4月25日に発生したJR西日本の列車事故で100人以上の方の命が亡くなり、500人以上の方が怪我をした。
その後色々な調査や推測により、原因であろうと思われるいくつかの点が言われているが、どうも根本的に見え隠れするのは、安全を無視した「金を稼ぐ」というひと言であると思われる。
これは、私鉄との競争激化で、スピード化とダイヤ本数の利便性を追い求め、乗客数を獲得しようとする企業上層部の意志により、発生した事故と言える事が想定でき、それに対して異議を唱える社員は、職場等で阻害される事となり、会社としての機能が上意下達により、一元的な指示で上司に向かって自由な意見を言えない状況になっていたものと思われる。
これにより、安全を基本とする社員の考えは、上司の意志を忠実に守るように従順化した社員となり、失敗を起こせば「日勤」という罰則を受け、度重なると左遷されることとなり、そのため、アクロバットな運転で危険と隣り合わせの運行をしていたものと思われる。
つまり、日々の過酷な勤務条件により危険認識の麻痺が起こっていたものと推測され、この事が日々の勤務状況で内部から安全認識が薄れていったものと思われる。
また、利用者側も利便性と高速化に対して、安全が基本にあるものと思い込み、利用していたものと思われる。
利用者にとって都合がいい事と安全性は、反比例する事を理解し、全てが利用者にとって都合のいいシステムなどは有り得ない事を。
そのことを知らないでユーザーが利用していることは、「金を稼ぐ」ことが至上命令の会社にとってまさに「都合のいいお客様」であると言えるのではなかろうか。
これは、木造住宅でも同様の事が言え、一生に一度の住宅を建築しようとしている建築主にとって、設計者や施工者から見心地のいいデザインや聞き心地のいい話で、ついついその気になってしまって、出来上がってから「しまった」とか「こんなはずでは」等と、「後の祭り」的に悔やんでも仕方ない事である。
つまり、自分にとって全てが見心地がいいとか聞き心地がいいような話は、本当は有り得ない事であり、裏を返せば、良い事のみを言って悪い部分は隠すように、そそのかしていると言った方が正しいのかもしれない。
だから、自分にとって本当に役に立つ事(都合のいい事)とは、半分程度は見心地や聞き心地が良くても、残りの半分は見心地が悪く、聞き心地も悪いものであると思った方がいい。
これらの事を踏まえると、いい事も悪い事も公表しているサービスや物品等は、信頼性が少しは高いものと思われ、ましな企業であると思われる。
現在の日本では、「金を稼ぐ」と言う事を誰もが必死になってやっており、会社にとって不利な事は公表せず、ユーザーの希望する事に、言われるがまま合わせているのが現状であると思われる。
このことを理解し、選別する能力を持った生き方をする事が本当の意味でのリスク回避につながるものと思われる。
今の現代社会は、日常の事が普通に行なわれるのが当たり前だと思っており、何か起こればそれに対して対策を立てるといった泥縄式の社会であると思われ、自己防衛しなければ、「金を稼ぐ」社会の餌食になりかねないのだが・・・・