日光湯元温泉・湯元板屋 (栃木県)
住 所 日光市湯元温泉
電 話 0288−62−2131
交通機関 東北自動車道宇都宮ICから日光宇都宮道路(有料)清滝ICから国道120号線。清滝ICから27km(紅葉のシーズンは「イロハ坂」が極度に込み合うので要注意)
JR日光線日光駅または東武鉄道東武日光駅から湯元温泉行きバスで1時間20分、終点下車
施 設(日帰り) ロビー、売店、駐車場(30台程度)
宿 泊 24室(和室15 洋室9) 宿泊料金は12,750円〜26,400円と幅広い。和室・洋室、季節、曜日、宿泊人数等によって大きく異なるので、下記の板屋HPを参照ください。
泉 質 含む硫黄 カルシウム・ナトリウム・硫酸塩・炭酸水素泉(泉温77℃、Ph6.4)
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間(日帰り) 午後1時〜3時
定休日 無休
入浴料金 大人1,000円
入浴施設 内湯男女各1、露天風呂男女各1
浴室備品 シャンプー、ボデイソープ、ロッカー、ドライヤ
観光スポット 東照宮、中禅寺湖、霧降高原、戦場ヶ原、華厳の滝、霧降の滝、竜頭の滝、湯滝、光徳牧場
お土産・食事 食事は施設内では不可なので、国道沿いの食事処・土産屋で。
土産としては湯葉、しそ巻き唐辛子が特産
近くの温泉 光徳温泉、日光温泉、中善寺温泉、鬼怒川温泉、川俣温泉、川治温泉、塩原温泉郷
日光市HP
日光観光協会HP
板屋HP

http://www.city.nikko.lg.jp/
http://www.nikko-jp.org/index.shtml
http://yumoto-itaya.jp/

雑記帳 日光湯元温泉から、120号線で金精峠を超えて沼田経由で群馬県の老神(おいがみ)温泉、四万温泉に向うコースと秘湯が点在している福島県の土湯温泉郷に行くコースを考えた。最終的には、前回、霧の中眺望がまったくきかなかった磐梯吾妻スカイラインをもう一度走りなかったので、後者のコースを選択した。
戦争中、軍医として駆逐艦に乗り込んだ父親と離れて、母親とともに父の出身地の栃木県宇都宮市に移り、さらに先祖の墓がある祖母井(現在の芳賀町)に疎開し、東京に戻る6歳までここで過ごした。三つ子の魂百まで、高校野球でも育った東京、現在住む奈良の代表校よりも、栃木の高校を応援する心の故郷である。
中禅寺湖畔に、かって親戚がホテルを経営していたこともあって、日光へは観光・キャンプ・スケートなどで何回も訪れたが、社会人になって以来この地を踏むことはなかった。昨年以来、両親の世話のために車で幾度となく帰京しているが、今回、先祖の墓を代参する機会を利用して、30数年ぶりに木々が色づき始めた日光を訪れた。
所在地 : 日光市
日光市は栃木県の西北端、県庁所在地の宇都宮市から西に約30km、日光国立公園の中心として、国内外から多くの観光客を集めている。
市域には、1999年12月に世界遺産に登録された東照宮をはじめとする「日光の社寺」、標高約1,269mにある中禅寺湖、そこに影を落とす2,484mの男体山、日本三名瀑の一つ華厳の滝をはじめとする日光47滝、冬には氷点下20度を超え、春から夏にかけてはさまざまな高山植物が可憐な花を咲かせる戦場ヶ原や霧降高原、中禅寺湖・湯ノ湖をはじめとすする大小さまざまな湖沼がある。
まさに国立公園に相応しい豪快で華麗な自然美をいたる所で満喫できる.
展望スポット・明智平から望む中禅寺湖・華厳の滝・男体山(右手一部)

観光スポット
世界遺産に登録された「日光の社寺」の一つ、東照宮は徳川家康の霊廟として元和3年(1617年)に創建された。現在の主要社殿は三代将軍徳川家光によって造営されたが、これにより日本の代表的な神社建築様式である「権現造」が完成した。また、彫刻や彩色などの建築装飾についても、当時の最高水準の技術が用いられた。本殿・拝殿・陽明門などの8棟が国宝、34棟が重要文化財に指定されている。
総工費は金56万8000両、銀100貫匁、米1000石。今の400億円に相当する。使った材木が14万本、工期は1年5か月、延ベ454万人が携わった。35棟を建て替え・新築した大工事は寛永13(1636)年に完成して今に至る。

写真の
陽明門の名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられる。江戸時代初期の彫刻・錺金具(かざりかなぐ)・彩色といった工芸・装飾技術のすべてが陽明門に集約され、その出来栄えは一日中ながめていてもあきないので日暮らし門とも呼ばれる。
近づいて仰ぎ見ると、500を超える彫刻の数と巧みさにはあらためて驚かされる。
(日光観光協会HPなどから一部引用)
東照宮・陽明門
徳川家光の墓所「大猷院(たいゆういん)」は、徳川3代将軍家光が死後、後光明天皇からたまわった法号。
家光は、祖父である家康を心から深く尊敬し、慶安4(1651)年4月、江戸城で亡くなる間際、「死んだ後も東照大権現(家康)にお仕えする」という遺言を残した。
 その遺志を受けた4代将軍家綱の命によって、家光の死の翌年にあたる承応元(1652)年2月16日に起工。わずか1年2か月後の承応2(1652)年4月4日に家光廟大猷院が完成した。
東照宮とはまったく違う趣となっており、目立たない部分に技巧が凝らされているのが特徴。また、東照宮の建築が白と金を基調にして、黒の縁取り。この違いは一目見て分かり、どちらが自分の好みか家内と共に語り合った。
三代将軍家光公の墓所・大猷院
この他、東照宮に隣接して、二荒山神社、輪王寺などがある。
鼓楼の後ろにある本地堂(薬師堂)の内陣天井に描かれているのが、有名な鳴竜。
40年前に訪れたときは、観光客が天井を仰ぎ見ながら、各人が手を打ってその反響音を待ったが、はっきりと聞こえてこなかった。
今は、各人の手拍子は禁じられていて、僧が観光客を集め、堂の説明をしてから竜の頭の下で拍子木を高らかに鳴らすと、竜の咆哮というより、鈴虫のような可愛い鳴き声が聞こえてきた。

 
 
本地堂(薬師堂)の鳴竜
神厩舎の「見ざる言わざる聞かざる」の彫刻
東回廊潜門に掘られた左甚五郎の作と伝えられる「眠り猫」。非常に有名だが小さくて見落としてしまう。
中禅寺湖
周囲約25キロ、最大水深163メートルの中禅寺湖は、日光を代表する湖である。水面の海抜高度1269メートルは、日本一の高さを誇る(ただし、人工湖を除く)。この湖畔に親戚がホテルを経営していたが廃業、更地になっていて時代の流れを実感した。
華厳の滝
日光には四十八滝といわれるくらい滝が多いが、最も有名なのが華厳ノ滝である。高さ97メートルをほぼ一気に落下する豪快さと、自然が作り出す華麗な造形美の両方をあわせ持つ。和歌山県の那智ノ滝、茨城県の袋田ノ滝とともに「日本の三大名瀑」と呼ばれる。
この3つの滝をすべて観光したが、那智の滝は高さが華厳の滝を上回るものの、水量は華厳の滝のほうがはるかに多いので、豪快さではこちらが上回る。
エレベーターで100mを下りた観瀑台から、音を立てて豪快に流れ落ちる華厳の滝を目前に見ることが出来る。
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戦場ヶ原
標高約1,400mに広がる戦場ヶ時は冬の寒さが有名で、零下20度を記録することもある。
6月から8月にかけてクロミノウグイスカグラ、ワタスゲ、イブキトラノオ、ノハナショウブ、ホザキシモツケなどの花を楽しめ,多くのハイカーが訪れる。
竜頭の滝
湯ノ湖から流れ出た湯川が、中禅寺湖に注ぐ手前にある滝。男体山の噴火による溶岩の上を210mに渡って豪快に流れ落ちる。
中学生時代に来たとき、この滝の途中の岩の間を、飛沫を浴びながら飛び歩いた思い出がある。
湯滝
湯ノ湖の南端にある高さ70メートルの滝で、幅は最大で25メートル、溶岩の上を音を立てて流れ落ちてくる。滝壷にも下りられる。

私の観瀑はそう多くないが。その中では群を抜いて豪快な滝だ。まるで天界から流れ落ちてくるような感じで、水量の多さも半端でない。
温泉名 : 日光湯元温泉
標高1,478m、小さな湯ノ湖の湖畔、白樺や唐松で囲まれた一帯に20数軒の旅館やホテルが点在している。浴衣姿は似合わない高原の温泉地だ。
温泉の発見は延暦7年(788年)と言われ、近くには開湯の祖・勝道上人を祭った温泉寺がある。ここは温泉を備えた全国でも珍しい寺で、寺の行事がないときは入浴できる。
そこから歩いて数分の所に、湯本温泉の湯量の豊富さを実感できる源泉がある。
硫黄の匂いを強く漂わせ、湯煙をあげる源泉小屋が幾つかあり、周囲は流れ出た温泉で湿地みたくなっている。
湯量が多いため、遠く中禅寺湖畔の旅館(中善寺温泉)にまで温泉を供給している。
源泉がどこにあるか分からないような大温泉地と違い、まさに正真正銘の温泉が湧き出ているさまを目の前で見ることが出来る。
施設名 : 湯元板屋  (宿泊日:2004年10月6日)
湯の湖湖畔
白樺の林
金精峠からの男体山と湯ノ湖
菅沼
翌朝、すぐ近くの湯ノ湖を散策した。濃紺の湖面に早朝の光が輝く湖、キリッとした冷涼な空気、色づき始めた木々、ここが高原の温泉地であることを実感する風景だった。
チェックアウト後、国道120号線を群馬県側に向って進んだ。目的は、群馬県との県境にある金精峠を通過すること。金精峠は標高は2024メートル、昭和40(1965)年に峠の下部、1850メートル付近に金精トンネルが完成し、国道120号にあたる金精道路で湯元温泉と群馬県菅沼を結んだ(冬期間閉鎖)。ここを通過して、これで国道上で標高の高い峠ベスト3(麦草峠・渋峠・金精峠)を走破、ついでに群馬県側の菅沼・丸沼を観光して、今日の目的地、福島県・土湯温泉郷に向った。
標高約1,500m、湯ノ湖から歩いて5分、源泉のすぐ近くに、創業150年の歴史を誇る湯元板屋がある。
瀟洒な外観だが、内部は完全な和風旅館。客室数はわずか24室、私の宿泊旅館の基準「30室以下」に合致する。

食事は、料亭(個室)か和風レストランでとるが、当日は足元が伸ばせる後者で、他の宿泊客とともに、鴨鍋、川魚、特産の湯葉料理などが一品ごとに供される懐石料理を頂いた。一品ごとの量は少ないが手のこんだもので、高齢者向きの料理だった。

風呂は、近くの源泉から涌き出た硫黄泉を使用した男女別の内湯と露天風呂。内湯から木々に囲まれた露天風呂に繋がっていて、規模は何れも中規模で8人くらいが同時に入浴できる。部屋数(宿泊客数)からすれば、十分な大きさである。湯は全く下が見えない乳白色の硫黄泉が、掛け流しで注がれていた。

宿泊した部屋は10畳のBT付きだが、畳が古ぼけ窓ガラスが汚れているなどのマイナス点があって、これだけ見れば1人21,150円は割高に感じた。しかしながら、日光が一番混み合う紅葉シーズンだったこと、宿泊人数が2人だったこと、料理が一品毎に出されていたこと、風呂・温泉は文句なく良かったこと、などを勘案して納得することにした。
正面玄関
ボリュームたっぷりの朝食
内湯から露天風呂へ
雁行の露天風呂は7〜8人はゆったり入れる。
データは変更されている可能性もあります。事前にご確認ください。