『1.2.3.ファイア!!』


 少年の掛け声と共にドウッっと粉塵が巻き上がり、観音開きの重厚な木製の扉が
開け放たれた。同時に煙の中から高校生ほどの年頃のずいぶんと背の高い少年たちが
いっせいに外界へ飛び出してくる。
 彼らは全員薄藍の作務衣に身を包み、図ったかのような坊主頭。しかも出てきた
その建物は寺院だったので、修行に励む僧侶だと思われても致し方なかったが、実際は
横文字のスポーツに励むプロフェッショナル集団であった。
 神奈川県のとある山の中腹で突如起こったその事象は、大規模な影響は無かったために
大して目撃者の興味も募らなかったが、実際はあまりにも悲しい、思春期の“彼ら”
にとっては重大な逃亡劇の幕開けだったのだ。

「キャプテン、よく粉塵爆発の起こし方なんて知ってましたね・・・」
「そんなことはどうでもいいぴょん」

 いまだ舞い散る大量の粉をはらいつつ、一人の長身の少年がリーダーシップを取るように
その場にいる全員を、自分を中心にひとまず集める。

「沢北、野辺、松本はこの下の地蔵の左の林道から下山するぴょん。俺と河田×2は反対の
竹林から脱出するぴょん。下界の例のところで落ち合うぴょん」
 
 扉の中から最後に出てきたその能面の少年は冷静に他のメンバーに指示を告げた。
語尾が少し人外だったが、他の者は慣れっこだったので特に気にすることも無く頷いた。
 その中で一人の少年が彼の前に歩み出る。洗練された足の運びと端正な顔立ちが彼を
只者ではなく仕立て上げていた。

「キャプテン!河田さん!気をつけて下さいよ!河田さんは顔がごついだけに
視界が狭そうだから特に気をつけ・・・」

 少々焦り交じりで「キャプテンと河田さん」に捲くし立てるその少年は、台詞の最中で
何者かに背後から首を締め付けられた。
少年の首に巻きつく腕は太く、それを上に辿っていくと華麗な鯛のようないかめしい(矛盾)
顔が怒りをたたえて見下している。お察しの通り彼は河田という名を持っていた。

「んだぁ!?沢北ぁ!!てめぇ自分が山王高校内抱かれたい男ランキングbPに
選ばれたからって頭ゥ乗ってんべ!?てめぇも条件的には一緒なんだからなぁここでは!!」
「ぎゃー!!痛い!ギブっす河田さ・・・!!」
 
 河田は意味深な台詞と共に一層腕に力を込めて、山王工業高校文化祭アンケートリサーチ
bPの男をオトしにかかった。bPは当然身も世も無く泣き叫ぶ。
 惜しげも無く落涙する彼は、実は高校バスケットボールの世界でもbPの男だった。
ただしこの夏までは。
河田が呼び捨てた通り、その少年の名は沢北という。
北沢ではない。

「沢北!河田!そんなことしてる場合じゃないぴょん!追っ手が・・・!!」

 リーダー格といった威厳のある能面の男が、珍しく声を荒げて河田と沢北の実況プロレス
もどきを制し、他の仲間を後ろ手に、油断無く煙立ち上る寺院の奥を見据える。
「まさかもう来たんじゃねーだろうなぁ!?」
 怯んだ声で後退する野辺に、他の者も昨日まで寝泊りしていた寺院、いや要塞と言っても
過言ではない重厚な閉鎖空間に背を向け山の裾野の方へ走り出した。

「止まるなぴょん!堂本監督に気取られたら俺たちの夏は終わりだぴょん」
 全力疾走の最中にも個性的な口癖を忘れない男に少し安心したか、並走して山道を駆け下
りる沢北は少し唇を歪めた。
「わかってますよ!何が何でも逃げ出してやる!!」
「・・・そうぴょん沢北。俺たちにも青春があるのだぴょん」
 そう言って少し目を細めた少年に、同じく巨体を木々の間に潜らせ失踪する河田が
前方を指差した。

「地蔵が見えたべ。あっこで二手に分かれんだな?」
「そうぴょん。―――!?」

 河田の指摘にあくまで冷静な口調で応えた男だったが、次の瞬間その目が見開かれる。
「!?」
「うおあっ」
「だっ」
「てっ!!」

 まだ青い葉が敷き詰められた柔らかい土の上に、逃亡者たちはいっせいに将棋倒しの
ように倒れこんだ。もちろん河田・沢北・そしてリーダー格の少年も何かに足をとられて
無様に転ぶ羽目になる。
 前のめりに突っ伏すと言う不自然な体勢から身を起こす彼らの前に、ざっと数人の人影
が踊り出た。これで大人数をすっ転ばせたのか、手に竹ざおをもれなく持っている。
 そのうちの一人―――河田達に比べるとそんなに背の高くはない公家顔の
少年が口を開いた。言わずもがな、彼も坊主だ。

「エースの沢北に高校トップセンターの河田・・・レギュラーの皆にそしてキャプテン・・・
貴方方に逃げられると山王の名が泣く。インターハイ緒戦で敗れたのにそんなことでいいのか
?」
 薄藍の服に土汚れを混ざらせたリーダー格の少年は少し眉をひそめた。
「・・・たしかに主将が“合宿”から逃げ出すのは前代未聞だと思うぴょん・・・
しかし・・・」
 僅かに口篭もった彼の横から、跳ね起きた沢北が端正な細面に葉っぱを張り付かせながら
続けて悲痛に叫んだ。

「あの“練習”の仕方は間違っていると思いますっ!!あ・・・あ・・・思い出すだけでも
恐ろしいっ・・・!!」

 前半の勢いからは信じられないほど蒼白になって震え始めたエース沢北に、そばにいた
松本という少年が寄り添って肩を抱く。

「無理するんじゃない沢北!!堂本監督はお前に一番期待をかけているから、お前は唯で
さえ人一倍辛いんだから!!」
「ま、松本さん、俺は・・・もう俺は“あの部屋”は嫌だっ!助けてくれ誰か!!」
「お、落ち着け沢北ー!!」
 
 発狂しだした沢北を松本が必死で押さえる中、リーダー格の能面と公家顔の少年は静かに
対峙していた。

「・・・あの沢北をここまで追い詰める地獄すら生ぬるい合宿メニュー。疑問に思わないの
かぴょん?イチノ」
 イチノと呼ばれた公家男も、無表情に淡々と言葉を連ねる。
「・・・俺はどんなに課題が熾烈を極めたとしても、黙ってそれに耐えるだけだ。山王工業
の3人柱が腰抜けよばわりされてもいいのか?」
「我慢にも限度と言うものがあるのだぴょん。イチノ・・・よく見ると顔色が相当悪いが
無理してないかぴょん?」
 男の問いかけにイチノは初めてふっと笑った。
「フフ・・・なんのこれしき・・・ゲフグふゥ!!」
「イチノー!?」
「一之倉さん!?」

 いきなり咳き込んでしてその場に倒れこんだイチノに対峙していた男は驚き、
河田が顔に似合わない迅速さで彼に駆け寄った。
「いかん。熱があるべし・・・医者を」
「ざまあないな・・・河田。情けは無用だ・・・」
「何いってるべ。仲間だろうが・・・」
 河田と襲撃者の少年はちょっと懐かしいノリでわかりあっていた。
「一之倉さん、あのメニュー2倍こなしてたからな・・・」
「本当は死んでもおかしくねぇべな。2回くらい・・・」
 イチノこと一之倉の額に大きな手を当てる河田の背後で、後輩の少年たちもまた青
ざめた表情でぼそぼそと語り合う。

 彼らを眺めつつ高校バスケ界トップアスリート山王工業の現主将である男はぐっと
両の拳を握り締めた。

「どこまで俺たちを追い詰めたら気がすむのだぴょん・・・堂本監督!!」

「追い詰める?私はお前たちが更に強くなるために最適の方法を提示しているだけなのに
心外だな」
『!!!!』

 主将はもともと高い視線を更にあげ、寺院のある方角に続く山道に立っている想像した
通りの姿を認めて僅かに口元を引き結んだ。
 少しだけムースで立てた髪、特徴的な口ひげ、深い眼差し、威厳のある体躯―――
 山王工業高校バスケ部監督堂本その人だ。
 その姿が鍛えられた腕を前方に伸ばすのを見て、彼は背後を振り返り自身も飛びずさり
ながら練習で鍛えられた声を張り上げた。

「皆散れぴょん!!」

 しかし、それぞれのメンバーの疲弊っぷりは反応速度を著しく低下させ・・・
この場にいる全員の頭に、頑丈そうな遠洋漁業ご用達投網が苦もなく掛けられた。
「重いぞこの投網!!な、鉛が入ってるべ!?」
「あ、あんまりだ!!」

「ああその通り。山頂まで引きずればかなりの運動になるぞ。さぁ皆頑張れ!」
 爽やかに部員に檄を送るただ一人大人の堂本は、杉の木に掛けられた紐を愛しそうに撫で、
全員に言い聞かすように優しい声で語った。

「この通りこの山中には無数に修行用トラップが仕掛けてある。逃げようなどとは思わない
ことだね。時間はたっぷりあるのだから、次こそ負けないように君たちはまず修行に勝たな
ければいけない」

 「・・・」
 網の中で。
 主将である彼はひたすら考えていた。
 監督の言うことは正しい。最もだ。
 これまでの練習の全てを掛けて臨んだインターハイ緒戦―――日本で敵は無いと
 謳われていた俺たちは、無名の高校にまさかの敗北を喫した。
 この“まさか”が命取りだった。
 最後の数分、監督は俺のゲームメイクに全てを賭け、相手校は無名の怪我人と鮮やかな
 才能に全てを賭けた。そして俺は負けた。“まさか”と思ったからだ。
 そして俺たちは今地獄から這い上がる途中だ。
 そのためにはどんなものも乗り越えて耐えて行くつもりだった。
 負けたことを財産に、死にもの狂いで。
 しかし俺たちに足りないものは―――もっと他にもあるのではないですかぴょん?

「―――さんっ」

 自分の名を囁く若い声に、深津ははっと顔を上げた。網に包まれた視界の中、なお整って
見える顔が意を決したかのような鋭い眼光を称えている。
 沢北。

「・・・沢北。現実に戻ってきたかぴょん」
「ええ。監督がおいでになりましたから・・・それよりここ!」
 踝のあたりから裸足があらわになったかかとで網の一部を示す。沢北の示す先を主将の
視線が参照すると、そこに人一人通れそうな穴が開いているのが見て取れた。
 彼の理解を読み取って、沢北が不敵に笑う。エースの貫禄で。

「行って下さい。俺が監督に隙を作りますからその間に!そして…下界で俺たちに
足りないものを見つけて来てくださいよ」
「・・・任せろぴょん」

 2人はこっそり頷き合うと、途端沢北が深く息を吸い込んだ。
 深津はあくまで堂本から視線を逸らさず、身構える。
 高い声が山間に響く。

「監督っ!!俺がアメリカ行きを延期したのはですね、湘北に負けた
からじゃなく、以前海外遠征したときN大のロバート・スミス(仮名)に
カマ掘られそうになったこと思い出したからですー!!(嘘だけど)」
「なっ、何!?そんなショッキングなこと先生初耳だぞ!?」

 沢北の捨て身の激白に、堂本のみならず沢北の周囲も騒然となった。
「さっ沢北さんマジですかそれは!?」
「ああ、沢北さん典型的な和風美人だモンな!!」
「うああああーっ!!俺も狙ってたのにー!!」(←・・・)
 周囲のなんだか予想外にズレた反応に沢北自身も引きつりつつ、それでも尊敬する
キャプテンのいた方に視線を向けた。そして安堵する。
 そこにもう彼の姿はなかった。

「あっ!!深津を逃がすため謀ったな沢北!!」

 堂本の短い叫びに、網目から抜け出した能面キャプテンは下界へと続く山道を
滑る様に下りながらくるりと振り返った。

「沢北に罪はないぴょん。俺は、俺とチームに必要なものをこれから探しに行くのだぴょん。
逃亡なのか冒険なのかはまだ決めないで頂きたいぴょん」

 そして再び身を翻し、彼は身軽に道無き道を木を時々支えにしつつ駆け降りていった。
 沢北の声が聞こえる。

「深津さぁーん!!俺たちに潤いを!!潤いをお願いしますー!!」
「ちゃんとしたメシが食いたいぞー!!」
「肉!何はともあれ肉!」
「つか俺もう2週間ほど人間の女みてねーべよ!!」
「ブラウン管すらないからな!」
「女!女!」
「肉ーーー!!」
「こ、こらお前ら静まりなさい!はしたない!!」

「・・・」
 たった一人になってしまった逃亡者は、誇り高き山王バスケ部員をここまで獣に変える
「恒例夏合宿」に改めて恐怖を覚えつつ、眼下に広がるまだ朝の光が満ちる前の街へと
走った。
 
 さて、最後になったがこの彼の名は深津一成。
 山王工業バスケ部キャプテンであり、この物語の主人公である。





【ワンダー・サマーバケーション】





さ、山王しか出てない・・・どうなるんでしょうか。
重ね重ね申し訳ない。

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