11人目の代償 #前編

                         





好きなヒトはいますか?


#M1

彼が本気で惚れていたのに、何一つそれらしい言葉が紡げなかった理由が少しだけわかる。


神奈川県立湘北高校2年1組には自他共に認める美女が2人いる。
ひとりはアヤ。彩子。
夜みたいな色をした長い髪にパーマをかけていて、彼女が歩くたびに姿勢のよい背にそれはさらさらと溶ける。
顔立ちも上等。大きな目に長い睫。薄い化粧と整えられた眉、整った鼻梁の下のふっくらとした唇だけ真紅に近い。メルベリンの秋の新色。間違って男子のカッターシャツにでもついたらカノジョに誤解されそう。厚ぼったいブレザーすらも緩く押し上げるボリュームのある胸は、男子はもとより女子すらも魅了する。そして全身に至って香水はきっと使っていないだろうけど、彩子はいつもいい匂いがする。
大声で笑ったり―大胆な仕草すら愛嬌があって、彩子を貶める要素にはカケラもならない。

「涼子。これ一時間目のプリント。遅刻したでしょ?」
「ああ彩子。ありがとう」

優しい笑顔の先から差し出されるB5の藁半紙。長いきれいな指にわざと触れてそれを受け取った。ちらっと見たツメは切りそろえられていて透明のマニキュアでコーティングされている。
彩子に透明?なんてもったいない。爪ももう少し伸ばした方がより似合う。

「アヤ・・・彩子。今度ネイルカラー見に行こーよ。翔陽の裏にイイ店見つけたんだー。アナスイの限定色いっぱいあってさ。彩子に似合うラメ入りシアーブルー見っけたんだー」
「あーごめん涼子。私今大会前で忙しくてここ2週間くらい無理っぽいの。月変わっちゃうけどいいかしら?」
「そーなの?ざんねーん。いいよ。空いたらメール入れてよ」
「うん。ホントごめんね」

そう。完璧美人の役職だけには問題があった。ヤンキー・ジミオ何でもござれのへたれクラブで有名だった男子バスケ部のたった一人のマネージャーだ。汗臭い飢えた獣の中に同じ人種か疑わしい美女が一人。美女と野獣なんて御伽噺に過ぎないのよ?美女と野獣が同世界に存在すれば、美女は骨まで喰われてハイサヨウナラ。
自分以外の人間の貞操なんて誰でも知ったことじゃないが、彩子が汚らしい部室でマワされたりするのかと思うと鬱入る。

が、そんな心配はもう過ぎた今年の夏で無くなったのだ。
バスケ馬鹿はバスケ以外のことが入り込む余地もないバスケ馬鹿だからバスケ馬鹿と言うのであって。
路傍の草より存在感の無かった男子バスケ部は、魔法にでもかかったかのように大確変を起こし、県大会に準優勝し、ついには全国まで行ってしまった。高校バスケ界髄一らしい強豪高を2回戦で破ったという武勇伝つきで。
彩子とそしてもう一人のクラスメートの成す事にきまぐれに興味を持って、そのバスケ部の県大会決勝戦を見に行ったことがある。席には座らず、通路から終りかけの10分ほど観戦した程度だったけど。
コートの中で走り回る人間のデカイことデカイこと。
その中で一人だけ、ちょこまか鼠みたいに小さい男が一生懸命動いているのが笑えた。
それでももちろん。実生活の中では身長低いわけじゃないのだけど。
自分にあった世界っていうのを選ばないとね?

それでも―――あんな必死に声をあげてる彩子や、仲間の名前を連呼する背の低い少年は紛れもなくこの体育館の主役の一人で―――とても言葉に出来ないようなヒワイな関係を妄想することは出来やしない。
それは他のメンバーも一緒みたいで、化学反応しすぎな赤い頭の少年なんかボールが恋人みたいに執念深い・・・ああ今一人コート内で倒れたってば。敵チームの選手も振り返って足を止める。オイオイ大丈夫なのかよ。彩子もちっさい少年も、見せたことの無い蒼白な顔で駆け寄る。ゴリラみたいな大男も、たしか校内にダサいファンクラブがあった美少年も―――

館内が微妙にざわめき試合中断のホイッスルが鳴る中、熱気に乾いた唇を嘲笑に歪めていたのは一人だけだ。自分だけ。

―――スポーツやってても、男って弱い。しっかりしろよ青少年。脱水症状なんかで倒れてんなっての。昨晩見たことも無いオモチャアソコに突っ込まれてイカされて、あらゆる意味でボーダーラインなクスリ使われて生でやられまくった女もココにいるってぇのにホント激ダサ。

彩子と宮城にそんな顔させないで。




「おい!おいって!涼子!」
「・・・・・・なに?誰?」

いつのまにか机につっぷして眠ってしまっていたらしい。昨日一晩で8万稼いだからな・・・
げ、ブレザーにファンデついてら。サイアク。
夢で見たそのままの強さで自分を恐れもせずに名指しで呼んだ声に、不機嫌なままの表情で面を上げた。
男子にしては小ぶりでキュートな、まだ幼さの残る顔のパーツの一つ―――クセのある両眼がスレタ感じの美少女を映していて、それから目ぇ背けたらエアモヒカン(って言うんだっけか?)のハニーブロンドが飛び込んできて、それでやっと彼であるとわかった。

「宮城。なに?」
「次の授業移動だぜ。珍しく学校来てんのに何一つ授業受けないで帰るの?」

机からほんの少しだけ浮かせた頭で周囲を伺うと、すでに教室には誰一人としていなかった。
目の前の細身の少年だけ残して。
宮城の学生服の袖から伸びる指には、音楽の教科書とアルトリコーダーが握られている。
3時限目は音楽の授業だったらしい。2学期になって大分たつがまだ時間割なんて覚えていない。宮城―――宮城リョータは明るい髪色といい、週ごとにデザインの変わるピアスといい、薄い眉毛といい、いかにもな風体をしているにも関わらず、ちっともその期待には応えてくれなくておせっかい焼きで(ああそう言えば例のバスケ部のキャプテンを襲名したんだっけか)放っておいてくれない。

「やだよ音楽なんて。かび臭い縦笛なんて吹けない。宮城の“フエ”なら吹いてもいーよ?御優待価格3000で」
「バカ言ってろ。3000あったらリスバンとマイボールが買えるっての」
「あーヤダヤダ。バスケ馬鹿って青少年的に不健康で大嫌い。マイケルでヌけるの?」
「どーしてなんでもかんでもセックスに結びつけんだよ。お前の思考のほうがよっぽど不健康だぜ?」

カタチのいい眉を思いっきりしかめて言うから、思いっきり険のある目つきで睨んでわざわざ左手持ち上げてファックしておいた。基本的倫理観が相成れないってわかってんなら構うなっての。誰でもひょいひょい人懐こく許しちゃうそのキャラが痛いよ宮城。昔から。

かといってここで気だるい気分のまま寝てるのは確かに無意味かもしれない。邪険にされてもなんでか待っている宮城を視界のふちに認知してから、粗末なイスをガタリと退いた。
それにかぶって、誰もいないはずの廊下から彼を呼ぶ声がした。

「宮城ー。いたいた。辞書かせ辞書。英和辞典」
「またっすかぁ!?5時間目授業なんスからちゃんと返してよ!?」

窓からひょっこり顔を覗かせたのは、異常に顔の良い長身の男だった。変形カットされた学ランから伸びる腕は長く、それがどこで本領を発揮するかよく知っていた。
宮城よりも濃い髪の色、凛々しい眉毛、凶悪だけど笑うと緩和される黒目がちな双眸。
タダマンされたって惜しくないだろう。自分以外の少女なら。
束の間隣りに並んだ宮城が呆れたような声を出して、教室の後ろのロッカーを探りにいった。
妙にロッカーの前にいる時間が長いなと思っていたら宮城が戻ってきて、少しだけ高い身長から頭の上に音楽の教科書とアルトリコーダーをぽんと置かれた。
「先行ってろよ涼子。音楽室の場所くらいわかるよな?」
無造作に引ったくり、ふいと彼に背を向ける。朝まで熱かった股間の痛みはもう引いている。
すっかり板についた嘲笑で返した。
「バカにしないでよ宮城。ひとりで行けるっての」

教室から出るとき、無意識に宮城と彼の先輩のほうを一瞬だけ見た。
痩せ気味な先輩はすらりとした背を緩く曲げて窓越しに宮城から辞書を受け取っていた。しょーもなさそうなしかめっ面をしている宮城に文字通りふわりと笑って。
それだけで宮城は瞬く間に不機嫌さをとっぱらいどこか落ち着かない少年の呈を露にした。

すでに音楽室へと歩き始めた背中で露骨に嘆息する。
大人びた宮城をいとも簡単に無力な少年に変えてしまう。バスケとかやってる朴念仁は性欲を切り売りして魔法でも買っているのだ。本末転倒なことにそれで惚れ薬でも作って無節操にバラまく。とんでもない獲物がかかるとも知らずに。

「宮城・・・」

自分は彼をこのとおりに呼ぶ。
彼の少年が苗字を呼ばなくなったのがいつからか知らない。でも呼べなくなった理由はとっくに気づいている。少なくとも嘲笑では足りない冗談ではない理由。
自分を哀れんでもう一度ため息を吐く。
「アヤ」のことを彩子と呼んで。せっかく「アヤ」を宮城だけのものにしてあげたのに。

当然のように名前を呼んで、無駄な期待をもたせないで。



―――涼子。湘北高校2年1組三井涼子は、音楽室に向かう足を止め、宮城から十分離れた場所で方向転換すると女子トイレに入ってピルを飲んだ。そう言えば生理遅れてら。
3度目の、溜息。

「あたしが11人目だと思ってたのに」





#M2

分厚い英和辞典で滑らかな肩を叩きながら、目の前のイケてる感じのお兄さんはのたまった。

「さっきの女。彩子に似てたな・・・化粧濃かったけど」
「そーすかね?アヤちゃんの方が美人だよー。あいつ性格悪ぃし」
「マジ?でもなんか仲良さそうだったじゃん。まさかカノジョじゃねぇよな?名前で呼んでたしよ。リョウコだって?」
「・・・あいつの名前三井涼子っていうんすよ。あんたと同じ苗字だから呼びづらくて・・・」
「それだけかよー。いいじゃん俺と苗字同じくらい。怪しいぜぇ?」

なんの悪気も含みも無く、天然でそんなことを言うから性質悪い。この男は、いつでも当然のように自分のことしか考えていない。

「・・・俺の好きなヒト知ってるでしょ?」

だからこう返すしかない。またあっけらかんとあんたは笑うから。
長い、節くれの目立たない指でその表情のまま俺の前髪をひゅいと掠める仕草をする。

「知らいでかー!もう前から思ってたんだけどよ。お前の彩子に対する態度、バレバレで見てらんない。一回くらい告れよ根性ねぇなぁ・・・」

・・・・・・

「根性のことでどーのこーのアンタに言われたくねぇっての。1・2年の数学、よかったら教えてあげましょうか?いちたすいちは2ですぜダンナ」
「バカヤロウ!バカにしてんじゃねー!カドで殴るぞ!」
「俺の辞書になにするんすか!?」

くだらないことで言い争って。思えばバスケの試合中以外では本当にロクでも無いことしか俺たちの間にはない。
いくつケンカしていくつ傷をつけた?心にも、身体にも。
他人がつけたキスマークは所有印なんていうけど、その顎についた傷はどれだけのものなのかな?アンタにとって。俺にとって。
俺だってたまにはアンタみたいに何の悩みもなさそうに笑ってみたいっての。
悩みの種はまた例によってロクでもないことであり、もちろんそれはあんたであり、そしてそれを救う可能性があるのも俺が本気で笑えるときを創るのも、あんただ、三井寿。

まさしく今、チャイムが鳴ったことに鳴り終ってから気づいた。

「げ!!チャイム鳴った。マズイ!!」
「うそォ!マジで!?涼子に偉そうなこと言っちゃったよ!!」

右手の中のアルトリコーダーとそれに巻いた薄い教科書を慌てて握り締めてから―――一拍置いて、ふと三井サンの方に空いている手を伸ばしてみる。いとも簡単に、骨ばった手首は捕らえられた。幾分焦った声が頭一つ分程高い位置から降ってくる。

「なんだよ宮城!?離せよ・・・」

浅ましい本心を隠して、なお浅ましいへつらい顔で笑う。

「・・・三井サン。サボっちまいません?次の授業。こんなにもいい天気なんだから、屋上ででも・・・」
まるで神様が味方したように、三井サンの背後の遠景がさぁっと流れ、青空がいっそう深みを増して広がった。宮城の掴んでいる手首をそのままに、三井が振り返って目を細める。
「ああ、マジいい天気」
彼が俺に同意するのは本当に稀なことなので、この時点で期待は確信に変わった。
「ね?屋上行きましょうよ。ポッキーでも食お?」
「いいぜ。でもなんでポッキー?」

・・・こういう後先考えないバカなノリの良さはかなり好き。いや・・・全部好き、かも。
珍しく意志の強そうな眉を下げて三井サンが微笑んだので、ほんの少し心臓が高鳴った。
夏から少し伸びた前髪が眉に掛かって、改めて見惚れるような造形の美しさを思い知らされる。
アヤちゃんの全部より美しいものなんて無いと思っていた。
幼馴染の涼子にはきっとバカにされる。同じ幼馴染のヤスの反応は想像もつかないけど。
(宮城ィ。10人に玉砕したからって何オトコにハシってんの?オモロすぎ。乳ないよ?ついてんのよ?その上硬いしさ?20秒に一回はエロいこと考えるし?このヘンタイ)

うっわキツ。淫乱女王。でもこれくらいあいつは言うよな・・・
もっとこの気持ちに確信が持てたら、そんな言葉に「それがどうしたよ」なんて返してやれるのに。確実に3000円の入っている財布を出しても、恋のレクチャーもしてくりゃしないだろう。いきなり三井サンにフェラから入るなんて言語道断。そして俺はいまだアヤちゃんも好きでしょうがなく・・・そりゃもう今日のマニキュアの色も覚えているくらいに。部活前には取ってしまうけど。

「早く屋上行こうぜ宮城。教師来るとやべぇだろ」
「オッケーす。辞典は持ったままでいい?」
「枕に使ってやるよ」

本当に、空だけ青い。




#M3

久しぶりに来た屋上は、秋風が強く吹いていてかなり寒かった。
校庭の常緑樹がざわめき、無数のちぎれた葉が風に乗ってどこまでも舞い上がっていた。
空だけ平穏に青い。

「さみー!!教室と全然温度違うじゃねーかよ」
「そりゃあね!高度も違いますもん」

ともすれば強風にかき消されそうになる声を張り上げ、はだけていた学ランの前を合わせる。見えない風力に嬲り散らされ、自分でも長くなったと思う前髪が目の前で踊った。

いつのまにか給水塔の裏に移動していた宮城が、俺を手招きした。
「三井サン!こっちなら風大分マシー!!」
「わかった!!」

大声で応えて走り出した。屋上に備え付けられた給水塔には細い梯子が掛かっていて、つい昇りたい衝動にかられるが、それに背を持たせフェンスに足をかけている宮城が手で座れという合図を送ったのでその場に並んで腰掛けた。

「狭ぇなここ」
「でも給水塔が壁になって風こないでしょ。長い足を恨みなよ」
「んだよそれ。誉めてんの?」
「別にぃ?」

あいかわらずヒトを食ったような表情で返すと、宮城はGUESSのブレスレットが揺れる手首の先、ポッキーの箱を胸の前に突き出してきた。チョココーティングのビスケットをありがたく2本抜くと前歯の先で少しだけかじる。小気味よい音がして、それは胃に溶けた。
途切れた会話を、自分から切り出す。

「授業中の学校てめちゃくちゃ静かだよな。こっからは運動場も見えやしねぇ」
「そっすね。うちのクラス音楽なのに。何やってんだろ」
 本当に「何やってんだろ」は自分たちだろ?給水塔とフェンスに挟まれた狭い空間で、寒さを耐えるように密着を嫌がらず2りきり。でも、俺は別に嫌じゃない。中途半端に持ち上げてフェンスの網目にかけている足は少し痛いが、隣りで触れ合う小さな肩は嫌いじゃない。
「何やってんだろな〜。英語なんて・・・どうせまた訳文やってるだけだろ」
「三井サン英語嫌いなんスか?そのワリには大慌てで辞書借りに来たみてーじゃん」
 そりゃあ時間がなかったからに決まってんだろ。お前の教室遠いんだよ。シリアイのいる同学年のクラスは授業英語かぶってんだよ・・・メンドくせぇ・・・
「・・・なんでだろうな・・・」

唇から出た言葉は何の張り合いもなく風に流された。ポッキーを2本纏めてかじり終え、だらしなく座りなおす。頭の位置はすでにかけた足より低い。履き古したニューバランス、洗わねぇと。

「三井サン。女の子って何考えてんすかねぇ」

ふいに宮城が呟いた言葉は、一回目よく聞き取ることができなかった。「あぁ?」と疑問の声音で呟くと宮城はもう一回それを言い、その後に続けた。

「何考えてんすかね。もう愛とかそういうの、いらねぇのかな」

それはいつもの飄々とした口調で一片の感情も含まれてはいなかったが、空気に溶けるには重すぎて残る言葉だった。あまり考えさすなよ。そういうことを。俺はバカなんだから間違ったことでも言ったらお前どーするよ。

「さぁ・・・一部にはイラねぇ奴もいるし一部にはいる奴もいるし、そのどっちでもないやつもいるだろ。ヒトにもよるし相性にもよるし、無償有償もあるだろし、お前のたった10人じゃデータはちっとも正確じゃねぇよな」

案外スラッと出た言葉に、初夏に良く喋る赤毛の後輩から聞いた話が混じった。
10人・・・よく考えたら10人に告ってフラれるって凄ぇなオイ。ヘタな鉄砲でもヘタすぎるとあたらないのか。それとも別の要因か。思わず下から見上げる目線で隣りでぼやっとしている宮城の全身を追った。
顔。まずまずオッケー。ところどころクセがあるが濃くもなく薄くもない。眉毛は多分ペンシル入れてる。シルバーのピアスが少しくすんでる。
体型。おもっくそチビ。やるせないほどチビ。バスケに選ばれたのが奇跡。言い過ぎた。別に同年代の中ではそんなに低くないかもしれない。更衣室でちらっと見た分には筋肉質。チン長、知るかよそんなん。でもそんなことは全部どーだっていい。平均的な女子高生に良くつりあう身長。
服装。あたりまえの事だが学ラン。夏前まではよくポロを着ていた。今は学ランの中にTシャツを2枚重ねているらしきレイヤード。チェーンベルトには派手目のストラップが2つほど垂れて地面についていた。やや腰で履いているズボンは均整の取れた足を際立たせ、裾から伸びる足にはルーディックライターのレッドモデルが光る。うわこれスゲェ高ぇのに。

「何?」

ここでようやく宮城は無遠慮な視線に気づいたらしい。批難の色はなかった。応えず目を逸らし観察で得た結果を素早く整理する。結論、西部戦線異常なし。
彩子の代わりでもなんでもいーから納得づくで付きあっときゃいいのに。お人良しだから好きなだけタカれるし、女には弱ぇから約束ブッチぎってもメール切ってもきっと怒らねぇ。遊びだと
割り切って付き合ったからには本気になるだろう純情男を手玉にとって、「ああアナタ私にはもったいなすぎるわ別れましょうさようなら」でいいじゃん。
もう霞むほど遠い過去にやった似たような遊びを思い出して、俺は少し眉を顰めた。

「正確じゃなくても、俺のデータは俺のことににしか使わないからいーんスよホント。その上でどーも・・・行き詰まってわかんなくなっちゃってサ」
「・・・彩子はしょーがねぇだろ。バスケバカだし。誰より再度の全国に燃えてんのはやつだぜ絶対。うちに女バスでもあったら絶対入ってたな」

女バスで前主将のゴリラみたいにきりきり動く彩子を想像すると可笑しくて、喉から低い笑いが漏れた。宮城は呆れたのか溜息をつく。
「アヤちゃんが女バスだったら俺バスケ部入ってねーよ」
「運命変えられてんなーお前彩子に。女神だな女神。あがめろよ」
「何言ってんの?」

マジわけわかんないといった顔をして宮城はポッキーをまた2本、俺の口に咥えさせた。衝撃と甘さに反射的に吐きそうになるが一過性のものなので耐えられる。
「あにすんだよ」
「女神のお告げで汝の隣人を愛せと。最後の2本だよーん」
「マジ?つか俺4本しか食ってねぇつの」
「もともとハーフパックしか無かったんすよ」

宮城はすまして言うと身を起こし、太陽に真っ向から向き直って大きく伸びをした。宮城につられて見上げた空は変わらず青く―――

「女神になっちまった人には触れるのが怖いね」

と彼が言った意味がよくわからなかった。

「ミリ単位の傷をつけるのも怖いし、心地よい関係が少しでも崩れるのも怖いもんスね。俺は待ちすぎた。そろそろ新しいところへ行かなきゃ」

宮城は振り向いて見下ろして無邪気に笑った。いつも皮肉げな笑みしか見せないから違和感が。

「女の子の気持ちなんてまだわかりませんけど、三井サンの考えてることなら今、わかりますよ」
「げ、なんだよ」
 宮城は目を閉じてフェンスにもたれかかった。平らな背中にかしゃんと音が交わる。確信を込めた目は引き込むような空を映していた。


「空が青い―――とか?」

 げ、当たりやがった。で、どーなんだよ。宮城はしばらく、座ったままの自分を凝視していたがひょいと肩を竦めて言った。

「でも当たったってどーにもならないすね。ケーヒンもないし。次も当たる確証なんてないし」

 お前、リアリストなのかロマンチストなのかわかんね。

「ねぇ三井サン。俺の考えてることわかる?」

 んなのわかんねぇよ。

「好きだ―――とか思ってるかもしれないよ?」

 そんなこと―――あるワケねぇだろ・・・身を起こして、茶けた髪の毛をかきあげた。給水塔の下地に縋って立ち上がり、いつもどおりの身長差で向き合う。いつもどおりと思っていたのに、目の前の男は夏の終わりから身長が確実に伸びていた。なんだよ宮城。もう何一つお前をバカにする要素なんてないじゃん。
俺の顎の傷辺りまで身長が伸びたら、もう見上げることもねーよ。
身長の伸びた少年はまだ辛うじての上目遣いで言った。

「・・・嘘じゃ、ねぇよ?」

またバカには理解できない、重過ぎる、言葉を言う。
眉間に皺が寄るのを認めた。






#M4

ケータイ登録しておいたアシ男が捕まらなかったので、今日は仕方なく私鉄で帰ることにした。
使えないヤツの番号は速攻削除してオマケに通話拒否にチェックを入れておく。
あーもぉウザいなぁ。かったりぃー。湘北高から最寄駅まで遠いんだよ。絶対いつかそのせいで潰れんねココ。せめて原チャオーケーにしろっての。
気分はマイナス値突入。今日の2時間目、結局自分を音楽室に誘った張本人が来なかったのも加点する。そしてこんなときにケータイ鳴んのもお約束?
愛想のカケラもない電子音が奏でられ、伸ばした爪でディスプレイを開く。・・・ああ、最近紹介された大手商社のオヤジじゃん。平日の昼間っから何やってんの。

「はぁい。涼子だけどー。部長さん?」
 マイナスの数式なんてもう地面に埋めた。感情よりも商売で、愛情よりも代償だ。自分式方程式を頭の中電子音で奏でる。電磁波で繋がる向こうからはねちっこいオヤジの喋り声が嫌でも届く。
「今日ー?もちろんオッケ♪部長さんに会うの楽しみだよー。うん。待ってる。絶対来てよー?プラダのお財布も約束だからね?」
 作り物の声だけ彼にあげて。酷く冷めた面でリップグロスを引く。ランコムの17番のフレイズ。パールきつめかも、うん。でも薄く延ばせばかなりイイ。
「涼子ちゃん。じゃよろしくね。ボクもう今から勃っちゃいそうなくらい楽しみなんだけど・・・」
 今度は20番買おうかな。大人っぽくてちょっと好きなんだよね。ああでもその前にリップライナー切れちゃったから買わなきゃ。こっちもランコムで試してみようかな。
「涼子ちゃんじゃあね。愛してるよ・・・」
よーし決定。明日東京行こ。うんうん愛してるわよ?アナタの財力をとっても。



期末テストもジングルベルも準備は一ヶ月前からで。
もちろんそんな早くにも前日にも準備なんてするわきゃないけど、待ち時間のウインドウショッピングは3割増華やかで結構楽しいものだ。夕方から急に冷え込んだのでブティックでマフラーを購入する。ああカッターの下にババシャツでも着てくれば良かったか。ホテル行ってもヤる前のシャワー時に脱げば問題ねぇし。ってああ、それよかコート買えばいいんじゃん。本日のお客さんである部長さんにはプラダグッズそろえてもらう予定だから、コートくらいは自腹切らなきゃ、搾取しすぎてカモに逃げられたら元も子もないし?
マフラーを買ったブティックに引き返しロングコートからボアブルゾンまでくまなく見て回る。試着室から出てきたとき、通路を2つくらい飛び越えたあたりに見覚えのある長身を見た気がした。
視界の隅が捕らえた存在は一瞬で視界から消えうせたが、気になって消えた方向に目を向けると容易に正体が発覚する。すっと目を細めた。
―――ああ、宮城の。


部長の要望で制服のままの自分と違って、彼はファー付きのブルゾンにタイトで上品な感じの黒パン。足ナゲー。細ぇーなオイ。靴は多分・・・アニエスbのサイドゴア。坊ちゃまかコイツ?身長高いクセに自分の高校の制服の女に気づきもせず、黙々とダウンジャケットの列を見ている。二重の印象的な目がちらちら動いて、ときおり目当てかなにか知らないが一点の衣類に集中したりする。高っけえ靴買えるくらいの坊ちゃんなら思い切って買えばいいのに。
そう思ってふっと嘲笑すると、視線の先の男はすでに興味なさそうに他の棚に移って行った。つまんね。
そうこうしてるうちに待ち合わせの時間が近くなり、ベージュのブルゾンをレジに持っていって、厚化粧のレジスターの肩越しに燃えるような日が落ちるのを見た。
夕陽は大きく。まだ知らないことのほうが多かった小学生時代に、落ち行く灼熱に「食べられちゃいそうだね」と言った幼馴染を思い出す。まさか高2まで一緒にくるとは思わなかったけど。
そして私は、本当に食べられる。


見積もって10万円。私の価値を認めさせる。
ベージュのモールスキンハーフコートを下から三つボタンを空け、短いプリーツとそこから伸びる足が見えるように優雅に立つ。あごのラインはマフラーで少し隠した方が可愛く見える。ピアスもリングもブレスレットも外した。舐められて錆びたら困るじゃない?私はただ美しいだけの人形でいい。ほんの少しの笑みと、雄弁な体だけで。ひっくりかえったって、彩子にはなれない。

「待ってたよ。部長さん」

ブティックやカフェの並んでいた広場を過ぎて、アンティーク専門店しかない裏通りに、時間より少し早くお客さんはやってきた。
こんなときの声の出し方と笑い方もとうに慣れていて、いっそ快感すら覚える。万物が購入できる紙の魔法が私のために行使されるエクスタシー。だからここまで共に成長してきた少年が何度でも止めるのを聞かない。お前がバスケに酔っているのと同じ水準で私はテンプテーションの魔法に酔っている。それでいいじゃない?
すでに盛って尻やその隙間を愛撫してくるふっとい指に感じてるふりをして形だけの抵抗と声を上げる。
「や、やだァ。こんなとこでっ・・・」
横にばかりデカイ男の肩口に顔を埋めて、こみ上げる可笑しさに唇を吊り上げた。調子に乗らせといて後で機嫌損ねたふりして、ランコムのグロスとラインとスペシャルコフレでも上乗せさせちゃお・・・

予想外だったのは―――その計画がポシャったことでも無く、プラダまで露と消えたことでも無く、少女の身体をしつこく撫で回していたエロオヤジがいきなり路地奥のポリバケツに頭から突っ込んで気絶したことでも無く、うまいこと私を避けてそれを実行した長い足が彼だったということだ。コンクリートに溶け込む色の、アニエスbのサイドゴア。
なんでこんな狭い通りに3人もいなきゃなんないのよ。一人減ったけど。
バスケではテコンドーも教えてくれんの?ねぇ。

「イヤがってんじゃねーかやめとけよ・・・」

―――三井寿。




#M5

「アヤちゃん?」

「リョータ。一緒に帰らない?」

今日は明日の集会に備えて体育館が使えないので、必然的にまだ日がある時刻に下校することになった。同じクラスで同じ時間に本日のHRが終るアヤちゃんから声がかかるのを期待していなかったワケじゃないけど。

「い、いいの?俺んちとアヤちゃんち逆方向だよね?」
「いいじゃない途中まで。私と帰りたくないの?」
「そ、そんなワケないじゃん!!」

むしろ下心を看破されたみたいで気まずかったのだ。アヤちゃんは優しいから必要以上の嫌味なんて絶対言わないけど。
慌ててアニエスのサイドショルダーに教科書を適当に詰め込むと、すでに学生カバンを持って出入り口付近にもたれているアヤちゃんに駆け寄った。

至近距離で隣りに並ぶのは久しぶりだったけど、彼女は懐かしいイイ匂いがした。廊下をゆっくり歩いて、時々見かける友人たちに手を振って別れる。
「アヤちゃんフレグランス使ってんの?」
「ううん使ってない。美容液いいの使ってるけど・・・」
「そうなんだ」
 それで一度会話が途切れて、階下の昇降口に差し掛かったとき、俺は見覚えのある姿を見つけて一瞬立ちすくんだ。そんなことは、必要なかったのに。

「宮城。久しぶりー」
 大きくて睫が長い、ちょっと猫目の綺麗な女の子。クラスは違うけど同学年で友達かもあやふや、だけど春先に彼女に告ったシーンはまだ明確に覚えていて。
 目の前の彼女は気兼ねなく俺に近づいて、そして隣のアヤちゃんの方に僅か視線をやると、悪戯に成功した子供のように笑って耳元に囁いた。

「やったじゃん」

それだけ言うといずこかヘ去ってしまった少女に、俺は盛大に嘆息した。アヤちゃんは何もわからないというように大きな目を瞬かせると靴箱を指差した。
「早く行きましょうよ」
 やったじゃん?やってないよ。全然。たぶんこれからも。



校門を出て、右にずっと歩いて、コンビニを横切って橋が見えればそこでお別れだ。

「リョータ。明日のメニューはこれでいいかな?」
「うん。ノートに書いてあるとおりで。追加あれば赤で足すから」
「来週津久武と練習試合入れたし、しばらくは形式練習に重点置きましょうか」
 アヤちゃんはノートを閉じると飾りっけのないカバンにそれをしまった。視線は合わせずにそれでも俺に語りかける。
「この間晴子ちゃんとチエコスポーツに行った時にね、リョータに似合うバッシュ見つけたのよ。コンバースの黒ライン入った白だったんだけど・・・」
「コンバースか。うちの部使ってるやついなかったよね。」
「でしょ?三井サンも夏頃に買い換えてたしそろそろリョータも買い換えたら?」
「そうしよっかなぁ。小遣いもらったし・・・アヤちゃん付き合ってくれる?」
 盛り上がりついでにあからさまな期待を込めて言ってしまったら、アヤちゃんは僅かに困った顔をした。何かマズイことでも言ったかと一気に体内が冷えるが、その後にアヤちゃんはまたいつもの笑顔で言った。
「涼子とネイルカラー買う約束しちゃったんだけど、断っちゃったから・・・リョータとは行っていいのかなって一瞬思っちゃって」

 同じ部活でいることが俺とアヤちゃんの最大の接点で、そのことが嬉しくもあり苦しくもあった。今はどっちが勝ってるんだろう。気づいたらアヤちゃんの手を引いていた。
一番じゃなくても全然いいから、せめて涼子よりは俺を見て。

「部活の用事だからいいじゃん。行こうよ」

「う、うん」

見慣れない俺の表情と、見慣れない戸惑った彼女の仕草。
これはカワイそうな俺への最後のご褒美。

アヤちゃんの肩越しにゆっくりと太陽が沈む。全てがバーミリオンに染め上げる中、2人、寄り添って歩いていた。




#M6

手じゃどうなるかわからなかったので慌てて足で蹴り飛ばす。
念のため左足は軸にして、右足に確実に俺より重い体重を乗せて近くの業務用ポリバケツに頭から突っ込ませた。衣類店の連なったストリートの裏通りだけあって、ほつれてダメになったシャツや得体の知れないカラフルな糸くずが、肥満体型のオヤジの上に降り積もってその上半身の存在を抹消していた。
薄暗いこの侠路に立っているのは、俺と見たことのある女だけ。

「イヤがってんじゃねーかやめとけよ・・・」

言おうか言うまいか迷っていたが、一応理由付けはしておいた方がいいだろう。こっちが暴行罪で訴えられたらたまらない。口をついて出た文句はドラマとかでもありそうなワザとらしさを伴っている事に気づいて後から羞恥が襲ってきた。この次は誰かなんか言えよ。俺だけ寒い思いするなんて許さねぇ。

「なっ、何をするんだ!!スーツが破れて血が出たじゃないか!どうしてくれんだ!」

案の定巧い具合に気絶はしてくれなかったリーマンが、顔を真っ赤にして座り込んだまま抗議してきた。怒りに任せて叫んでいるからか呂律がよく回っていない。

「何ってそっちこそ何してんだよロリコン。コイツに貢ぎ込むより有意義にスーツでも買ってろよバーカ」
「き、君には関係無いだろう!!合意の上なんだ放って―――」
「―――あー・・・」

そこまでヤりたいのかおっさん。呆れて、そして「関係無い」という言葉に納得してしまって一瞬応えに詰まった。関係―――無いことはない。と思う。自分で言った。「マジ?でもなんか仲良さそうだったじゃん。まさかカノジョじゃねぇよな?名前で呼んでたしよ。リョウコだって?」って。でもそれは直接ではなく間接で。のっぺりとした自分の顎を指で辿り窮した表情を作ると、しつこくオッサンは立ち上がり少女の方に近寄ろうとする。彼女は無表情を保持して逃げない。将来とか世間体よか目の前の女子高生が大事かよ。

「おい。宮城の女!逃げろよ」
「は?なんで」
「なんでってテメェ、あのデブに食われるって・・・」
「食うのは私よ。色んな意味で。いーじゃない別に。邪魔しないで」
「よくねぇよ!」

せっかく100mも全力ダッシュしてきて助けようとしたのにコレだ。もともと長くない気がブチ切れ寸前。宮城の周りに関わるとロクなことがないと思いつつ、それでも俺は意地になっていた。
「俺が嫌なんだよ!宮城にこれ以上貸し作ってたまるか!」
「はぁ何言ってんの?宮城は関係ねぇっての」
 彩子に微かに似た眉のラインと双眸を顰め、不機嫌に俺の顔を見据える。
「あんたが私の代わりにコイツと寝て、金作ってくれんの?それ楽だな〜。何もしなくてバックマージンてやつ」
 今度は俺が「はぁ?」と聞き返して眉を顰める番で。
「あぁ?何言ってんだよ女ぁ。そういう問題じゃ・・・」
「私にとってはそういう問題なの。稼げるか稼げないか。あんたが私のコマになるつもりがないなら帰って。中途半端な介入は邪魔」
 キー!!なんて女。湘北はそんなにヤン高だとは思っていなかったが、こんなバカ女がいるとは恐れ入った。安西先生に修正してもらえそのイカれた脳みそ。
俺の足はちっとも表通りのほうへ動いてくれない。
「・・・あいつの名前三井涼子っていうんすよ。あんたと同じ苗字だから呼びづらくて・・・」―――俺と同じ苗字で、あいつに性格悪ぃとか言われてんじゃねぇ。

「涼子ちゃん。じゃあ行こうか・・・」
「うん♪あーあ、袖汚れちゃったね。ホテルはいる前に買い換えよ?」
 さっきまでコイツとか言ってたのにこの変わり様。あーもう、ホントムカツクな!!

「三井!!」
 名前を呼んだ。かぁちゃんが買ってきたポールの財布を眼前に突き出す。
「俺が買うからそいつから離れろ」
 押し殺した声で告げて―――彩子似のヤツがはじめて驚きのかたちに表情を変えるのを見て、
ああ、どうしよう。と遅ればせながら思った。
タワレコでCD予約してきたから今3000円しかないっての。




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リョ三に突入すらしてないくせに長くてごめんなさい。
後半は一気に行きます〜。