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我が心の師である小林直人の語録より


夜の道を車で走っているといろんな動物に出会う。

狸はぽんぽこぽん、ごろごろ、と道端に飛び出し身投げする。兎はめったに見ない。

ひょいと現れて、しばらく車と競争した後またひょいと草むらに飛んだものだった。

どうしたのだろう。突然巨大な猪が横切ると、粛々とうり坊が続く。

鼬は全身干草色の波になって懸命に走り抜ける。ほれぼれするのは狐である。

黄金色の光芒を放ちながら一直線に横切る決断力は見習いたい。

狐もめっきり少なくなった。何故だろう。

ドカドカと数頭の鹿がとびだすこともある。

そういう時の鹿は狸と変わらない。どこか雑なのである。

しかし、大抵は単独で道端の草陰からじっと額縁のようにこちらを見ている。

雨の夜などはつい「大変やねえ、頑張って生きろよ」とつぶやいてしまうのである。

私は京都府北桑田郡美山町で代々の林業を営んで、木を植え育て伐って売る、それを数十年ごとに繰り返すのが生業である。

それは、輪廻転生に身を委ねている様な安心のある生業であった。

ここ数年、その様態は全否定されようとしている。

アナリスト達の分析によれば、東西冷戦構造の崩壊以来世界は自由貿易を是とする体制となり、一地域に於ける自給自足はこれを認めない。

従って、国産材などは例え限りなく原価ゼロに近づいたとしても、それに替わる素材が市場に優先する以上、単なる材料のひとつとして参加出来ぬのなら市場から抹殺されても仕方がない。

現実を直視できぬ者にはもはや退場する道しか残されていないのである。敢えて反論するまでもなく現実はその通りに推移している。

それも大股で階段を下りるように。

文化論、情念論で抵抗する道はある。

でも、筆先で糊口する林業などあり得ないし、逆ざやのもとでナタとノコを振りかざして奮闘している林業の現場を置き去りにしていることに変わりは無い。

能天気のそしりは免れないと思う。

体制とは抗い得ぬものだろうか?体制を壊す契機は革命にしかないのだろうか?それは、また新たな体制を作ったに過ぎなかったことは歴史が証明している。

それなら、従順に消滅を待つよりは一旦体制から離脱して独自の生き様を模索するしかない。


山で木を伐る旬に伐採、葉をつけたまま自然乾燥(3ケ月)、製材してから桟積み自然乾燥(3ケ月)、木材を知り尽くした大工の棟梁が、健康で住みやすい丈夫で長持ちする家を作る。

昔から極当たり前でここ20年ほど忘れていた習慣を、誰もが一斉に言い出したあの産直である。

でも僕らは全力でこれに取り組む。価格も無農薬有機栽培野菜のようにやや高い(高かった時の1/2だが)。

市場で決まる流通常識から外れ、価格破壊の相場に価格破壊で立ち向かっているようなものだ。

退場しろと言われても、留まろうとする限りこれしか生きる道がない。

植えて世話をして50年も経ってから「使用価値ゼロ」を宣告されても、そう唯々諾々と受け入れることは出来ない。

自分の一生を投げ捨てるのと同じである。そこに出発の原木価格を置いた。

“ともいき”はその意味である。


→ともいきの杉と小林直人氏についてはともいきの杉HPをご覧下さい。


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©Tahara Architect & Associates, 2005