「お前のことなら知ってたぜ。水戸洋平ってんだろ?」
   
   記憶せよ今。巡る時の磁場。
   命の景色をそう永遠に。
   絡める記憶の層となり。
   そのそばに。


   
   +Battle Field Kross Ova'+


   
  「花道ぃ。お前声出せ。殴られるときは」
   乱れたリーゼントを元通りに撫で付けつつ水戸洋平は苦笑し、疲労の色の
  滲む仕草でコンクリートに横たわる少年に手を差し伸べた。
   少年の、赤い髪を頂いたその頭から流れる血は、床の灰色を少しずつ自身
  の持つ色に染め変えていく。洋平はもう一度静かに、淀んだ空気に声を乗せた。
  
  「声出せよ。てめぇの居場所がわかんねぇよ花道」
   
   少年の、まだ細い指先がその音声に反応したかのように微かにぶれる。
   その指は一瞬先には元来の力を取り戻したようにコンクリートを鷲掴み、
  長身をふらつかせながら赤い髪の「花道」はその場に立ち上がった。
   彼は獣のような低い唸り声で切れた唇を震わせ、金色が空に散るような眼光
  でもって、そのまま洋平にぐるりと首を廻らす。

  「終ったのか・・・?」
  「あぁ。けっこ苦労したぜ。ほれ見ろよこの血ィ。強ぇのこのデブ」

   洋平は口の端の乾いた血を人差し指でなぞると、花道の立つ位置とは少し離れた
  暗がりに放置されている、巨体をローファーで蹴り上げた。

  「ッテェ・・・!!」
   その「物体」は悲鳴を上げ、喘息のように激しく咳き込んだ。
   冷淡な視線でそれを見下す洋平は、続いてその男の視界に入るようにすっと
  しゃがみ込んだ。
  「・・・名前を聞いていなかった。俺も言っちゃいなかったがな」
   皮肉げに微笑むとまだ少年の面影の残る華奢な指で、パーマのかかった
  男の前髪を持ち上げる。花道は木刀で背後から殴られた衝撃の残る頭を抑えつつ、
  そのやり取りを黙視していた。
  
  「野間ってダチがいんだけど。その弟と連れボコッて金巻き上げた、二中3年
  鈴木昭二君はあんたのことかな?」
   洋平は言葉と視線の両方でパーマ男を攻め立てる。そしてその両方には、
  問う前からすでに確信が込められていた。
  「・・・」
   男は苦痛の涙でぱりぱりになった睫を瞬かせ、唇を何かの形に開こうとしたが、
  洋平の言葉には反抗精神を貫くかのように黙したままだった。
  「・・・名前も知らない相手に負けるのは屈辱か?」
   静かな声色は変えることなく、洋平は質問の内容だけ変えた。
   しかし背後から様子を伺っていた花道にはわかった。洋平の纏う空気が変わった
  ことに。町外れの廃屋の暗がりの中、そこの色だけが化学変化する。そしてその
  変化は何かを加えることによって、爆発すら引き起こすのだ。
   そしてもう一つわかっていた。その引き金が自分だということが。
  「うるせぇ、殺す」
   パーマの男はしわがれた声で洋平を睨んだ。圧倒的な強者の前にも屈しない、
  その負けん気の強さはご立派だ。洋平は今度こそ屈託なく微笑んだ。
  その表情もまだまだ少年だった。だが少年は、先刻一撃必殺でこの男を
  ノックアウトさせた。言葉とは裏腹に。

   花道の耳にもその台詞は響いた。脳裏には野間の中一の弟の歯の欠けた表情が
  焼きついていた。頭の痛みはもうない。ただ一つ親に感謝する、この屈強な体は
  痛みにはもうなれた。

  「洋平。やれ」

   赤い髪の少年の呟きを最後に、再度男に容赦ない暗闇がもたらされた。
   僅かに遅れて機能を一時停止させる聴覚は、インクのぶちまけられた世界で
   最後の音を拾った。

  「俺は和光中2年の水戸洋平。あっちは桜木花道。聞こえたら、刻んどけ」






  「いってー!!いてぇよ洋平!!血が!!血が!!」
  「うっせぇ!!騒ぐんじゃねぇよ!!あいつら追ってきたらどーすんだ!」
  「洋平は声を出せと言ったり黙れと言ったりわけがわからん!!」
  「臨機応変に対応しろって言ってんだ!!」
   それから―――洋平と花道は廃屋を後にし、埃に煤けた学ランを河原の
  土手に預け、満身創痍の身体を互いに手当てしていた。
   シャツを破いて括りつける洋平の乱暴な応急処置に花道は悲鳴をひっきり
  なしに上げる。
  「あいつらなんて、俺が背後をとられなきゃ一発でやれたんだ」
  「知ってる!だがてめぇのミスだ。苦痛は甘んじて受けとけ」
   洋平の言葉に花道はしゅっと上がった両眉の間、皺を刻みつつも落ち着いた
  声で返した。
  「・・・嘘だ。痛くなんてねぇ。背後から攻撃された時の避け方の練習に利用したんだ。
  ミスではない。俺は天才だからな」
   研ぎ澄まされたその声は、彼が本気だということを何よりも明確に示していた。
  河の水の澄んだところで湿らせた布切れで、洋平は花道の首筋の引っかき傷を拭き
  ながら、かつてない優しい笑みを秘めた唇で復唱した。
  「天才だからな」






   天才かと思った。争いの神に愛された。

  「ガッ―――!!」
  「南城!!」

   少年の筋張った拳骨が、学ランの少年の左の頬にめり込みその身体を宙に浮かせた。
  窓にはめ込まれたガラスを割る派手な騒音と共に、やがて彼の身体は別室へと消える。
  「ヤロ・・・!」
   その場にいるまた一人の少年が、いかつい顔を苦渋に染めて、標的に向かって拳を
  繰り出す。しかしその拳は長身の―――赤い髪をリーゼントに纏め上げた少年に届く
  寸前、華奢な、しかし大きな手のひらの中に捕らえられた。攻撃した者の引力を無力
  化しつつそのまま赤い髪の少年は、捕らえたものをねじり上げそのまま床に己の体重
  を掛けて引き倒した。潰れるような声と、彼の背筋が立てる鈍い音が、地下にある部
  屋の硬質な空気を震わせる。同時にそれは、赤い髪の悪魔に仇をなす連中の肝すらも
  震撼させた。

   そんな中一人の存在は、コンクリートの塀に学ランの背を凭せ掛けつつ、怜悧な
  表情で悪魔を見据えていた。幾分ウェットな感じのするリーゼント以外、特徴のな
  い顔面の一対、そのまだ幼い双眸を油断なく目に見える筋肉の躍動に走らせて。
   外界と完全に繋がりを断ったこの異質な空間の中、いずれ自分に巡ってくる出番
  に備え、そしてそれが終ったときに、自分が勝者として血染めの床の彼を見下して
  いるように、黒髪の少年は思考を巡らせた。

   光沢のある学生服の生地に時々濡れたような濃い黒が微々たる光源の中乱反射
  する。それが血痕なのだということは、この場に集った腕に自信のあるものたち
  にはとうにわかっていた。重要なのは、それを自分の体内から一滴たりとも流さ
  ず、逆にいかにして相手から多く奪えるかということだけだ。
   彼らが所属する和光中学校内において、そして近隣の中学に及ぼす影響において、
  今日ここで誰が鮮血の覇者となるのかは重要なことだった。
   伝統行事でもないのに、いつもここ―――和光中の東に位置する廃墟ビルの地下
  警備室には、学校のトップとなるべく何人もの少年が存在を誇示するかのように
  集ってきた。
   全ては自身を、その存在を、今ここにある命の景色を、見るものの記憶に
  灼き付けるために。


   学生服の黒いズボンが、空気ごと切れるような鋭い弧を描き、その輪にかかった
  男がまた一人壁に打ち付けられ気絶した。
   その足の持ち主である赤髪の少年は、息を吐く間もなく折りたたみナイフを振り
  かざし突進してきた坊主頭の男に向き直った。切りかかって来る右手を、一撃目は
  後ろに退いてかわし、二度目で左の肩口で受け止める。そのまま男の右手と
  交差させるように、スピードの乗った右手で坊主頭の顔面を打ち砕いた。無様に
  悲鳴をあげ倒れこんでもナイフを離さない男の右手を、少年は無言で踏み抜き
  ようやく解放された凶器を誰もいない部屋の隅に蹴り飛ばす。
  「らぁ!」
   赤いリーゼントを乱れさせた少年の5人目の相手は、彼の背後から角材でもって
  攻撃を加えてきた。髪の色の赤よりもなお赤い液体が、初めて彼の顔を汚す。
   壁に凭れて様子を伺う存在感を消した男は、細い眉の下の両眼を僅かに細めた。
  多分あの蹴りやパンチのスピードからいって、避けられない速さではなかったと。
  「ふんぬ!」
   初めて発せられた少年の声は悲鳴ではなかったが、なにか意味を成す言葉でも
  なかった。しかしその声のワンテンポ後、角材を握り締めた少年は赤い髪の頭突きの
  餌食となって床に倒れこんでいた。
   その倒れた男の前に立ちはだかり、少年は肩を激しく上下させつつ、床に零れ落ち
  る生命の源を靴先で広げながら向き直った。壁にもたれる息一つ乱していない黒髪の
  少年に。発せられた言葉は後者の少年にとって意外なものだった。
  
  「・・・まだいた」
  「気づかなかったか?」
   
   ふてくされたような赤髪の存外幼い表情と声に、大人びた表情をくっと笑いに
  ゆがませた少年はようやくその背を冷たい壁から離した。
   もう立っているものは、彼と自分のたった2人しかいない。

  「おう。気づかなかった・・・」
  「さっきも思ったけど、気配を読むのがヘタなのかな。特に背後の」

   乱れた赤い前髪をかきあげる少年の素直な台詞に、彼よりも幾分身長の低い
  リーゼントの少年は思いついたことを述べてみた。眼前の彼の表情が、僅かに
  苦いものを含ませる。
   だが少年は、先ほどの自身の台詞に続けるように印象的な声を滑らせた。

  「参戦もしねぇしいつのまにか忘れてて気づかなかったが・・・」

   初めて、真っ向から視線が交錯する。観客のいない決勝戦まであと数秒。
   

  「お前のことなら知ってたぜ。水戸洋平ってんだろ?」 


   いきなり名指しを受けた黒髪の少年は驚いたように初めてその表情を変えた。
  そして赤い髪の少年は、初めて口角を笑みの形に引きつらせた。
   眼前にいきなり繰り出された拳骨を、水戸洋平は寸前、右手で受け流した。


  
   

   受け流した右手を、血に濡れた靴のつま先ががっと蹴り上げる。自分の意志とは
  関係なく、体の一部を跳ね上げられる痛みに、洋平は低くうめいて飛びずさった。
  「蹴り砕いてやろうかと思ったのに。頑丈な腕だな」
   物騒なことを言い距離を再び詰めてくる少年に、洋平はおのずから地を蹴って
  飛び掛る。低い身長を利用して赤髪の彼の胸元に入り込み、腕の最も硬い部分肘で
  もってそのまだ薄い胸に衝撃を与えた。が。彼の間合いに飛び込んだ洋平もまた
  腹に膝蹴りを叩き込まれ、完全なダメージを受ける前に床に一回転がってから
  三度間合いを取った。
  「てめぇこそ。頑丈な身体だな。頭から血ぃ流しててもピンピンしてっし」
   腹を抑えてダメージの程を計りつつ、洋平はまだ余裕の表情で相手に向かって
  挑発と言わんばかりに破顔して見せた。
  「・・・嘗めてんのか。ろくに打ち込みもしねぇでよ!!」
   台詞が終らないうちに息を詰めた少年が、洋平に流麗な蹴りを放つ。振り上げ
  られた長い足が、洋平のわき腹を防御の甲斐も無く抉り壁にしたたかに打ち付けた。
  「ってえ!!」
   若い声で洋平は悲鳴を上げたが、身を屈めたところに襲いくる踵落しをかわし、
  続く鋭利な側方蹴りすらも床に伏せて回避して見せた。
  「ぬ!?」
   同時に赤髪の少年に走った同様から生まれた隙を見逃さず、洋平は渾身の力を込めた
  右拳を人体の急所の一つとなる喉元に食らわせた。


   水戸洋平は小学生のとき拳法道場に通っていたことがある。師範が毎回
  述べる武道を習う上での心得の口上がうざくなってやめてしまったが、五体を
  駆使し戦術を組み立てて相手を負かす体術は、少ない時間でも自分の性に
  合っていた事を今なら実感できる。
   相手を負かすには、まず自分が絶対に勝てる少しでも有利な状況を創作せねば
  ならない。そのために無駄な争いをして限度ある体力をすり減らすのは愚の骨頂だ。
  だから自分は戦いの当初は傍観者に徹する。けして自分から余計な喧嘩を売ったり
  しない。喧嘩で重要なのは「待つ」ことだ。自分が場に出る機会を待つ。相手の隙
  を待つ。絶対に勝てる戦術を組み立てられるまでむやみに攻撃に出るのを待つ。
   しかし―――
   ふいに初老の師範のくどい台詞を洋平は脳裏にひらめかせた。
  
  「しかし武道において、戦いに勝つというのは最も重要なことではない。武道は
  戦争のためでなく、自身の外と内を磨くために現代に継承されたもの。培った力
  を使う場を努々間違わないように・・・使う前には必ず自身に問え。何のために
  誰のために幼い身体に“強さ”を記憶させたのか」

   そして意識が白く―――赤く、弾け飛ぶのを感じた。  





  「―――悲鳴ひとつあげねぇんだな・・・」
   額からとめどなく流れる温かい液体を、朦朧としつつも感じて洋平はうめいた。
  立ち上がる力すら残っていない。自分は最後まで傍観者で、まだ体力もフルで残して
  いたのに。床を伝う赤の筋の先、赤髪の少年も足を投げ出してうずくまっていた。
  長い指で喉元を抑え、ひゅーひゅーと荒い息を繰り返している。もともと軽く
  まとめられたエア・リーゼントは完全にほつれ、少年の目元に影を作っていた。

   喉元に拳をめり込ませたら―――赤髪の少年は篭った悲鳴を上げて蹲るだろう
  と洋平は確信していた。もとより一撃必殺で名を広めた自分だ。よしんばそれで
  落ちなかったとしても、背後からの気配を読むのがヘタなこいつには、後ろから
  とどめに回し蹴りでもくれてやれば―――
   しかし赤髪の少年は重要な呼吸器官である首を激しく突かれながらも、悲鳴ひとつ上げず、
  更には険しい表情ひとつ変えずに、逆にひるんだ洋平に頭突きを食らわしてきた。
   これ以上ないほど完全に決まったそれで眼前に星を散らした洋平に、皮肉なことにも
  回し蹴りがとどめに首筋に入れられ彼は撃沈した。

  「てめぇは・・・やってる最中に笑うな。後別のこと考えんな。集中にムラがある」
  「・・・それってさっきの俺の台詞のお返し?」

   赤髪の少年のまだ苦しげな掠れた声に、洋平は苦痛に意識を持っていかれそうに
  なりつつも苦笑してみせた。

  「ほれ!また笑う!」
   いらついたように少年は指を突きつけて声を張り上げ、そして盛大にむせた。
  「ああー。大丈夫か?俺一撃必殺が身上だからさ・・・」
  「それも知ってる!高宮がだから攻撃食らわないように注意しろって・・・」
  「誰それ」
   何故かかなり普通に会話している自分たちが滅茶苦茶可笑しくて、洋平はまた
  笑った。笑ったことで切れた唇の皮がまた裂け、痛くて涙まで出てきた。
  「ふんぬー!!泣くほど笑うなてめーは!!」
  「いや、これは違・・・ハハハ、いてぇ・・・」
   洋平は自身が寝返りをうてるほど回復したのを確信すると、彼に視線を合わせ
  自嘲した。
  「実は俺喧嘩苦手なんだよ。頭ん中のジジイがうるさくってさ」
  「なぬ?それは勿体無いぞ。俺がまぁちょっとやられたのは初めてだ」
   洋平の言葉に、少年は長い前髪を鬱陶しそうにかきあげると、名案を思いつ
  いたように表情を輝かせた。

  「そうだ!俺が強くしてやる!俺とこいよ洋平。2人で和光制覇だ!ああ後俺のダチも」
  「低い志だな・・・」
  「じゃあ全国制覇!!」
  「・・・いきなりでかくなったな」

   しかし悪くない。彼に喧嘩を教わるのはプライドの問題でともかくとして、
  彼とは案外つるめるかもしれない。と洋平は思った。そして気づいた。

  「そういや俺、あんたの名前知らねぇや。あんなに強ぇのに知ってる奴いなさそう
  だったし・・・」
  「ああ、俺普段あんまり自分からしかけんからな。高宮が喧嘩ウザがってよ。
  その割に今日ここのこと教えてくるからワケがわからんが・・・」
  「だから誰だよそれ・・・」

   洋平の言葉など聞いてもいないように、少年はそこで屈託無く得意げに破顔
  してみせた。赤い髪の下、双眸はどこまでも印象的で暗闇でさえ同化することは無い。。
  
  「俺は和光中2年桜木花道。天才・桜木と呼んでくれたまえ」


  

   

  
   ―――てめぇ、助けて欲しいときは声出せっていったろ。
        黙って殴られてんじゃねぇ。
  
  
   様々な形のそれぞれの理由の、戦いの記憶が洋平にはある。
   時の流れの磁場において、愚かと人は笑えども、自分にとってそれは確かに
   意味があった。他の誰にもこんな真似はできないだろう?
   かつて刻み込まれた“強さ”が必要となる場が教えられたとおりにあるのなら。
   今ほどふさわしいときもないだろう。自身に問うまでもない。

  「やっちまいました。バスケ部も、三井君も」

   初めて桜木花道の強さを目にした時から、水戸洋平が彼の未来の景色を
   永遠に見ていたかったことは明白だった。
   だからどこかで、このエネルギーに会えた事が嬉しくて、自分は最中も
   笑っていたのだ。
   その天才を全て注ぎ込める、彼の真の強さが発揮される場が・・・
   確実に輪郭を形成し始めている。
   絡める記憶のそう隣り、彼はあの灰色の地下室ではなくこの光差し込む
   体育館で、すでに新しい質感の記憶を構築し始めているのだろう。

  「洋平・・・」

   初めて視線を合わせたときのような幼い表情で呟く親友に、
   洋平は相反する大人びた表情で、安心させるように微笑んで見せた。



   岐路を歩んでも、そのそばに。存在していたい。痛い。











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