言ったら調子乗るぜ俺」
  「調子でも何でも乗れよ。バッカだなぁて笑わせてもらうから」

  何が可笑しいのか、2人は互いの顔を両手で挟みながら額をつき合わせ、身体を僅か
  に揺すりつつ、押し殺した声音でしばし笑い合った。

  「で、どこ行く?」

  親指で自分の乗ってきたスクーターを示しつつ、洋平は花道に問い掛ける。
  花道は無邪気に大きな目を虚空に彷徨わせると、「コンビニ」と呟いた。

  「またメシかよ。勘弁しろや給料前なのに」
  「洋平はいつでも給料前って言ってる気がするんだが・・・」
  「気のせいだ」

  車道の脇に、無造作に放置されているスクーターに歩みより、花道は複雑に顔を
  歪めた。
  「うっへー!いつの間にこんなにボロくなりやがったのかね・・・」
  「うるっせぇな。高宮やあいつらが無理矢理乗りやがるからガタってんだよ」
  「いつか真っ二つになるんじゃねーか・・・?」
  「・・・事故ったら、俺の部屋のエロ本と煙草とゴム、責任持って高宮に処分
  するよう言っといてくれ」
   洋平はまんざら冗談とも思えない表情で鍵をスクーターに差し込むと、ハンドル
  グリップを確認するよう回し、エンジン音を響かせた。振り向いて花道用のヘルメット
  を投げて寄越す。花道はバスケの様に胸元でそれを受け取ると、ボロイと言っていた
  銀色の塗料のはげたスクーターにそれでも羨望の眼差しを送る。
  「俺も早く免許とりてー。ミッチーとかもう車も取れんだよな」
  「そーそー。でもミッチーは今年は取らないんじゃね?選抜あるし」
   応えながら洋平はスクーターを跨ぎ、花道もそれに従った。洋平はセットが崩れる
  からとか言ってメットを付けないのを花道は知っている。
  「あ〜やっぱヤロウ2人の原チャのタンデム、サマなんねぇ〜」
  「ふぬっ洋平がもう少し太って大きくなればいいんじゃねーか?」
  「お前が痩せて縮めばいんだよ。リョーちんくらい」
  「この天才に無茶を言うなてめぇ」

  振動音が外気を震わし、夜の闇を銀光が裂く。疾風を引き連れ駆ける原付きの
  上ではもう会話が困難だというのはわかっていたので、うるさい花道も口を閉ざし
  ただ洋平の背に頬を付けていた。薄手のTシャツから伝わる体温が心地よいと
  思った。そして自分の顔の熱も洋平が悪しからず思ってくれているといいと思った。

  コンビニで物色したドリンクとパンと菓子をぶら提げ、洋平の原付きは元来た道を
  逆走していた。花道がバスケットボールを忘れてきたらしいのだ。そしてあの場所で
  食いたいとも言った。洋平も江ノ島眺めながらも悪くないなと思い賛同した。
  夜食はローソンで買ったのだが、それより前にセブンイレブンを見つけていた。
  しかし洋平がつい
  「イレブン・・・11ってたら流川だよな。7はリョーちんと仙道サンか」
   とシャレめかして言ってしまったため、花道は鳥肌を立てて嫌がった。引掻かれる
  わ洋平は束の間地獄を味わった。しかし花道がセブンイレブンに行けなくなった代償
  としては当然かもしれない。
  そこからまた彼らは数キロスクーターを走らせ、やっとローソンを見つけたのだ。

  「さっきここらへんだったよな?」
   速度を落とし洋平が問い掛けると、後ろの花道はコクと頷いた。
  「そこ、そこに止めてた。あ、ボールみっけ」
   花道の指示に従い、洋平は道路わきにスクーターを寄せるとエンジンを切った。
  花道が差し出すヘルメットを収納しようとすると、花道が笑顔で言う。
  「あのよ。男の2ケツでもさ。サマになんなくてもさ。やっぱ洋平の後ろで風感じん
  のたのしーぜ」
  「・・・可愛いこと言うねお前」
  「そうか?そのまんまじゃね?」
   花道はきょとんと呟くと、コンビニの袋を地面と垂直に回しながら彼の定位置へ
  行ってしまう。
  「コラ待て花道!俺の炭酸なんだぜ!?落としやがったら殺す!!」
   洋平が慌てて追うと、花道は滅多に見せない陰険な笑みを唇に昇らせると、
  ダイエットペプシを取り出しシャカシャカ振る。
  「あーーー!!もうてめぇ抹殺決定!!」
   花道の長身に洋平が飛び掛ると、花道は待ってましたとばかりに炭酸ペットボトル
  の蓋を捻り洋平に照準を合わせた。
  「ふはははは!洋平!リーゼントヤンキーは滅びるのだ!!」
  「てめぇだって数ヶ月前までバリバリキメてただろうがあぁ!?しかも超赤いし!!」
   勢いよく噴射した液体を寸でで洋平はかわすと、目の前の伸びかけの坊主頭を
  わしゃわしゃと掻き混ぜにかかる。洋平の骨ばった指の下、ぎゃあと花道が焦った
  声を上げた。しかしすぐさま長いリーチを洋平の頭に伸ばし、同じように髪型を崩しに
  かかる。
  「うっわサイアク!!メットかぶんなかった意味ねーじゃん!!」
  「それはこちらとて同じ事!寝癖みたいになったぞー。もー!!」
   夜を感じさせないほどに騒ぎながら、2人して罵りあいながらも花道と洋平は
  心の深淵で同じ事を考えていた。

  ―――こんなに楽しくて幸せで、いいんすか?カミサマ。
  
  

  「洋平。俺、流川キライじゃねーよ」

  しばらくメシをかき込んで、花道のポカリを2人で分け合って。
  右手に「うまい棒明太子味」(10円の駄菓子)を握り締めながらふと花道が
  呟いた。
  「・・・それ持ちながら言う台詞じゃねー気がすんぜ・・・」
   洋平は額にかかる黒髪をかきあげつつ、件の駄菓子をぴっと指差した。
  「じゃあ食う!!」
   バリバリと軽快な音を響かせ文字通り食らった花道に、洋平はガキみてーと苦笑しつ
  つも彼の次の言葉を待った。

  「流川は・・・すげー。マジでバスケの為だけに生まれてきたような気がする」
   花道はガラになく静かな声でそう言うと、視線を膝で組んだその大きな手に移した。
  彼の脇のバスケットボールを洋平は思わず見た。
  「流川は俺の“目標”なんだ。えーと、NBA?なんて知らんからな・・・」
  「・・・なんか花道の台詞じゃねーみてー・・・」
   洋平は声だけで笑う。
  夜の魔力が花道を操っているのだろうかと洋平に疑わせるほど、花道は純粋に
  常日頃喧嘩ばかりしている流川に賞賛を送った。
  「だから反発してねーと怖い。あいつを認めちまったらそこで終わる気がして」
   花道はついと視線を上げ、砂浜に静かに打ち寄せる黒い波を見つめた。
  洋平もそれを追い、まるで流川は夜の海みたいだと思った。属性は静寂のクセに
  凄まじい激しさを秘めている。飲み込まれたら帰れない。
  「―――じゃあ喧嘩してろよ花道。あいつを一生追えよ。んで抜かせ」
   洋平はそれを見るのが楽しみだった。瞼の裏に成長した2人が、それでも同じコート
  にいるのを思う。
  「たりめーだ!つか、やっぱあいつ生意気でむかつくし!」
   花道は何か思い出したのか、鼻息荒く「あのキツネめ」など不機嫌な声でぶつぶつ言っている。
  そしてふと、花道は横目で洋平と視線を交わらせると、長い指を口元に翳した。
  「秘密だぜ洋平。俺とお前だけの」
   長い腕を洋平の肩に回す。
  「お前だけだ洋平。こんなこと言えんのは」

  花道の笑顔は綺麗で、いや、そんな表現は相応しくないのだが洋平にとっては
  特別で。思わず両手に顔を伏せ、彼は嘆息する。指の隙間から覗く頬は少なからず
  朱色に染まっていた。
  
  「花道ぃ・・・俺自惚れてダメになっちゃいそ・・・」
  「おう!なれなれーい。指差して笑ってやる」

  花道は不敵に唇を歪めると印象的な瞳に挑戦的な光をちらつかせた。
  洋平はそれを横目で見ると両手から顔を上げ、いつもの「水戸洋平」に戻る。
  が、すぐさまその表情は緩んだものに変えられた。
  
  「・・・花道。超ねみー」
  「ん?疲れたか洋平?帰るか?」
   あっさりと花道が腰を上げるのを、握力を駆使して何とか座らせた。トレーニング
  パンツに包まれた太股を掴み、洋平はアレコレと位置を定めている。花道はされるが
  ままになっていた。
  「洋平?何してんだ?」
  「コレで良し」
   質問に答えるまでも無くワカルと。洋平は乱れた髪の乗った頭を花道の太股に思い切り
  倒した。思い切りすぎて2人の表情が苦痛に歪む。
  「いって!!いてーぞ洋平!!俺女じゃねーし!!」
  「かって!!固いぞおまっ・・・痛ぇ〜・・・」
   しばらく悶絶しながらも、やはり洋平には花道の体温がこの上なく心地よく感じられた。
  彼の膝上から仰ぐ、空の瞬きが綺麗だ。
  「洋平。ここで寝んのか?寒くねー?」
   観念したのか、花道は洋平の頭に負担をかけないよう太股を少しずらすと、彼の首が
  痛くならないよう固定した。
  「優しいじゃん花道・・・」
  「優しいだろ。惚れたらヤケドすんぜ?」
   イタズラに笑う。知ってるくせに。
  「・・・優しいフリして、近づいたら炎で灼くのか」
  「な、なぬ?」 
   そりゃごめんだ。と苦笑して睡魔をごまかす。でも俺も灼かれたクチだと
  胸中で思った。燃えるように赤い髪。赤いユニフォーム。
  ―――俺にとっての“流川”はお前かもしれない。一生をお前に賭けたい。
  意外に繊細な形良い指が、洋平の髪を梳いた。
  「・・・洋平はもう寝れ寝れ。俺様がいるから安心してな」
   その声の深さに心が驚いた。目を閉じて、聞き慣れた声を反芻する。
  「・・・おふくろみてーだ。死んだけどな」
  「そーか。甘えていいぞ。洋平なら」
  「あはは。やめいよキモい」
   それだけ言ったのを最後に、洋平の意識は深淵に呑まれ始めた。花道の顔が
  遠くに見えた。でも不安にはならない。
  この触れ合う体温があるから。そして目が覚めても花道がいると信じていた。

  「・・・洋平」
  花道は瞬く間に眠りに落ちた洋平を静かに見遣った。寝顔は誰だって幼くて無邪気だ。
  本当に母親になった気がして、花道は照れくさそうに笑った。
  「安心して寝ろよ洋平。俺はお前を灼いたりしねーし。お前は誰にも支配されんよ」

  ―――  

   洋平はほかりと瞼を開く。最初に認識したのは色だった。「紫」夜明けの空の色。

  視線を少しずらすと目の前に少年の顔があった。彼も覚醒しかけているらしい。
  崩れた赤髪と半分眠ったような幼い表情が可愛らしかった。寝ぼけた掠れ声も。
  「・・・はよ」
  「ん・・・やっぱ寝ちまったか」
  「おー・・・でも暗ぇな」  

  洋平は花道の台詞に首を廻らすと、確かに夜は完全に明けきっていなかった。
  しかし江ノ島の遥か向こう。空と海との境界線はすでに白み始めている。
  雲も優雅に流れていて、空の荘厳さを2人は感じた。
  「夜明け。久しぶりに見る・・・夜明け見たらいいことあるんだぜきっと」
   花道は腿の上の洋平の頭を、人形でも抱くように少し虚ろな状態で抱え込む。
  まだ夢うつつなのかもしれない。
  「イイコト?」
  「おう。この前はヤマオーに勝ったぜ。天才の上ゲンも担ぐ!勝てないワケがあるまい」
   得意げに花道は含み笑いをすると、あの山王戦の勝利を思い出したように、もっと熱く
  洋平の頭をかき抱いた。そして手をようやく離すと、導かれるように彼方へ視線を遣る。
  花道の無邪気な仕草に洋平は幸せそうに笑うと、花道の膝の上に乗せた
  ままの頭を動かし同じく水平線を瞳に映した。直に太陽が、朝の始まりがその
  片鱗を覗かせた。ペールパープルに温かな色が侵食する。
  自分からは伺うことは出来ないが、きっと花道の髪はまだ淡い陽光に照らされ
  見惚れるほど綺麗に輝いているのだろう。
  見たいと洋平は純粋に思ったが、目を伏せ思考を追い払う。見て、去り難くなっ
  たらきっと願望以上の後悔が待っている。
  代わりに洋平は目を細めて再度微笑んだ。
  
  「あー・・・ずっとこうしててぇー・・・」
  「おう」
  「見ろよ。夜が明けるぜ」
  「・・・ああ、キレイだ」
  
  白い光を網膜に焼き付け、ひそりと瞳を閉じる。唇だけ動かした。

  「おわかれだ」
  「・・・じゃあな洋平」
   
  洋平は腕を空に向かって伸ばし、花道の頭を抱えると強引とも言える荒々しさで
  唇を奪った。シュッと上がった眉が顰められるのを目に入れてから、自分も視界を
  閉ざす。静寂を卑猥な音が割った。朝の訪れを、伏せた目の隙間から感じた。
  しかしそれに流される事は無かった。自分を流すのは自分自身のみだった。
  互いすら相手を支配することは出来ない。

  かつて。洋平はプライドも冷静さもかなぐり捨てて、情熱だけ解放して花道にぶつけた。
  “欲しい”と迷い無く告げた。
  ありのままのみっともない自分を見せ付けて、洋平は花道という人間を手に入れた。
  
  性別・束縛・プライド・孤独―――全て乗り越えて2人はここまで来た。
  限りない自由と幸福だけ手に。
  彼らはカンケイを超越したのだ。
  
  「洋平、好きだぜ。だから俺もう行くな」
  「いちいち言わなくてもわかってんよ。いってらっさい」

  花道は満面の笑みを浮かべると立ち上がり、脇に置いてあった茶褐色の球体を
  大きな手に掴み、2、3度バウンドさせて車道を駆けて行った。
  洋平はスクーターの鍵を握り締めると、花道と逆方向につま先を回転させた。
  お互い一度も振り返らずに。
  けれどお互いを信じている。明けない夜はないのだと、信じるように信じている。
  光差す車道を軽快に走りながら、時々ボールをつき少年はあの体育館を目指した。
  シルバーのスクーターを跨ぎ、少年は今日のバイトの時刻を脳内で反芻する。
  
  その唇は笑んでいた。

  改めて、実感する。
  俺たちは限りなく自由だ。




  ・・・なかなか意味不明の文が出来上がりましたが、少しでも楽しんで頂けると
  幸いです。ある理想の2人を書いてみました。花道にも洋平にもいつも笑顔で
  いて欲しいですね。初夏が似合うカップリャー(名古屋弁/嘘)だと思います。
  あ!タイトルとイメージを、クールな女性ラッパーMISSMONDAYから
  頂きましたv好きなのです・・・
             02.0524UP