雨、風の強さ。





その日は注意報と警報の間を彷徨うくらいの豪雨が関東地方一帯にふりそそいだ。
雨は容赦なくアスファルトを叩き、公園の砂場を泉へと変えた。
視界もおぼつかない水の幕の中、外出している人間もまばらであったが、それでも鮮やかなレインコートや役に立ちそうにもない傘が、ちらほらと街頭を抜けていずこかヘ去っていった。

そして例外としてこんな光景もあることはある。

とある街の一角、雨の音で辛うじて静寂は消されているものの、普段子供に駆使されている遊具も広場も今は凄惨な状態を見せる公園で。
ただ2人の長身の男だけ傘も差さずににらみ合ったままそこにいた。
互いに身に付けている動きやすそうなシャツも、今は身体のラインに張り付いて動作を妨害し、
黒いコンバースもアシックスの最新モデルも、水気をこれでもかというほど吸った泥に汚れて原型を留めていなかった。

剥き出しのたくましい腕の先端には、水滴を滴らせるオレンジの球体が握られている。赤子の頭よりも大きいそれは、泥水で薄汚れているもののバスケットボールと呼ばれる物体だった。

ボールを所持する男が、ハードワックスで固めたらしき髪が額に崩れる奥で静かに微笑む。
紅潮した頬以外は全てが冷たい色をしていた。

「風邪ひきそう。俺の負けってことで終りましょうかもう」

そんな彼と対峙するもう一人の青年が、掛けられた言葉にか凛々しい眉を顰める。
雨の雫が、滑らかな頬線から口元の傷跡を通って尖った顎から滴り落ちた。

「・・・それでいいのかよ」
「しょうがないじゃないですか。男の勝負と自然界の掟に殉じましょう」

ひょうひょうと両手を広げて言ってみせる。彼の口調はいつでも平坦で、あらゆる感情を表面には出していなかった。
雨に毒されて震える指先で、額を抑えながら顎傷の青年はもう一度言った。
「本当にそれでいいのかよ」
「・・・かまいません、と言ったら軽蔑しますか?」
「しとるわ。とっくにもう」
繰り返される低音にそのままため息を吐き、スレンダーな青年は身を翻してこの公園唯一のベンチへと駆け寄る。もちろん座るわけは無く、青年はその手前で長い足をたたんで屈みこんだ。

「自分の手に余るものに手ぇ出すんじゃねぇよバカヤロウが・・・」

愚痴とも言えるそれを口中だけで呟くと、ベンチの下のダンボール箱に手を伸ばす。
それは湿っていたが、それでも他の地面や遊具よりはマシだった。
その中にいる“生物”も同様に。

「にゃあ」

雨の雰囲気にも似た、切ない声で鳴く。
標準より長い指には余る小さな生き物。冷えた指にゆっくりと侵食していく心地よい温かな体温に何も言えなくなった。
濡れて汚れた白い小さな子猫。

「・・・ほっといてごめんな。もう大丈夫だ・・・」

いつもは吊り上った眉を緩和させ、打って変わったやさしい声を発する彼は。
ダンボールに掛けてあった、“RYOUNAN”と背中に文字の入った泥だらけのジャージで子猫を包むと、立ち上がりもう一人に向き直った。

「こういうのを試合に勝って勝負に負けたっていうのか仙道?」
「違いますよ。“美徳”っていうんです。三井さんのね」

どちらともなく不敵に微笑んだ。









「勝負してください」

雨の中、その雫に打たれるままに。
アスファルトの上ボールを翳して立ちふさがる、長身のイカれた男の挑発に乗ったことがそもそもの間違いだったのだ。流川や牧クラスの有数のプレイヤーなら条件など無くとも仙道は飄々と1オン1でもフリースロー対決でも持ちかけるのだろうが、ロクにマッチアップしたことも無い殆ど無名かつ無関係の三井に、仙道が目的もなしに勝負を挑むなどありえないことだった。

「俺が勝ったら、コイツ、引き取ってくれません?あんたが勝ったなら、そのまま捨ておいていいよ」

そんな条件、よく考えなくても三井にメリットなどあるはずも無かった。

ミルクパンとその中身を乱暴に菜箸で引っ掻き回しつつ、三井は未だ険しい顔で歯噛みしていた。
その頭にはタオルが掛けられ、裸の上半身には薄い筋肉がついている。下半身はLLサイズのジャージがかかとから先までダボついて床に引きずっていた。
先刻まで身に付けていた濡れそぼった衣服は、全てひっくるめて洗濯機の渦の中に吸い込まれている最中で、連日の雨によりもう着る物のストックは殆ど無かった。

「お風呂まで頂いてしまってすみませ〜ん。あ、フタ締めときましたから」

いい感じにほこほこ茹だった仙道が、すでに髪の毛を平時のように逆立てて、三井のTシャツとハーフパンツを着てダイニングに姿をあらわした。
それを恨めしそうに視界の片隅で見遣りつつ、三井はただ鍋をかき回すことに没頭する。

「三井さん。あんまりミルク熱しすぎると猫飲めませんよ?」
「んなことわかってる」
「三井さん。このハーフパンツウエストキツい・・・」
「うるせぇな。紐で調節しろよ」
「三井さん。洗面所にあったリアップはどなたの・・・」
「あーもー!!!!」

三井は次々と投げかけられる台詞にかんしゃくを起こして菜箸を投げつけた。
「危ねぇ!!」
とは言ったものの、仙道はピンポイントで飛んできた凶器を全くの余裕で避ける。
もともと速度の無かったそれはふらふらからんとフローリングの床に落ちた。
「・・・牛乳拭くと雑巾臭くなんですよね・・・」
「誰のせいだと思ってんだ!?」

怒鳴りつつ、三井は最初から最後まで乱暴に事を運ぶと、出来上がった“ホットミルク”を薄いボールに移し変え台所から続く居間へと移動した。そこには新聞紙が敷き詰められ、その中心には公園で仙道が見つけた子猫が座している。その子猫は風呂場で三井が念をいれて洗ったせいか、先刻まで捨てられていたとは思えないほど綺麗になっていた。乾かしてみると毛足が長い。
台所と居間の境目で突っ立っていたその仙道も、三井に続いて広い居間へと足を向ける。
「ずっと座敷猫だったみたい。可愛いな」
「こいつそういや洗うときも異常に大人しかったな。今も暴れる気配も無ぇ」
淡々と三井は仙道に応え、そのちっぽけな存在の前に座した。深いブラウンの瞳が三井を映し、何かを問い掛けるように首をかしげる。
「いいぜ。飲めよ。お前に罪はねーからな」
ふっと優しく笑って、三井は長い指でボールを子猫に向かって押した。
「三井さん。俺とこいつの扱い違いすぎ。そんな顔で微笑んでくれたことないじゃないですかー」
「やかましい!!だいたいてめぇが勝手にこいつ見つけて、勝手にほだされて、でも自分じゃ飼えねぇから俺に賭け勝負持ちかけて無理やり押し付けたんだろうが!!しかも殆ど初対面!!そんな奴に笑えるか!!」
「ごもっとも」
三井の剣幕を肩を竦めてやり過ごし、仙道も子猫の前に座り込んだ。
初めての出会いを再現するかのように、そのまま仙道は垂れた目で優しく笑う。
「かわいいなぁ・・・」

何故か三井がそんな仙道から目を逸らした。






「うわ、もっと降ってきましたよー。帰れないかも」
「・・・帰る気ねぇだろお前、仙道」

もはや諦めたように事務的に会話をこなす三井は、居間の長ソファーに寝そべり、胸のあたりに仙道の拾った猫を乗せ、リモコンでテレビのチャンネルを回していた。
神奈川全域に渡り強い雨、ところにより雷も伴います。
アナウンサーの台詞を聞いて三井は少し外に耳をすましたが、ごうごうという雨の音だけで雷の音はしなかった。
それでも仙道を追い出しにかかるほど人非人ではない三井は、出窓からひたすら豪雨に興味を示している件の赤の他人に視線を注いだ。

「お前・・・つまらないことなんてないだろ?」
「いやぁありますよー?ただ雨と風の音が面白いだけ。こんなにゴーカイな奴滅多にお目にかかれないですって」
「どういう人生だよ」

嫌味ったらしく吐き出して三井も身を起こし、ソファーの上であぐらをかいた膝に子猫を移しかえる。にゃあと鳴いて、猫は従順に三井の太腿の上で丸くなった。その一つ一つの仕草が、可愛くないわけがない。

「親父やおふくろになんて言やぁいいんだ・・・」
「そのまま言えば?どうも人生が上手くいってないみたいで、見ず知らずの男から無理やり押し付けられましたって」
「お前、口を開けばホントむかつくよな・・・」

もはやある意味感心して、三井は仙道を睨んだ。そしてふと気になった。
どうして今日こんな日に彼は外へ出たりしたのだろう。朝から明確な雨の気配に、目的も防具もあった三井とは違って傘も差さずに。


「うざいなら言ってくれたら、俺は帰りますよ?」
「・・・ここで帰して途中でマンホールにも落ちられたら俺は殺人幇助じゃねぇかバカヤロウ」
「それくらいは思ってくれてるんすね?」

三井の台詞になぜか仙道は顔を喜色に染めた。このなんともコメントに困る顔を三井は知っている。今日、初めて公園近くの路上で会って、仙道の1オン1の申し込みをノリで受けてしまったときに見せた表情だ。
それからは泥で滑るわディフェンスでこけるわ、シュートは指先が泥水で滑ってあらぬ方向へすっ飛ぶは散々だったが。神奈川高校バスケ界トップクラスの男とこんな天候の日でも真剣勝負できると思っていた自分が愚かだったのだ。三井は思い出してきゅっと唇を引き結んだ。

「嬉しいなぁ。三井さんがやっぱりいい人で。この嵐の中俺と付き合ってくれて、しかも拾った猫の買主になってくれて、その上家に上げてくれるほどのバカお人よし初めて見ましたよ」
「仙道てめぇ・・・ぶっ殺すぞ・・・」

不良現役時代に培ったドスの聞いた声で仙道をけん制した三井は、とにかく疲れ果てて再びソファーに沈んだ。こういうときに両親が旅行に行っているのはラッキーなのかアンラッキーなのか。少なくとも三井の雨の中の用事であった、再びの“赤木家主催勉強合宿”を知られない分にはラッキーだったかとは思う。
そして仙道にとっても今日が天候以外ではラッキーデイだったことは明白だ。いや、そう言えばついさっき仙道は天候でも楽しんでいたようだったが・・・

「やい仙道。てめぇ今日は俺様に感謝しやがれよ?つかこれからも俺の家の方角に足向けて寝んな。そして金輪際俺になにかしら厄介ごとを持ち込むんじゃねぇ」
「そりゃあもちろん!今日のメシが食えるのも三井さんのおかげです!三井さんの家に足向けないよう寝るのは、俺の部屋の設計上北枕で寝るしかないんですがまぁよしとしましょう・・・」
「・・・・・・」

三井が何もいえないでいる間に、仙道は三井の腰掛けるソファーに寄ってくると太腿の上から白い子猫を奪う。三井でも仙道でもその子猫は愛らしく鳴いて、その身を大人しく委ねた。生まれたばかりっぽく見えたが、実はオトナになりかけの子猫なのかもしれない。そしてどこかで飼われていたのかもしれなかった。

「ああやっぱ可愛い!!公園のベンチの下で見つけて拾って良かった!」
「・・・てめぇが言うとむかつくのは何故だろう・・・」

自分もなんとかプラス思考で考えたいのはやまやまなのに、何故かこの男の喜び様を目にしてしまうと冷めてしまう。というかお前はただ見つけてそれを自分に譲渡しただけで何もしてないだろうと。しかし嫌味を言っても動じないに300万円賭ける事のできる男仙道にこれ以上言い募るのは疲れそうなのでやめておいた。

「そうそう。メシで思い出したけどそういえばもうメシの時間ですよ!メシ作りましょうメシ」
「こ、こら仙道!勝手に台所に行くんじゃねぇ〜!狭いんだよ台所は!!」

しかし疲れるのは何をしていてもいっしょだった。





今、三井寿は台所の隅で携帯電話で声を潜めて通話している。
その声には疲労の色が滲んでいた。

「そりゃ災難っすねぇ・・・」
「だろ?俺かわいそうだろ?例えるならうる星やつらで、宇宙からラムじゃなく仙道が突然やって来たみてーなもんだ・・・」
「いや、それそのまんまじゃねーすか・・・」

三井に応える声は宮城リョータという、三井より一学年下の部活の後輩だ。小さいがなかなかやるを地で行く大人びた少年。しかし延々語られる愚痴にそろそろうんざりし始めているようだった。
「でもいいじゃないすか。陵南のエース仙道の手料理が食えるなんて、世界中で三井サンだけでしょうよ。憎いねープフっ」
「てめぇ最後笑ったろ?」
「いや、まさか。でも事実じゃないすか〜」
「じゃあその事実の裏側を教えてやろうか。飯の製作総指揮俺。仙道は居間でテレビの特番見てんだよ!!」
「・・・それは・・・なんつーか」

仙道は一度は台所に立ったものの、その長身で食器を割るわ、冷蔵庫の棚を崩すわ一時期凄惨な状況を覚悟せねばならなかったのだ。仙道より身長は若干低いだけだが三井はこの場での身のこなしには慣れていたので、被害が拡大する前に丁重にイエローカード三枚でベンチにお帰りいただいた。だから一概に仙道がテレビを見ているのはサボりとは言えないのだが。

「三井サンもう追い出しちゃえば?その図太さなら豪雨の中だろうが砂漠の真っ只中だが生きていられるっしょー」
「・・・でもよぉ。人道的に見てやっぱ追い出すのは俺の沽券に関わるというかだな・・・」
「ハハッ、何だかんだいって最終的には仙道庇う方向に戻ってんじゃないすか。それが人徳かは存じませんけど、あんたのしたいようにしなよ」

ぶつぶつと不満げに台詞を吐く三井に、宮城は軽く笑ってそう言った。仙道にも似た明るい笑顔が目蓋の裏に浮かぶ。
三井がなんとも言えないでいるうちに宮城は再び言葉を重ねた。
「でもさー。仙道が拾ってきた猫助けることが出来て、アンタも仙道とは関係なく嬉しいもんでしょ?だったらもう今日最後まで付き合っちまえよ。またなんかいいことあるかもよ?」
無責任に、しかしどこか説得力のある声を三井は咀嚼し、つかみどころのない仙道の一切れをようやく掴むことに成功したように微笑んだ。
「まぁ・・・な。いい感じの猫だし、親説得してなんとか飼えねーか打診してみる・・・」
「かぁー!さらっとそういうコト言えちゃうのが三井サンて感じだな。頑張ってよ。アヤちゃんとその猫見に行きますから」
「バカヤロウ。彩子となんか来れるはずねぇだろ」
軽口を叩き合って、しばらくして電話を切った。同時に大き目のオーブンレンジがチンと軽快な電子音を響かせる。テーブルにあらかじめおいてあったシルバートレイに、レンジの中で湯気を立てるグラタンを移し変え、乱雑に湯飲みに茶を注ぐと、三井は居間にそれを運んだ。

「おい、仙道メシだぞ」
「え?早いっすね。つかずっと喋ってませんでした?」

振り向いた仙道はその拍子に納得したようだった。
「なんだレトルトか・・・」
「あぁ?なんか文句あんのか?」
「いや別に・・・」

仙道は素直に皿を受け取ると、その中のグラタンをスプーンで掬った。
テレビがコマーシャル場面に切り替わり、ちょうどこのグラタンのCMが流れる。
「あ、美味いですねコレ」
「だろ?けっこオススメ。簡単にできるし」
男2人の寒々しい食事だが、それでもそれを味に求めるほど子供ではない。
一人きりの食事でも美味いもの美味いし、一過団欒とはいっても今の自分たちのように寒々しいものもある。仙道はスプーンいっぱいのグラタンをほおばりつつふと正面から三井に視線を止めた。

「三井サンずっと半裸族じゃないすか。寒くねぇ?」
「いや、暖房入れてるし・・・つか半裸族言うな。そしてそれより何で脱いでんだ仙道!!」

三井の返事を待たず、なぜか仙道は自分の借り物のTシャツを脱ぎ、三井に突き出した。
「いくらなんでも俺が借りてるわけにはいかないっすよ〜。三井サン俺よか風邪引きそうな体格してるし」
「うるせぇな!いいんだって!別に・・・」

そうだ。仙道はさりげなく気が回って優しいのだ。いつかの体育館で陵南vs海南戦を観客席から見学していたとき、三井は仙道のバスケセンスより何よりメンタルコントロールの巧さに驚かされたのだ。目ざとく、聡い。羨ましかった。
そう言えば公園であの猫を庇っていたのも、陵南バスケ部指定のジャージだった。
ある意味晴れ着とも言える代物であるのに。

「わっかんねぇなぁホントお前・・・」
「そうですか?でもなんかTシャツ一枚に2人とも半裸って凄いみっともない構図ですよねぇ」

あははと眉を下げて笑う仙道に、三井も微妙な表情で返して、再びもさもさと食事に没頭する。そうやって時間は過ぎ、いつのまにか夜になっていた。
時間の感覚をわかっているのかいないのか、白い猫は居間で蹲って寝ている。
そして三井と仙道の2人は、つけっぱなしのテレビもそのままにただボーっとしては、ときどき会話をするその繰り返しで時間を流していた。

「あ、そう言えば」
「なんだよ」

ソファーにだらしなく寝そべりながら、仙道はぽんと手を打った。
まだ辛うじてソファーの背もたれを利用して座っている三井は視線だけで応える。
下睫の長い垂れた眼差しが正面にかち合う。

「その子猫まだ名前付けてないじゃないすか。不便じゃないです?」
「まだ確実に飼えるなんて言えねぇしよ・・・」
「そこは三井サンの力量じゃないすか。敏腕ネゴシエーターぶりを期待してますよ」

無責任に仙道は、三井のもの言いたげな目線を避けると、丸くなって寝ている白い子猫の背中を撫でた。
「子猫って凄い寝るんでしょ?もったいねぇなぁ・・・俺4,5時間でも勿体無く感じちまうのに」
「寝坊して遅刻する奴がよく言うぜ」
「あや〜、それどこで聞きました?」
「てめぇんとこのうるせぇ一年を監視しとくんだな」

彦一だね〜と仙道は苦笑しつつ、猫の背中をいじる仕草を止めた。そして突然呟く。
「よし!お前の名前はアキラだ。いい名前でしょ。わりとポピュラーなんだぜ」
「勝手に変な名前決めてんじゃねぇよ!!」
無重力状態だった三井も、聞き捨てならないとばかりに立ち上がった。
「アキラって確かてめぇの名前じゃねーか!んなもんを仮に毎日何度も呼ぶとしたら神経切れちまわぁ!!」
「わっ、ひでぇ言い草。まぁ、アキラ〜飯にするか風呂にするかそれともオ・レ?なんて三井さんが猫相手に話してるそれだけでウケますよね」
「オレは爪の先ほども楽しくねぇよ!!」
「彗星だって発見した人が名づけるじゃないですか。だからこの猫にも発見者である俺の名を。あ、そうだ。センドウを逆から読んで「うどん」にしましょう。白いしさー」
「そこに愛はあるのかー!?」

今日何回目かの殺意を抱いて、三井は仙道にそのあたりに放置していたクッションを投げつけた。ぎゃーとわざとらしく仙道は叫んで逃げ惑う。攻撃されているのにそれすら楽しそうで、三井は彼を怒鳴りつけた。

「てめぇさっきからおちょくりやがって!!何がんなに楽しいんだよ!?」

「そりゃあ好きなヒトと長い時間過ごせれば・・・ってヤベ」

先ほどまで外を眺めていた窓の辺りまで引き下がった仙道は素の表情で三井の問いに答え、ここに来て初めてマズイといった顔を晒した。
「好きな人って誰が?」
「いや、別に深い意味はありませんよ」
大きく長い手のひらを顔の前で拒否するように振ってみせる。それはともすれば表情を隠そうとしているようにも見えた。「ああー?なんか聞き捨てならねぇぞオイ」
「だから勘弁してくださいてば!!ああくそ、眠くて油断した!」
「だからなんなんだよ」

三井の諦めの悪さに辟易したか、仙道は印象的な瞳を伏せてため息を吐いた。

「言っちゃおうかなぁ・・・でもなぁ・・・」

その困り顔に。
ああ、本当に人をからかうのは楽しい。三井はこの男のせいで狂いに狂いまくっていた自分のペースを思い出してほくそ笑んだ。
「ははは仙道。なんだよ好きな奴がいんのかよ。雨の中彷徨ってたのもそいつのためか?陵南のエースを狂わせる女はどんな美女だよ」
「・・・まぁ美人なんではないかと」
三井は立ち上がって、剥き出しの細長い腕を仙道の肩に回す。場末の銭湯で絡む性質の悪い親父のような動作だが、仙道はされるがままになっていた。
「教えろよ。俺口は堅いほうだからよ」
無論嘘だが。仙道は苦笑しながら三井に視線を流した。
「まぁ教えても誰にも言えやしないと思うんですけどね」
「?何でだよ」

三井の目の前で仙道は唐突にかくっと首をおった。
「おい!寝てんじゃねぇっての」
「眠いモンはしょうがないでしょうが〜。俺今日ずっとあの場所で猫の世話してたんですよ〜。ある人を待つついでに」
「マジかよ?会えなくて残念だったなぁ〜。俺に迷惑掛けまくったのもその腹いせか?」
「・・・そーゆうわけじゃないんすけどね」
仙道は僅かに眉を顰めると、腹を括ったか一つ咳払いをした。

「言っちゃおうかな・・・」
「だぁら言えって」
「・・・じゃあ言います。心して聞いてくださいね」

仙道は今までの雰囲気を払拭するほど真剣な瞳で、三井を僅かに高い身長から覗き込んだ。
異様な圧迫感に三井は驚いて微妙にのけぞった。
「な、なんだよ・・・」
「三井さん・・・」
感じたことも無い甘さが含まれたその声音に、疑問を感じている暇もなく―――


「好きです。結婚してください」

「なっ・・・」


かろうじてそう言って、仙道はTV前のソファーの上にその長身を倒した。
どうやら先ほどから言っていた睡魔が限界に来たらしい。
押しつぶされそうになった三井は慌てて回避し、ソファーに乗り切らないままの筋肉質の足をうざそうに持ち上げてシーツの上に乗せてやる。
三井はその重さと自分の失態に、これ以上ないほど剣呑な目で原因の全ての根源を睨みつけた。
自分、バカみてぇ。素で酔いどれの男の台詞に一瞬でも表情変えて。
今はただ、怜悧な眼差しで見下す。
「にゃろう・・・爆弾残して逃げやがって」
しかしこの数時間でもはや豪雨の音でも消せないほどの強いつながりが出来てしまったことは明白だった。
暴言を吐きながらも、どこかで仙道を許している自分に気づく。
「・・・マジなのか?」


―――やはり葬るべきだった。
「勝負しましょう」
静かに呟く。
感情は一滴も見せずに。
あの雨の中ゆっくりと近づいて、その首に戯れのように冷えた指を食い込ませる。
形よいその耳に「やだよ」と呟いて。
それだけで関係など失せてしまう。
この世に争いなんてないと思い込んでいそうな寝顔を、伸びた爪でひっかく。
白く映える首筋も同じ手のひらの先端でなぞった。
しかし、どうせあの時息の根を止めていようが、今ここで彼の眠りを永遠のものにしようがこの男はこの先いつか絶対に死んでしまうのだ。
豪雨の中で、砂漠の真中でも。
人間である限り。
そう思うと、夜の闇色に呑まれていた自分の感情が少しだけ甘い憂いを帯びた。
絶対言えやしないけど。
いなくなったら絶対寂しい。
同意するように白いかたまりが鳴いた。

「まぁ・・・てめぇが可愛い女だったらちったぁ考えてやるぜ」

出来の悪い拒絶だ。
三井の葛藤など知る由もなく、仙道は生物ではないような静けさで眠りつづける。
こんなにも、こんなにもかき回されて疎ましいのに、三井はあのときの雨の匂いも佇む彼の深い眼差しもどうしようもないほど鮮明に憶えている。
あんな最奥で炎をちらつかせる、感情全てを凝縮した目は、きっと流川にも牧にも見せていないに違いない。そしてこれからはきっともう無い。
あの目は、小さな命を救うことに全力を尽くしていた。

狭い寝具の脇、三井の隣りのダンボールの中で「にゃあ」と鳴く“うどん”を三井は険しい表情で見遣り、しかし長い指で愛しそうに撫でた。

「俺もお前も、こんな男の手になんか余っちまうよな?」






 
こんな傍若無人な男嫌だ・・・