光明寺 耐震改修工事

1.はじめに

光明寺は、大阪市生野区小路東にあり、建築されたのは昭和10年着工 竣工が昭和12年という浄土宗大谷派のお寺で、建設にあたっては第2次世界大戦前の物不足の時代の中で特に金属類や大径木等の資材が少なかったと思われるが、当時、地域代表者であり、檀家総代の吉田和夫氏をはじめ、多くの檀家の方々の尽力により建設されたものである。

1995年1月17日の「阪神・淡路大震災」により、阪神間の神社仏閣の被害は甚大で、ほとんどの木造建築のお寺は倒壊し、この地域でも震度4の揺れを観測した。

この光明寺はそれまでに,屋根の改修を数回行なわれたのみであるが、阪神・淡路大震災では大した被害はなく、現在に至っている。

しかし、2000年に起きた「鳥取県西部地震」や「芸予地震」等の西日本各地域の地震により、伝統的な神社仏閣に大きな被害が有り、また、マスコミ等の「東南海沖地震」や「南海地震」等の大地震が指摘される中で、「光明寺においても地震に対する対策が必要ではないか」との不安を感じていた檀家総代の吉田氏が、工務店を経営する木村氏に相談され、具体的な耐震補強をする前に「まずは専門家に、現状の耐震性能を調査してもらい、それから対策を立てよう。」とのことから始まったものである。

そこで、このプロジェクトに対し檀家総代の吉田氏より「建て直すにも膨大な費用がかかるため、次の世代またはその次の世代に資金をためてから建て替えをしてもらうこととし、その間に、上町断層による地震や、生駒のふもとにある断層による地震、及び南海地震等の予想される地震(震度5〜6程度)が起きても、多少の被害は受けても倒壊しないようにしてほしい。」という要望があり、今回の調査、診断となったものである。

また、この光明寺の地域は大和川が現在のような堺方面への流れではなく、過去において大和川が、すこし東側を北に向かって、寝屋川方面に向かい、淀川と合流するように流れていた地帯を埋め立て、現在のようになっているこの地域は、低地ゆえの水はけの悪さが影響し、大雨による洪水が度々発生し、その都度床下浸水等が起きていた。

そのため、蟻害や腐朽による被害も予想され、耐久的にも問題があると思い不安を感じていたので、この機会に、現在の光明寺の性能がどのようなものであるかを調査し、その耐震補強方法の対処方針を検討するすべとして、耐震診断を行ない以下に、その詳細をまとめたものである。


 ©Tahara Architect & Associates, 2003