私は職業歴を満七十歳と決めて、世間並みに六年前に定年退職した町屋の大工です。
退職後の一〜二年間は全くの開放感に浸り気ままな生活でしたが、もともとじっとしておられる性格ではなく、時がたつにつれて心の隅に空虚な隙間を感じ始めました。
そして今までに振り返って見た事の無い自分の人生を見る時間を得ましたが、人にはそれぞれ個々の歩みがあります。
この世に出て幼年期、少年期、青年期、壮年期、熟年期、初老期、老年期、七十五歳になれば敬老枠と目には見えない枠があり、自分がすでに区切りの無い枠には入りかかっている事を感じたのが、六年前でした。
もともと自分の職業は自由業で全く枠も無く、区切りも無いものでしたが、小学校からいきなり軍隊に入ったのは、同級生でも自分だけでした。
少年兵としての期間はともかく、終戦の日から自分の生きる人生の第一歩が始まりました。
すぐさま大工入門して現在まで来た訳ですが、気が付けば今まで後ろを見る事無くただ前進あるのみの生活でした。
振り返って改めて生活の原動力となった職を教えて貰った親方、時間を与えてくれた家族、友人に感謝をしております。
いよいよ今年は七十五歳で最後の人生枠に入門となりますが、ここ数年の自分の想いや行動をまとめて見ました。自分が大工として暮らしてきてから、六十年も過ぎた実感はありませんが、現在目にうつる世間にはあらゆる事に表裏の変わり様です。
建築仕事も同様で、捩り鉢巻で、玉の汗を流しながらの手作業は無くなりました。
機械加工すれば手仕事よりも数段正確に作業が出来て仕上がります。
体力の消耗も少なく本当によい時代になりましたが、考えてみれば技術の原点は唯一つだと思います。
材料の質を知り、それにあった組み手や、その場所に合った方法など基本に忠実な事が大事だと思いますが、現在の木造造りには、基本仕事が無いと思う程の変わり様です。
一方若い研修生の方が五十〜六十年前の仕口などを覚えたくても、当時の基本形で組み上げる建物や、構造物に出会う事が少ない様です。
親方も機会が無くては指導するには無理がある様にも感じます。
今になって思えば自分らの入門したときは、何をするにも基本に忠実な時代でした。
現在そのような手間のかかる仕事をすれば、大変な工費がかかる事になりますが、原点に戻り基本技術さえ習得しておけば、木造物に関してはあらゆる事に、応用対処出来る思考力が出来て来ると思います。
社寺、仏閣、有名な木造物は学者と言える人によって、先輩職人の知恵が写されて残されていきますが、自分ら町屋大工の知恵は研究するに値しないのか、何も残るものも無く唯親方や、先輩からの伝わりと盗み技術だけの様です。
このままでは、町屋大工の知恵は消えて行くかも知れません。
今のうちに町屋大工のしていた仕事を形で残しておけば、何かの仕事に応用出来ると思います。昔の仕事や、職人が絶対良いとは思いませんが、思考力、手先の器用さ、仕事に対する粘り根性、は今の我々よりも優れていたのではないかと感じています。平成十年に定年を決めましたが、何十年やって来た職は簡単に切り捨てる事の出来無い事だと思います。
月給取りと言われる方々の定年とは異質の、定年制の無い職人の世界では特にこの傾向があるようです。
私も一旦は心に決めて退職しましたが、余りの暇や空虚な毎日に耐える事が出来ませんでした。
ある日、山口県岩国にある有名な木造建築物(錦帯橋)に出会い、その技術や先輩の偉大さに心から感動しました。
後三年の時間をかけて橋梁が改築される事を知りました。その後は橋に対する想いが募り、矢も盾もたまらず、改築を手掛けられる大工棟梁さんに出会い、いろいろと工事計画を聞き、自分の思いを聞いて戴きましたが、何しろ大工事なので、事務所や関係される方々の多さに驚きました。
自分は現場で働かして貰える年齢でも無く、篠山〜岩国は余りにも距離があり、色々と悩みましたが、棟梁さんの計らいで工事現場はパス、何時でも棟梁さんと、建設事務所に電話質問する事を認めて戴きました。
そして現場入門して工事完成まで無職客人として認めて貰い以後三年の間楽しく過ごす事が出来ました。その間随分と多くの技術を盗ませて戴きましたが、これも現場の皆さんの寛容な心があっての事と感謝しております。
そして平成十六年三月大工事の完成を見ましたが、その間自分も少しづつ模型作りに打ち込み本物と同じ日に、完成する事が出来て喜びました。振り返って技術というものは勉強もさることながら、後の世代に伝えて行くには、良き先輩、良き仲間、良き機会、などが一体となって完成するものだとつくづく感じております。
このようなもの作りの職人としての含蓄のある言葉は、我々21世紀を生きる建築業界の人々に伝えたい言葉と思い掲載致しました。
当方は木造建築の構造技術者として、実際に物を作る事は出来ないが80歳になろうとする大工職人の大先輩と10年前に出会い、その後仕事等を通じ心通じ合う「友」にさせて戴きました。
このような方は日本全国におられると思いますが、是非記憶に留めておきたい棟梁と思い掲載いたしました。